器と言う概念を介入されることで、目に見えない次元への理解を深める
様々な教えがあるとしても、着く先は同じだ
教えというのは道を歩む上での地図(ナビ)のようなもので
それに囚われ過ぎるとかえって害になるんだよ、実際歩いてみないとわからない
地図だけ後生大事にしてても意味はない