今から約30年前、宮ヶ瀬の虹の大橋での恐怖
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今日、たまたまYou Tubeで見付けた虹の大橋の動画で思い出したので、当時の恐怖体験を誰かに聞いて貰えればとスレ立てしてみた。
スペック
神奈川県産まれ
幼少のときから霊感は少しある
中肉中背で基本は力使う仕事の男
他にスペック聞きたいことがあれば話せる範囲で話す
何故、スレを立てたかは色々疑問が残ってるから。
文才は無いし、突発的に書きたくなったので書き溜めていないことを考慮して聞いて頂きたい。
因みにガチな話しなので、安易にそのような場所へ行かないよう、お願いします。 若い衆、彼女の彼氏が書いた絵は彼女が見たそのものだと言った。
四人は焼け焦げそうなホットプレートの肉や野菜を拾い上げながら、無言の空間が続いた。 そこで堰を切ったように、その彼女は言葉を発した。
「同じものを見たとき、雨は降ってなかった、でも霧が凄くておばぁちゃんに外に行っちゃダメだよって言われてた」
そこでペンキ屋親方の奥さんが仕事から帰ってきた。 ペンキ屋奥さんは看護師で以前から病院で心霊現象を話すひと。
すると、帰宅したばかりの奥さんは
「あんた達、どこに行ったのッ!」って
突然買い物袋やバッグをおろして、キッチンへ行き塩を握りしめると玄関で
「ごめんなさい、お許しください、」
と呟いていた。 ペンキ屋親方は、その様子を見て
「仕事だったから行ってきただけたぞ」
って言い聞かせるように玄関の奥さんに近付いた瞬間 / `ヽ
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i.ラ=ヽ、――――――――― ―――――――――‐,..-ク2―i
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.,' |=三ミー--‐‐‐-‐、,.>ーと'''ー'''´く'ヽイ'´`゙''''‐'''‐-==-、--‐‐---‐''´テ≡=| ',
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. |. ..| { 〉 ._. 〈. } | | 泣けるほど文才ないのがリアルでいい
しかし気合入れないと読む気にならんな
予測変換の脳内作業が大変だわ >>122
長文じゃないから、怒られてるのもあるけど、 >>125
ありがとう、理解し辛いのに読んでてくれて。 もっとdisってくるひと居ると思ったけど、みんな聞いてくれてありがとう。 どちかというと
あそこらへんは幽霊のイメージより
走り屋とドリ車と
走り屋を潰す凶暴で変なのしかいないイメージだった思い出 深夜に橋に行くとワゴン車で橋の両方塞がれて、車と女奪われるって聞いた。
夜中に宮が瀬行ったことはないけど。
どうしみちなら何度か 虹の大橋地元近いから何度か行ったことあるけど、雰囲気あるし、昼間で窓開けて走ってても悪寒止まらん >って言い聞かせるように玄関の奥さんに近付いた瞬間
ここで連投を中断させて2日以上放置ってなかなかだな >>138
そうなんだよね、近辺に住んでるひと何もないのかな、 >>145
138です。
近くに住んでる人たちに知り合いはいるけど特に何も。確かに怖いとはいう。
ただ、自殺者も多ければそれを冷やかしでくる人も多いって言ってた。
写真を撮ると真っ赤になったりなんか映ったりするから撮らないようにしてる人もいたよ 握りしめていた塩をペンキ屋の親方の顔面に、思いっきり投げた。
それで俺は慌てて奥さんの側に駆け寄り
「ちょ、落ち着いてください」
って出来事を最初から話した。
ペンキ屋の親方は塩を拭いなが怒ってた。 >>147
やっぱり何かありそうですよね、隠された歴史とか、 奥さんに今日あったことを話し終えると、落ち着きはじめ
「あんた達、化物連れて帰って来たんだよ」
そう言った。当時の俺は化物って幽霊だと思ってた。
その化物とは何なのかは近年になってから知ることになったんだけど、
奥さんは、庭へ出て焚き火を始めた。 何かよくわからない物、小皿やお酒を用意して、何かブツブツ言いながら、焚き火に枝を焚べていた。
その光景は、奥さんが塩を投げつけたときよりも怖くて、黙って震えてた。 奥さんは俺たちを睨むような目で
「その紙持ってきて」
と言った、帰ってきたばかりなのに、なんで知ってるのって思ったけど焚き火の炎が大きくなって、
「早く」
そう急かされ若い衆の彼女は慌てて奥さんに渡した。 奥さんはその紙を奪うように手に取ると、焚き火のなかへ放り込んだ。
またブツブツ言いながら。
放り込んだ紙は焼け上昇し奥さんが手で払ったら、バラバラになって散っていった。
「もう大丈夫だから」
