マッドフラッドの動画を見ていてふと思ったんだけど
司馬遼太郎の小説を貪るように読んだ時期があって、その理由は登場人物たちが格好いいからだったんだけど今にして思えば格好良すぎるんだよ

司馬は終戦でズタズタになった日本人としてのプライドを取り戻すために昔の日本人は格好良かったんだよ、と絶望していた20歳の自分に手紙を書くようなつもりで小説を書いたと言っている

司馬はテーマを決めて調べ始めると自分の意図に適った資料や証言が向こうから飛び込んでくるように手に入ったと言っている

司馬の格好いい日本人への渇望が史料自体を、果ては人物自体を資料とともに生み出していたのではないだろうか?

例えばタイタニックに関しても小説が先にあったという話もある
小説によって事実自体が生み出されるということがあるのかも