死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?373
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前スレ
死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?372
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この話は、実体験です。人によってはあまり怖くないかもしれません。 僕が中学受験のときであったちょっとやばめな先生のお話
僕は地元の中等一貫校を受験するために塾に通っていた。
その塾は自転車で30分程度、車で20分程度の距離にある小さな塾だった 小さな塾と言っても、あの江戸時代から続く某巨大塾の1教場だった。
そこでは2人の教員に、自分を含めた十数人の生徒たちたちが授業を受ける。 一人はメガネを掛けて大人しそうな小太りの男性、もうひとりは痩せ型で目がどう見てもガンギ待ってる男性だ。
後者を教員Nとする。
その教場では、課題の提出方法がとても変わっていた。 google classroomというアプリを使ってやり取りをするという内容だった。 案の定使ったことのないアプリに保護者も生徒も困惑した
そもそもgoogleclassroomは、他の教場では一切使うことのないものだったので、完全にあの教場のオリジナルだった。 その時点でちょっと変わった先生だなとは思ったが、それが確信に変わる出来事が起こったのは言うまでもない まず、この教員Nは、その教場に来るまで20回ほど移動になったらしい
普通に問題を起こさず勤務すれば、そんな移動回数にならないらしい。
前の教場では恐喝かなんかで保護者とトラブルになったとか。 google classroomはコロナでオンライン授業になってから
一気に普及したけどその前の話? 僕はその日も学校から帰り、塾へ向かう
塾につくと、教員Nがものすごい目つきで睨みつけてきた。 なんか僕やらかしたのかと結構怖くなったんだが、開口一番
「お前舐めてんのか?」
と言い、胸元を引っ張ると教員Nのデスクの前に突き飛ばしてきた。 正直その頃の僕は受験という人生の節目に立たされていたうえ、学校でいじめを受けていたため精神的に結構参ってた。
だから塾でさえこんな扱いを受けなくちゃいけないのかと正直泣きそうだった。 >>628
母が苦情を入れましたが塾の対応がいまいちだったそうです 正直教員Nにここまで切れられることをした覚えがなかったので、もやしのような足で震えながら立ち上がり、
「あの、なにか間違いがありましたか?」
と訪ねてみた。 理由はいたってシンプルだった。僕の作文の書き方が気に食わなかったらしい 受験内容に少作文の内容もあったので、当然その塾でも宿題として出されていたのだが、教員Nが行ったアドバイスを少しでもずれるとその時の僕のように詰められたり、8時40分まで居残りさせられたりする。 実際僕も文才がなく、よく9時50くらいに変えるギリギリの日々を送っていた。 そしてここからがおか板のみなさんがお待ちかねのヒトコワ展開である。 小学六年生といえば、修学旅行だ。もちろんいじめられていた僕に友達なんてほとんどいなかったが、数少ない友達と周りの賑わいでなんとか楽しい思い出を作った。 そして塾や教員Nのストレスなんてすっかり忘れ、久しぶりに笑って家に帰ってきた。
僕「ただいま!」
母「おかえり。楽しかった?」
僕「うん!みんなと仲良くできた」
母はどこか疲れていたため、どうしたのか聞いてみた。 母は少しためらったあと、電話の着信履歴を見せてくれた。 37件だった。
僕が2日間修学旅行を満喫していた間。
ほぼ朝昼夜時間帯関係なく。 もはや迷惑を通り越して恐怖すら感じた。
内容は、
教員N「受験シーズンに修学旅行なんて何してるんだ!キャンセルしろ!」
ということだったらしい。 母は事の顛末を父に相談し、僕の父はそのもはや嫌がらせとも取られる教員Nの行動に憤怒していた 塾をやめるか警察に連絡することを親に勧められたが、正直僕はもう精神崩壊に近い状態になっていたため、
あともうちょっとだから。