そう言うと、いつもの優しい奥さんの顔に戻り、焚き火の消化や片付けを始めた。
俺も手伝った。 手伝いながら、いったいどんな化物が居たのか恐る恐る聞いてみたけど、
「もう居ないから忘れなさい、それと、もうあの場所にたとえ仕事だろうと行っちゃだめよ、」
そんな回答だった。
片付け終わると、奥さんもペンキ屋の親方も、みんなこのことを忘れようみたいな雰囲気で、楽しい話しをしながら呑んだ。 動いてる支援
できれば1日の書き込み終える時に今日ここまでって宣言お願い その日は俺も含め若い衆カップルも、ペンキ屋親方の家に泊めさせてもらえることになった。
翌朝、目が覚めると奥さんは台所で朝食を作っていた。
「おはようございます。」
俺は目を擦りながら挨拶した。すると奥さんはフライパンを振りながら
「うちのから事故のこと聞いてない?」
と聞かれ、まったく何のことなのかわからなかったので
「え、聞いてません」
そう答えた。すると、フライパンを振る手を止め、居間にあるタンスの引出しから新聞を俺に渡した。
「これ見てごらん、うちの人が起こした事故」
俺は、まだ起きて来ないペンキ屋親方と新聞を見ながら驚いた。 >>155
支援ありがとう。仕事がら書いてる途中に電話かかったりとかあって、そのまま寝てしまったことがあるのですが、なるべく今日はここまでを書いていくようにします。 その記事は、本当に凄惨な内容だった。
一家が亡くなった事件、詳しく書くと簡単に過去記事から特定されると思うので、これ以上は言えない。
この事件はニュースで知っていただけに、言葉を失った。 奥さんは、新聞の記事を見つめるしかできない俺に
「一生償っていかなきゃならないからさ、うちのも刑務所から出てきて心から反省してる」
そう言うと新聞をしまい、みんなを起こしに
「朝ごはんだよー」
と明るい口調でみんなを起こした。
俺は複雑な気持ちで奥さんが作ってくれた朝食を食べてた。
今日はここまでにします。見てくださってる方々、ありがとう。 朝食は美味しくて、眠そうなペンキ屋親方を横目で見ながら余計な話しはしなかった。
若い衆もその彼女も美味しそうに朝食を食べていた。
昨日の話しになると、
麦茶が入った容器とグラスを持った奥さんは注ぎながら言った
「見ても見なかったことにしようね、あってもあってなかったことにしようね、」
「あなたたちは関係ないから大丈夫だよ」
笑顔で若い衆カップルにそう言った。
俺のなかでは??の連続だった。 朝食を終えた朝、七時くらいだったかな、俺は自分の現場へ向かうため、その日ペンキ屋の親方に挨拶し、若い衆カップルに何ごともなかったように会話し、親方の奥さんに複雑な気持ちで感謝のことばを言った。
「気をつけてね、」
その心配してくれた言葉が、現実となる。
続き聞いてほしいんだけど、仕事の見積もりやんなきゃで、今日はここまでにします。 >>163
自己レスごめんなさい、文才なくて、感謝の言葉を言ったのあと
奥さんは
です。
おやすみなさい。 仕事もあるやろうし、ゆっくり自分のペースでええから続けてくれ
結構楽しみにしてるけぇの! >>166
ありがとうございます!、今夜も書けるだけ書きます。 ペンキ屋親方夫婦の家を出て、俺は厚木市内の現場へ向かった。
住宅の修繕工事で屋根の軒先を直す作業を始めた。
足場の上で作業をしていると、携帯の着信音が鳴った。
電話に出ると今朝わかれたペンキ屋親方からだった。 電話の向こうのペンキ屋親方は、慌てた様子で、俺にこう言った
「いまさっき、あいつ刺された」
俺は気が動転していたが、誰が誰にと聞いた。
若い衆の彼女が、若い衆を刺したと。
その事件が起こったときに、俺の名を呼び、あいつが悪いと言ってたと。
俺は、彼女に何もしていないし。
電話の向こうから、救急車の音が聴こえてた。
若い衆、彼の身を案じた。 若い衆が刺されたヶ所は、左腕で命は大丈夫だった。
その彼女は警察に連れて行かれたと聞いた。
俺は15時くらいに作業を終え、ペンキ屋若い衆が救急車で運ばれた病院へ向かった。
仕事現場から、車で30分くらいの病院。 病院に到着すると、若い衆が包帯を巻き待合室に居た。隣にはペンキ屋親方夫婦と、若い衆の母親が居た。
「大丈夫?」
俺はそう声をかけた、若い衆は俯いたままだった。
するとペンキ屋親方が、俺を喫煙スペースへ連れていき、事の経緯を話し始めた。 俺がペンキ屋親方の家を出たあと、昨日の話しをその彼女がまた始めてしまい、もうその話しはやめようと皆で宥めていると、突然怒り出して、
「○○が悪い!○○には化物が憑いてる!」
○○とは俺のことで、そう言って暴れ出したと。
若い衆が、暴れる彼女を抑えたら、ものすごい力でそれを振り払ってキッチンにあった果物ナイフで若い衆、彼を刺したと、ペンキ屋親方は言った。
お、俺に、バケモノ???
