それでは、これらの事からなんと言えるでしょうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、 だれがわたしたちに敵対できるでしょうか。

ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、 どうして、 神の御子といっしょに

万物をも賜わらないことがありましょうか。 だれが、神に選ばれた人たちを訴えるのですか。 神は彼らを正しい者と認めてくださるのです。

だれが、わたしたちを罪に定めるのですか。

キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえり復活されて、 神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなしてくださるのです。

だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、 飢え、裸、危難、剣ですか。

「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。

しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において圧倒的勝利者となるのです。

わたしはこう確信します。死もいのちも、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 高いものも深いものも、

その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにある神様の愛から、 わたしたちを引き離すことはできません。

(ローマ人への手紙8:35-39)