といってしまった。
今の僕が考えてもあんな塾で勉強し続けるのは正気の沙汰ではない。 だから、たぶん正常な判断ができていなかったんだと思う もう特に各ストーリーがなくなったので最後に話を締めくくると、
僕は志望校に無事合格し、小学校のいじめっ子や教員Nとオサラバになった。
今は塾もやめて新しい生活も送ってるし、自慢じゃないが受験のある学校というだけあっていじめてくるようなやつもいないから、友だちもできた。 教員Nは今僕の妹の教場にいる。
母入っていた。
「あいつのいない教場にしてもらわないと。」
これが僕が実際に、3,4年前に体験したことです。
ありがとうございました。 名無しに戻ります、予定が入ってしまったので、今日はこれで失礼します。 >>648
書き終わってしまってるからもうあれだけど次からは複数レスじゃなくまとめて書いてもらえると嬉しいな 俺の学校は田舎でそこそこ遠い所にあったんだ通学路の途中が森林の細道で正直小学生の俺たちは少し怖かった だけど基本俺たち四人で通学していたから怖くなかったしかしその日Hが体調不良で休んだ俺たちは少し残念に思ったがいつもどうり通学した 通学路の途中に一軒だけ家が有ってボロい家の空き家なんだが俺たちが怖い理由の一つだった その日三人で通学している時ボロ家の前に差し掛かるとボロ家の扉が開いたんだ当時俺たちにとっては初めてのことで驚いた ゆっくりでいいけどさ
一度のレスでもう少しまとめた量にしたほうがよくね?うん🐦 しかし五年生だった俺たちは風のせいだろうと言うことになった そして帰宅する時またボロ家の前に差し掛かった、その時既に扉は閉まっていて他の人が閉めたのだろうと思った、通り過ぎようとしたその時また扉が開いたんだ、しかしその時の開きかたとは違い風も吹いていないのにバタンと言う強い開きかただったその時驚いて振りかえると凄い恐ろしい気配を感じたんだ、その時もうダッシュでRとTを置いて帰ったんだ、幸いRとTもすぐに走ってきた、そしてそのまま森林を抜けると各々家に帰った、落ちは無いが次の日から別の通学路で通った。 わいはマンションに住んでるんだけど誰も住んで無いはずの隣から呻き声聞こえるんやが 川で男の水死体が見つかった直ぐ傍に
放置された車の中のバッグに女性のバラバラ死体が入ってたってニュースやってたの見て
殺人犯はその女性の霊に呪い殺されたんかな?とかオカルト脳で考えてしまうわw たまに殺人したあとおかしくなって自首してくる犯人もいるらしいし
全員じゃないがやっぱり恨みとか呪いとかでそうなる人もいるんかね >>605
なにもかも自分の思い通りに事が進むと思うなよ
むしろ思い通りに進まない事のほうがほとんど、それが人生だろ
甘ったれんなボケが
理解出来ないなら本当に病院行ったほうがいい あぁ 想定した全ての展開を必ず外してくる それが当たり前
そもそもルートなんてない
歩いた跡が道になっている気がするだけで 繋がってもいない 普通思い通りの結果にならなかったらそこから学習して次に生かすのに自分の願望しかないじゃんこいつあほか >>611
月曜になったが全国的な雨どころか豪雪になったっぽくない…?行けるのか怪しいな >>671
甘ったれや被害妄想じゃないと思う
こういう被害者になりがちな致命的に運が悪い人って実際に居るよ
知人がそうだったし
最期はなんの非も無いのに暴走運転DQNカーに激突されて即死したよ
あまりに悲惨な事故なので全国ニュースにもなったから知ってる人もいるかも知れない こういう上手くいかない人って甘えや被害妄想扱いされてスレから追い出されるよな >>679
いやでも明らかに病気っぽいのに様々な妨害されて病院に行けなくされるって普通に怖くね?
呪いとか運命とかそういう怖さある >>667
なんかとにかくこの人の思想が怖いのでブロックした >>685
675 は 611 を誤読してるね
極端な言い方すると雪が降ろうが槍が降ろうが家を出た時点で雨じゃなきゃ全ての予定をキャンセルして病院行けって書いてある
その上で雨だったり雪で交通が止まって身動き取れなかったり辿り着いた病院が休診だったら明日以降も脳死でずっと同じことしろって書かれてる…一応言っとくけどこれ一種の呪いだよ?