そのとき、放心状態だった。 そんな俺に、ペンキ屋親方は
「○○に化物なんて憑いてないよ、憑いてるとしたら俺かもな」
そう言うと、ペンキ屋奥さんに聞いた、あの事件のことを親方は自ら話し始めた。
当時のこと、服役中のこと、それから今までのことを全て俺に聞かせてくれた。
そして反省してることも。 俺はいろいろ考えた。あの時、クソガキの時に化物を連れて帰り、その化物が今も側に居るんじゃないかとか。
俺はいろいろ本当のことを話してくれたペンキ屋親方に
「化物は彼女が言うように、俺かもしんないから、明日お祓いに神社へ行ってくるよ」
ペンキ屋親方は頷いた。 翌日俺は、毎年初詣に訪れていた寒川神社へ行き、お祓いをして頂いた。
それから、俺も自分の仕事が忙しかったのもあるが、ペンキ屋親方と疎遠になっていた。
あの日からたぶん2ヶ月くらいたった頃だと思う。
現場で知り合った設備屋さんが、ペンキ屋親方を知っていて、その後どうしてるのか、刺した彼女はどうなったのか話してくれた。 その彼女は一週間くらいで、留置施設から出たらしく、彼と暮らしていると。
俺は知らなかったが、その二人は何度も喧嘩騒ぎをおこして警察沙汰になっていたことを聞いた。
ペンキ屋親方夫婦は普通に暮らしていると聞き、それは安心した。
そして、あの時の話しをすると、
「俺、みえるんです。7人」
7人???俺は意味がわからなかった。 今日はここまでにして寝ます。
見てくれてるかたありがとう。
おやすみなさい。 寒川神社は地下がダンジョンみたいになってるんだぜ
一般人は入れないけど >>180
やっぱりそうなんだ、そうじゃないかとずっと思ってた。
伊勢神宮の地下はピラミッドの内部構造と同じという話しを聞いてたから。
自分の目で見たわけじゃないから、本当かどうかはわからない、ただ戦後に隠されていたものは間違いなく見て聞いて知ってる。
それについては話しの途中で書きます。 設備屋さんに聞くと、俺に7人の霊が憑いてると、でも悪さをするわけでも無いと、
俺は複雑な思いで後ろを振り返り、見回した。
設備屋さんに詳しく聞くと、5人は虹の大橋で亡くなったかたで、2人はよくわからないと言った。
俺は半信半疑ながら左肩に重さを感じていた。 言われたその日から、一人では無い生活が始まった。 厳密に言えばあの日から俺一人と7人。
なんで俺に憑いてるのか、成仏して天国へ行かないのか、毎日そんなことを考えてた。 それから2年くらい経ってからかな、大好きだった母かたの叔父さんが亡くなった。
首釣り自○だった。
そんなことする叔父さんではなかったし、甥っ子、姪っ子には一番好かれてた叔父さんだったのに。 葬儀のとき他の叔父や伯母やらは、亡くなった理由について、話してた。
「あのおんながわるい」
何故かその時、俺の事を言われているような気持ちになった。 そのおんなとは、叔父さんが亡くなるまで付き合っていた人らしい。
そのおんなの仕事は生命保険の勧誘。
俺はそれを聞いた瞬間に耳元で、はっきり聞こえた、横には誰も居ないのに、
「バケモノいるよ」
と、 家系が呪われてるのか、俺が化物を連れて来てしまったからなのか、わからなくなって怖ろしかった。
今日も聞いてくれてありがとう。
言葉ではもっと話せるんだけど文章って難しいね。
おやすみなさい。 スレを立てようとしたきっかけになった動画ってYouTubeで検索かけたら観られる? >>190
まとめてくれる人も文才無い俺だから大変だと思う、ごめんね もう少し詳細に話すけど、その叔父さんは機械に長けてる人だった。
子供の頃、その叔父さんに会うのは盆暮れ正月、親戚同士が集まる時期だけだった。
その叔父さんは気さくで、俺を含めた甥っ子や姪っ子に好かれてた。
子供ながらに、叔父さんがくれるお年玉も高額だったのもあるけど、叔父さんは子供達が好きだったんだと思う。
実際に当時の叔父さんは子供達に夢を与える仕事をしていた。 叔父さんが亡くなったあと、叔父さんが暮らしていた借家へ遺留品を両親、親戚数名で片付けに行った。
平屋の借家で閑静な叔父さんの家は庭も手入れされてて、何故自○するようになったのか不思議だった。
今まで自暴自棄になった人は今までも見てきたけど、それと違うと今は思う。
室内に入ると、いろんな物があるもののきちんと整頓されてた。
玄関からまっすぐの所の居室に飾られた額に入った写真が俺の目に飛び込んだ。
その写真に写るの笑顔の叔父さんと知らない女性だった。
でもそこに写る女性は赤いモヤみたいに包まれていて、身長や体格がわかる程度だった。 その写真を親戚は他の遺留品と黙々とダンボールに詰め始めた。
その時に一緒に片付けに来てた伯母が
「あのおんな」と
吐き捨てるように言ったのを覚えてる。
その日のうちに室内の遺留品を片付け、清掃をし帰宅した。 帰宅して、俺はお袋に聞いた。
「なんで叔父さんは○んだの?あの写真に一緒に写ってた人は誰なの?」
お袋は涙を浮かべて答えてくれた。 まず、一緒に写る女性は知らないと、亡くなる前に当時付き合ってる女性が居たのは聞いてたと。
俺はその時見た赤いモヤの女性の写真が恐ろしいものだと認識した。
「実はね、」
お袋は話し始めた。 ここから戦後の関東の話しになるんだけど、お袋からいろいろ話しを聞いたんだ。
ほんとゆっくりで申し訳ないけど、これからも書きますのでよろしくおねがいします。
今回も見てくれてありがとうございました。 「お爺さんが、亡くなった叔父さんが若い頃に初めて連れてきた彼女との結婚を絶対にダメだ!」
と拒絶したのが始まりだったらしい。
叔父さんは家を出た、というか口論になって勘当され、一人暮らしを始めたと。
俺のなかでは、と言うか温厚なおじいちゃんという認識だっただけに、驚いた。 >>201
これからも、ゆっくりで申し訳ないけど、見てくれてありがとう。 ただ、お爺さんの家は立派で額に飾られた古い絵や、お爺さんの若い頃の写真、そして額に入った数々の勲章。
ガキだった俺にはそれが何を意味するものかとかより、田舎な場所で、虫を摂ったり畑や田んぼを走りまわることしか考えてなかった。
俺の母親は話しを続けた。
「お爺さんはね、戦争から帰ってお前がわかるように無口になったんだよ、でも私はその当時産まれたばかりだったから、ことを兄や姉から聞いたんだ」
お袋は兄が二人の弟一人の四人兄弟、亡くなったのは末っ子で、お袋は可愛がってたらしい。
お袋はいつも、亡くなった叔父さんのことを、俺の前でさえも○○ちゃん、○○ちゃんって呼んでたから、俺も同じように叔父さんに話しかけるときにそう呼んでた。
優しい叔父さんだったから、思い出すと目が潤むや、 その時、化物の話しを思い出した。
なんでこうなったかお袋にあらためて聞いてみた。
「わからない、でも○○ちゃんお爺さん見返してやろうと、お金はいっぱい持ってたからね」
俺はさらに聞いた、亡くなった当初、その保険屋の彼女ともまだ付き合ってたんでしょ、と
「そうみたい、でも部屋を片付ける前に、事件性が無いか警察が部屋を調べたらしいんだけど、何も事件性のあるものは見つからなかったみたいで、遺書もね」
ガキの俺にも理解できなかった。 ガキの俺ながらに、納得出来ず
「なんで警察は身内が入る前に叔父さんの家に入り自○って言ったの?その女ははどこにいんの?何て言ってんの?なんで遺書がねぇのさ!」
強い口調でまくし立ててしまい、
お袋は号泣しながら
「○○ちゃん、ごめんね、ごめんね、守ってあげられなくて、」
俺は泣き崩れるお袋にもう何も聞くこともできなくなり、バイクで出かけた。 バイクを走らせながら、いろんなことを考えてた。
気が付くと国道136線の七里ヶ浜に居た、そこは何故かバイク仲間とよく行った場所で、江ノ電が終電を迎えると物寂しく感じる場所。
でも俺はこの場所が好きだった。
ぽつんと一台だけある自販機の前にバイクを停め、いつも買ってたミルクティーを手に海岸へ降りた。
波は静かで薄曇りだった。
俺はミルクティーを握りしめて砂浜に座った。
「ごめんな」
確かに叔父さんの声だった、俺は辺りを見回したが、その姿は無かった。
腑に落ちない気持ちが込み上げ、俺は誰も居ない砂浜で号泣してた。 俺は、涙を拭き落ち着きを取り戻すと、波打ち際にいる数人の若者の姿が目に入った。
涙で霞んだ目を凝らし、なんでこんな時間にと不思議にと思いながら見ていると、着てる服が当時のものでないことに気付いた。すると、
「ばけもの」
耳元で確かにそう聴こえて、俺はとっさに立ち上がり、国道へと砂浜を走り始めた。
半信半疑ながら足を止め、振り向くとその若者たちの姿はもう無かった。
僅か数十秒のはずなのに、海に流されたりしてたなら、助けを求める声とかするはずなのに、海の上で溺れてるなら、一人くらい目視できる月夜なのに、一切確認出来なかった。 この後、どうなったのかはまた後日書きます。
けど、余談ですが、この場所に安易に行かないほうがいいです。
何故なら何度も俺は水難事故を目撃した場所だから。
5年くらい前にも消防やレスキューが砂浜を数人でタンカで運んでる現場を見てるから。
翌日死亡事故のニュースになってた。
このスレを見てくれてるひとの中で、海に詳しくない人は知らないだろうけど、一見砂浜でビーチな感覚で波打ち際から入ると、たった数メートルで突然足が付かなくなる深さがある海岸、遠浅があるんだ。
昼間、潮の満ち引きで確認できるけど、夜間ならまずわからない。
遊泳禁止な場所はそういうとこ。
余談だけど、気をつけてね。
おやすみなさい。 俺は国道に上がり、歩道のロープに両手をかけて、さっきまで居た自分の場所と海を見た。
その若者たちの姿は砂浜にも海にも見えず、バイクへと戻った。
理解できないことがあったから、理解できないモノを視たと自分に言い聞かせた。
七里ヶ浜から逗子あたりまで、バイクを走らせながら、過去に聞かされた話しを思い出していた。
その時に思い出して行ったのが逗子の小坪トンネル。 地元では有名な心霊スポットで、俺も何度も友達と訪れた場所。
俺が先輩や友達から聞いた話しは信憑性が無いものの、とても不思議な体験ばなし。
俺が聞いた話しを覚えてる範囲でする。
小坪トンネルの上に火葬場がある。
女性の幽霊がフロントガラスに現れた。
走行中なのに突然リアガラスをバンバン叩かれた。など
けど一番恐かった話しは。 親しかった先輩が、車で小坪トンネルへ入った。
助手席に先輩の同級生、後部座席に学年がひとつ下の後輩一人。
3人とも男性。
トンネル内へ入って運転する先輩は左足に違和感を感じたらしい。
先輩は
先輩「おい、俺の足見ろよ」
助手席先輩「は?」
後ろ後輩 「どうしたんすか?」
先輩 「いいから見ろって」
助手席の先輩も後部座席の後輩も、言葉を失ったらしい。 運転する先輩の左足首に、手首から先だけの青ざめた手が鷲掴みにしていたのを、二人に見てもらった。
二人はそれをはっきり見てしまい、パニック状態だったと。
先輩はオカルトとか、霊とか信じないタイプだったから、不思議だなと思いつつも
「大丈夫、今日は帰るか」
と言ってトンネル内でUターンをし帰ったらしい。
その話しをその先輩から聞いて二ヶ月か三ヶ月後。 その先輩は亡くなった。
バイクでの単独事故だった。
時系列がわかりにくくてごめんなさい。ほんとは何年何月くらいは覚えてるんだけど、うまく纏められなくて。
時系列というより、俺の中では昨日のように思える。
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