>>917
近日起きることを霊視します。
渙其躬。
力のある人(=躬)に助け(=渙)を求めて
窮地を脱出。

近日起きることの霊視は、
あらゆる現象が自分の魂に対する神の特別なはからいからくる。
完璧な霊視の姿勢は、
「私」が大気のようにかすみ感覚的対象が別々に孕み反応する余地がなくなる。
復活再生の周期に入るために、
一秒たりとも一つの事を信ずることができないのが人間であるが、
霊能者は、一秒、次の一秒に従って
たゆみなく信念の中身を出し、新たに出てきたエネルギーを、
必然的でないものと反流的でない自己愛に
向って注ぐことによって、
個人は反霊性を無効にし大気のような私の領域へと
到達する。これらのもたらす力は、昔の人達にとっては人間以外の未知なる領域から
やってくるものであった。その力がもともと人間に属しているものであることは、
長い間知られることがなかったのである。その偉大な力を自分にも分け与えてもらおうと、
霊能者は様々な工夫をこらし、涙ぐましい努力をしてきた。
神に祈り、霊を鎮めた。深山に長期間籠り、断食、荒行などの激しい修行をした。
それらによって人間の心の中にある神意識の存在を知り、それとコンタクトすることに成功した行人もいた。
しかし、それらはあくまでも例外中の例外であり、多くの人にとっては畏怖の対象でしかなかった。
神意識とコンタクトができた霊能者は、無限の視覚をえる。
見ることが玄であってはならない。見るもの全てが神の啓示なのだから。
絶対的意識は、無限空間と同じく、限界を持っていない。