病院へ行かせるようになってるけどデメリットも多いから突き詰めて考えるとそこまで良いものでもない(ので逆にすり抜けられる)
どのみち 675 はこういうの溜め込んで影響を受けるタイプだから早いとこ病院で見てもらって一つでも解除しろ >>688
その人が言うにはたぶん家を出た時点で必ず雨ということなのかも >>689
想像したら笑った
家出た瞬間に毎回雨降るなら流石に同情するな >>691
穢れみたいなのが出た瞬間に雨が降るというのは経験している 本当に毎回なら天気予報と照らし合わせたいw
今まで降ってなかったのに、家出たら降り出すってのは
毎回じゃなければあるあるっちゃあるあるだよね まあ局地的な小さな雨とか天気予報の記録に残らないのもあるから 一歌ってコテハンが笑点に出てきそうな名前で草、うん🐦 12年前のこの時期くらいに起こった怖い話し書いてく。結構長いから暇なやつだけ読んでってくれ
出てくる人 俺 妹 寺木 東
おれは小学生のころ長野にすんでて
山が近くにいっぱいあったからよく山で友人の東と寺木と俺の3人でかくれんぼしたりおにごっこしたりして遊んでた。
雪が降り始めると両親は山は危ないからって山には行かせてくれなかったけど寺木や東の家でゲームしたりお泊まりしたりして遊んでた。ほんとにいい奴らだった。夏くらいになるとよく川に行った。その日は俺と寺木が釣りをして遊んでて遅れてきた東が「秘密基地になりそうな場所見つけた」って行ってきた。そん時の俺達は秘密基地って言葉に弱かったのもあって東についていった。 30分くらい歩いたと思う途中で獣道になって持参した殺虫剤を掛け合って遊んでた記憶がある。悪ふざけしたり恋バナしたりして歩いてたら少し開けた場所に出た。そこにはぼろい小屋があった。 恐る恐る中にはいってみると蜘蛛の巣が貼ってたりして汚かった多分10年以上放置されてると思う。東がここをきれいに掃除して秘密基地にしようって言い出した。俺も寺木も賛成して3人で川の水くんできてぞうきんで拭いたりした。俺が柱を掃除すると
山太朗
史恵
三次郎
?五
って成長記録みたいなのが掘ってあった。身長的に山太朗が父で史恵が母親だと思う。多分三次郎がお兄ちゃんで?五が弟だと思う。
?五の?は画数がおおくて読めなかった 掃除してくと結構きれいになって
秘密基地にした。看板をたてたりして結構張り切ってた。それから俺達は小屋に集まるようになった。お菓子持ってたりみんなでお金出し合って買ったハンモックつけたりしたりして結構凝ってる作りになった。小学生のころの俺達には理想の秘密基地で両親にも口外しなかった。もちろん他の友達にも、口外したらお菓子驕りとかいうルールもあって誰一人破ろうとしなかった。 月日が流れてきずいたら中3になってた。寺木は170センチ越えで東は体格がよくなってた。俺と寺木は剣道部、東は野球部に入ってた。部活とグラスがバラバラになって俺と寺木は学校でも話すけど、東とはあまり話さなくなった。だけど部活終わりや休日に小屋に集まって仲良く遊んでた。俺達は体格や身長がすごく変わったが小屋だけは全然変わってなくて小学生のころのままだった。
まるで時間がここだけとまってるみたいだった。あえて変わった所をあげるならなにも置いてなかっ本棚にジョジョの奇妙な冒険が並んでることくらいだ。多分るろうに剣心もあったと思う。よくジョジョネタで盛り上がってた記憶がある ある初冬の日、小屋で「もうすぐ小屋に来られなくなるねー」とか話してた。上で書いたみたいに冬は親が山への立ち入りを禁止するからだ。このルールは三人の家共通だった。あいかわらず俺と寺木がジョジョみながらお菓子食ってると東が「冬ここであつまらね?」って提案してきた。もちろん行きたいが両親が反対するしなにより寺木のお袋はシングルマザーだ。女手一つで寺木をここまで育ててきた。寺木のお袋も心配する。俺はやめとこって言ったけど寺木が「いいね、集まろうぜ」って賛成した。驚いて理由を聞くと寺木は過保護なお袋をうざがってたんだと。そういう時期だし俺も親に反抗して大喧嘩になったことは多々あった。さっきもいったが寺木のお袋は過保護で常に寺木の財布や携帯の中を確認されるのは俺と東は知ってたし真面目な寺木も無理はない。それが理由なのか寺木は愛知の寮がある高校を志望していた。 すまんちょっと用事はいった。一回落ちるね、IDかわるかもしれんけどそこは勘弁な 最近洒落怖荒らし多いね
面白くもない話をageるやつばっかでつまらないわ >>704
自分で建てたスレから注意されて来たんやな偉いわ 戻ってきたで小屋の人です。続き書きます。
東と寺木が賛成したのもあって俺も行くことにした。正直俺も親と不仲だったのもあって少し反抗したくなったんだと思う。三人が賛成したことで残りはどうやって親を出し抜いて小屋に向かうかだった。そこで寺木は提案してきた。寺木は俺たちの中で1番頭がよかった。寺木は「俺はお袋に1の家に泊まりに行く。東は俺の家に泊まりにいく。1は東の家に泊まりにいくって言えばいい。」って言った。おれと ややこしくなるのでこれから友達が言うときは俺のことを1にします。
俺と東は賛成してそれを実行した。冬の時期にお泊まりに行くのは毎年の恒例だし、そこまで親も気にせず楽しんでらっしゃい、って言って普通に許可してくれた。このとき仲間と夜冬に小屋に行ったことを悔やんでも悔やみきれない。行かなければよかったと毎年この季節がくるたびに思います。 当日、俺と東、寺木は近くの公園に集合して山に向かいました。ホッカイロとお菓子、懐中電灯と渓流釣りしに行くときにつかうアウトドアナイフをリュックに入れて山道を歩きました。夜でくらいのと寒いのが相まっていつもは30分でたどり着けるはずが1時間近く掛けて小屋にたどり着きました。みんな不安と好奇心で胸がいっぱいだったとおもいます。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています