どえらい怖い話
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あったんです。あの、十何年前に使ってたダイヤル式の黒電話です。しかも、
電話機の上に、透明なプラスチックでできた箱が被せられてあったんです。
「これはなあ・・・」先輩は少し言葉を濁し、「ごくたまに、そうだな、年に数回。
これに電話がかかってくることがあるんだ。そしたら、俺らがいる場合は
俺らがとるから気にしないでいればいいが、もし一人のときだったら、
このプラスチックのケースを持ち上げて受話器をとってくれ。
で、いいか、こっからが重要なことだが、相手が出て何か言っても絶対
受け答えするな。絶対だぞ。そのままダイヤルで11を回すんだ。内線で、
しかるべき部署につながることになってる。そこまでやったら、
すぐ電話は切るんだ。いいか、わかったな」こんなふうに言われたんです。
先輩はさらに続けて、「どういうことか、理由を聞きたいだろうが、
答えられない。とにかく今 言ったようにしてくれ。
これは命にかかわる重要なことだって理解してくれればいい」って。まあ、
それは不思議には思いましたよ。ですけど、いつもくだけた調子の先輩が、
そのときは真顔だったんで、大切なことなんだろうとは思ってました。
で、それから少しずつ仕事を任せられるようになっていって、3ヶ月
くらいしたら、服飾メーカーの人と打ち合わせなんかもするようにりました。
仕事は面白かったですし、編集部に泊まり込むのも苦にはなりませんでした。
その間、黒電話は1回も鳴ることはなかったんです。それでですね、
もういっぱしの編集部員になったつもりでいた11月のことです。
まだ校了期間ではなかったんですが、少し面倒な記事を書いてまして、
さっき話した先輩とは別の、山根さんって先輩といっしょに、 夜の11時過ぎまで編集部に残ってたんです。夢中でパソコンを
打ち込んでいると、山根さんが声をかけてきて、「腹減ったからコンビニで
夜食買ってくる。お前も行くか?」って聞いてこられたんで、「いや、いいです」
って答えました。それで、山根さんは出ていって僕一人だけになりました。
でも、他の編集部には残っている人がいっぱいいましたし、ビルの入口には
朝まで警備員が詰めてますから、心細いなんてことはなかったんです。
で、仕事を続けていると、リリリリリリリリ という音が聞こえました。
これは、今の電話の呼び出し音とは明らかに違ってて、
「あ、あの黒電話じゃないか!」ってすぐに思いました。立ってそちらに
向かうと、やはり電話が鳴ってました。先輩に言われたことを思い出し、
プラスチックのケースをよせ、受話器を取ったんです。
ジジジという雑音のような音が聞こえました。そして少しの沈黙があり、
「・・・スダの家内です。スダはおりますでしょうか」という、
年配と思える女性の声が聞こえました。それが、なんとも言いようがない、
暗く沈んだ声だったんです。内線を回さなきゃ、たしか11だったよな。
そのときです、何も話すなと先輩に言われてたんですが、ついうっかり、
「ちょっとお待・・・」までの言葉が口をついて出てしまったんです。そこで
気がついて声を飲み込み、1のダイヤルを二度回してから電話を切りました。
そしてプラケースを戻そうとしたとき、背筋をぞくぞくっとするものが走ったんです。
「暗い」と思いました。蛍光灯はすべてついていましたが、すごく暗く
感じたんです。自分の机に戻ろうとして、もう一度黒電話の机を見たら、
真っ黒い煙のようなものが、机の前にあったんです。 煙はもやもやと渦巻きながらだんだん濃くなって、
人の形になっていくように見えました。「え?」それから目が
離せなくなてしまいました。煙はもう真っ黒い人にしか見えなくなって、
立った状態だったのが、ゆっくりとうずくまり、床に倒れました。
そして転がりだしたんです。のたうち回っていると言えばいいか。
でも、激しくもがいてるように見えるのに、音はしませんでした。
僕は怖くなって後ずさりし、よろよろと自分の机に座りました。
すると、パソコンのキーが カカカカとひとりでに音を立てました。「ええ?」
デイスプレイに「心臓」という言葉が出てたんです。そのとき、
刺すように胸全体が痛くなりました。同時に息が苦しくなったんです。
僕は大きく口を開けて息を吸いましたが、もう座っていられませんでした。
胸を押さえて床を転がりましたが、そのとき、ああ、さっき見た黒い影と同じだ、
って思ったんです。 「おい、どうした!?」山根さんの大声が聞こえましたが、
覚えてるのはそこまでです。次に気がついたときには病院のベッドにいました。
ええ、救急車で搬送され、気を失っている間にカテーテル治療というのを
受けたんです。急な狭心症、心筋梗塞の一歩手前ということでしたが、
それなのに心臓の動脈には硬化などの症状は見られなかったということで、
これは担当の医師の先生方はみな不思議がっていましたね。
病院には、編集局長はじめ編集部の先輩が見舞いに来てくれたんですが、
誰も黒電話のことは口に出しませんでしたので、
僕も何も言いませんでした。でも、こうなったのはあの電話のせいで、
それも僕が受け答えしてしまったためだってことはわかってました。 入院は3日ほどで済みましたが、編集局長から「しばらく休んでいいから」
と言われ、1週間後に出社したんです。ええ、あの黒電話はそのままありました。
ただ、それまで作りかけだった雑誌の内容がすべて消えてしまったということで、
大急ぎで作業をやり直している最中でした。パソコンのシステムが落ちて、
データがみな消えてしまってたんです。バックアップはあったんですが、
それもダメで・・・これも自分のせいなんだろうと思いましたが、
文句を言う先輩はいませんでした。ですけど、しばらく身の置き所が
なかったですよ。あと、床や机の上に細かい白い粉が落ちていました。
物をよせて拭き取った跡もあったんですが、取りきれないで残ってたみたいです。
はい、その白い粉が何なのかもわかりません。ただ・・・あの黒電話は
ホントにヤバイ、触れてはいけないものだったんだってことはよくわかりました。
話はだいたいこれで終わりです。もちろん何があったかってことは、自分で
こっそり調べましたよ。ネット社会ですからね。検索すればいろいろ出てきます。
かつて会社で、20年以上前に須田って人が仕事中に亡くなってるみたいでした。
そのときは、今 自分がいる雑誌の編集部ではなかったみたいですけど。
で、過労死かどうかで裁判になってたみたいなんですが、
その最中に残された須田さんの奥さんも亡くなってて・・・
これは自殺なのかもしれませんが、そこまではわかりませんでした。
それで、あの電話ですね。もしかしたら須田さんの奥さんからかかってきたもの
じゃないかって思うんです。あれ、たぶん死者の声だったんですよ。
なんで黒電話がそのまま残されてるのかもわからないですけど、
おそらく撤去できないんじゃないかと思います。こんな話なんです。 神職養成所に在学中です。あれ、在学って言葉でいいのかな。
私は女子ですが、巫女さんじゃなく、正式な神主を目めざしているんです。
アルバイトの巫女さんなら、ちょっと研修を受ければなれますけど、
正式な神職の資格は、養成所で2年間学ばなくては取れないんです。
そうですね、専門学校みたいなものです。
うちの場合は、跡継ぎの男子がいなかったため、
長女の私が神社をまかせられる予定でなんです。養成所で学んでいる
人の数自体が少ないんですが、私の他にも女子はいますよ。先日、
夏休みの間でしたけど、私を含めた女子3人でアルバイトをしたんです。
ここで話しても大丈夫かって? いえ、別に禁じられたりはしてませんし、
どうせ話しても誰も信用しないような内容ですから。
ほら、全国的に有名な花火大会があるでしょう。そうそう、それです。
あれに関したバイトでした。毎年うちの養成所に依頼が来るんです。
それで、中から私たちが選ばれて派遣されたということです。
特殊能力? うーん、たぶん必要なんでしょうね。私自身は
特別なことをしたとは思いませんが、養成所のメンバーはほとんどが、
何らかの普通の人は持たない力を備えていますので。
3人とも今回の参加が初めてでした。新幹線のチケットをいただきまして、
花火大会が行われる前日の朝に、そこの土地に着いたんです。
それですぐ、県の神社庁に顔を出しました。大会には神社庁も総出で
協力しているんですよ。それから世話役の神職さんの車で、
会場に近い山の中の小さなお社に向かったんです。 ススキがぼうぼうに生えた中に、朽ちかけた細い鳥居が立っていて、
その奥には拝殿はなく、注連縄が上部にかかった洞窟がありました。
そこの前の草が四角く刈ってありまして、そこで仕事をしたんです。
巫女さんの装束に着替えさせられました。道具はですね、
まず御神鏡、これは古式の銅の鏡で、紐で吊るして使います。
それと丸三宝といって、ほら、御供物などをのせる台がありますでしょう。
あれは四角いのが多いんですけど、その丸型のものです。
これが2つで、それぞれ一人が担当します。陰・陽とあるうちの、
私は陰のほうを受け持ちましたが、これが一番重要な御役目なんです。
いえ、本来は陽のほうが大切なんでしょうけど、陰のほうが
さまざまな危険があるんです。どういうことかは、これからお話します。
バイト料ですか? あ、はい、奉仕料は一人10万円でした。
実働3日間ですから、多いと思われるかもしれませんが、
古来から行われている御役目ですので。うまくできないと花火大会に
影響しますから、けっこう必死でした。さっき危険があるって言いましたけど、
20年ほど前には食べられてしまった子もいたという話です。
誰に食べられたのかって? それを今、順を追って説明してるとこです。
それで、夕闇のころになるまで、その場で待機してたんですが、ヤブ蚊などの
虫が多くて嫌でした。巫女さんの装束は虫にはさされにくいんですけど。
私たちの他に、地元の位の高い神職の方々が10人ほど詰めておられました。
何かご無礼などの問題が起きたときに対処してくださるためです。
7時を過ぎまして、そろそろ最初のお客様が見えられてもいい時刻です。 3人で緊張して待っていました。私は丸三宝を草の上に置きまして、
いつでも持ち上げられるように、準備していたんです。三宝の上に何があがって
いたと思いますか? さすがにわからないと思います。
陽の三宝には御神餅で、これはそうですね、八ツ橋というお菓子に
やや似ています。私の持っているほうは、ナマズの干したものだったんです。
ええ、あの川とか沼にいる魚のナマズです。その細長く乾いたやつが20尾ほど。
「そろそろ来られるようだぞ」神職の方が声をかけられまして、そうしたら、
注連縄のかかった洞窟の入口が、貝の裏側みたいな虹色に変わったんです。
普段は奥行き5mくらいの、洞窟というより洞穴みたいなところで、
奥に祭壇があるだけなんですが、その高さ2mほどの入り口が、
ベールがかかったようになりまして。
そこを通られて、最初のお客様がご出現になったんです。
背の高いお方で、3m近くはあったと思います。緋色の長絹姿で、これは神職の
水干とやや似ていますが、もっと古式のものを召していらっしゃいました。
お顔も真っ赤で、猿田彦様の面にそっくりのお姿でおられたんです。
それは緊張しましたよ。なにしろ神様なんですから。前もって説明を受けていたとおり、
御神鏡を持った一人が前に回って、やや離れたところに立ちまして、
三宝を持った私たちが、近づいて両脇に。ええ、神様の身長が3mなので、
私の頭は腰のあたりまでしかないんです。
その神様はちょっと逡巡したような素振りでしたが、右手を伸ばされて、
2つの三宝のうちから御神饌のほうを取られたんです。
鏡を持っていた仲間が中を覗き込んで、神職の方にうなずきかけました。 それで、その神様は神職の方のご案内で川向うの花火会場のほうに連れられて
いったんです。何のためにそんなことをするのかって? 今、説明します。
その後、1時間のうちに3柱の神様がご到着されまして、
どのお方も三宝は御神饌のほうをお選びになられたんですよ。そして4柱目の
お方です。これは背の低い神様で、小学校1・2年生の身長でしたが、
でっぷりと太られていて、存在感はおありになりました。三宝を出しますと、
初めて御神饌ではなくて私の奉じていたナマズを取られたんですよ。
下から手を伸ばされたときに、生臭い臭いがぶわっとしました。
手にとったナマズを、その場でベロンと舌を伸ばして舐められまして、
そのとき猫に似たお顔の両頬から、ピンと長いヒゲが伸びてきたんです。
それが私の腕に触って、ぴりぴりと電気が走った感触がありました。
そしたら御神鏡を持った仲間がまたうなずきましたので、
神職の方が寄ってきて深々と礼をいたしまして。この神様は花火会場には
ご案内はされないんです。すぐ近くに別の洞窟がありまして、
その中に宴席が用意されているんです。御神酒が何十樽も、
それから撃ちとめられた鹿が数十頭、それをお供え申し上げるんです。
その後、零時までに20柱ほどの神様がお見えになりました。
キリンのように首が長い方、紙雛としか見えないお顔の方、海老の顔の方、
牛を連れた方かと思いましたが、牛に似たほうが神様で、
その手綱を引いているのが従者・・・とにかく様々な神様がご到着なされまして、
その中で花火会場ではなく洞窟に案内された方が2割ぐらいでしたね。
御神鏡は何のためにあるのかって? あ、説明し忘れていました。 >>145
創作だと分かってても、
怖すぎる、、、。:(;゙゚'ω゚'): 神様の中には正体を隠されて、わざとナマズを取らずに御神饌のほうを
取られる方がいて、そういうときには御神鏡が汗をかいて曇るんです。
そのための役目でしたが、今回、それはなかったんです。こうして到着された
神様方は、花火会場に案内されたり、洞窟の宴席に案内されたり、
その選り分けのお手伝いをするのが私たちの役割だったんです。
え、何のために選り分けるのかって? それは、宴会場に案内された神様が、
邪悪だとか位が低いとか、そういうことではないんですよ。
ただ・・・その神様が会場におられますと、雨 が 降 る んです。
これは花火大会には大敵でしょう。ですから、別におもてなしするということです。
翌日は神様方のお世話をしながら、私たちも大会を見物させていただきまして、
それはきれいでしたよ。3日目に神様方をお送りして、それで御役御免になりました。
おわり 今はもうコンクリートの護岸とテトラポッドに埋め尽くされてしまいましたけれど、
そこらの浜がまだごつごつした険しい岩礁だらけだった頃の話ですから、
もう40年以上も前になります。当時は、あの岬の突端には
小さな神社があって、かえし神社と呼ばれておりました。この港の有力者が
代々神主でしたが、ふだんから常駐しているわけではありません。
場所が場所ですから台風の度に大破して、修理をするのは毎年のことでした。
ですから神社の社殿は、新しい木、古い木であちこちつぎはぎだらけになり
お世辞にも立派といえるものではありませんでした。歳の例祭は一度だけ、
お盆直前の8月12日の夜から未明にかけて行われました。
これに出ることができるのは限られた者だけで、
そもそも行われない年のほうが多かったでしょう。
なぜこのお祀りが行われるのか、誰もわかっているものはおりませんでしたが、
その浜一帯が呪われているからだ、という話はありました。
わたしも、このお祀りに中学2年のときに一度だけ参加したことがありまして、
そのときの話をしたいと思います。
朝からばたばたと風が強く、波も高くうねっておりました。
とはいえ南国ですので、気温は高く、
むしむしとした日であったと記憶しています。
今回のお祀りに参加するのは、わたしのところも含めて4家族で、
人数は15人内外といったところでしたか。これは例年になく多いほうです。
この日は、朝から精進いたしまして、生臭ものは一切食べません。 それからお盆の先祖をお迎えする準備というのもいたしません。
それはこの祀りが終わってしばらくたってからになります。
昼過ぎになると神主を務める浜の網元の屋敷に一家そろって顔を出し、
酒焼けした赤ら顔に装束をつけて神妙な様子の親方に、
軽トラに積んできた酒、米、塩をそれぞれ一斗ずつさしあげ、
その代わりに護符の束をいただいてきました。
護符は今夜の祀りになくてはならないものなのです。
その帰りがけに岩場に寄りました。
父親が、「ひとり十ほど、手頃な石を選んどけよ」と言ったので、
自分と母親、それに80歳を過ぎたばあさまも、
握りこぶしより少し大きめの岩を拾ってそれぞれ籠に入れました。
祀りの手順については何度も説明を受けていたのです。
ばあさまはもちろん、母親も持てない重さになったので、
その籠は父親がトラックに積み込みました。
そのあと家に戻って禊ぎをしました。当時はまだ、
井戸水を使用していましたので、自分と父親は庭にたらいを出して、
母親とばあさまは風呂に水をくみ入れて身を清めました。
そのまま白装束に着替え、夕飯は食べずに夜を待ちながら、
みなで石に護符を米糊で貼りつけました。神社に向かうのは
11時の予定でした。今に家族そろって座っておりましたが、
沈黙にたまりかねたように母親が泣き出したのを、父親が短く強い言葉で
たしなめました。ばあさまを見ると、声を出さずに涙を流していました。 10時半過ぎに家を出ました。朝からの風はいっそう強くなって
きていましたが、この時期に漁に出ている船はありません。
岬の神社までは歩いて20分ほどでした。
父親が石の籠を二つ、わたしが一つ持ってゆっくり歩いていきますと、
神社の前に焚いた篝火が見えてきました。
他の3家族の人たちはもう来られていました。
去年の冬に漁船の沈没があり8人の漁師が亡くなったのですが、
その中でまだ遺体の発見されていないご家族でした。
その他の人の姿はありません。
この夜は外に出てはならないしきたりなのです。父親はそれらの方と
低い声で挨拶を交わし、岬の突端へと歩み出ました。
そこには網元が準備させた、人の頭ほどの岩が十ずつ何列かに並べられており、
父親は、その中のまだついていないものに護符をはりつけていきました。
それから30分ほどして、神主が姿を見せました。
月が出ておりましたので、15mほど下の水面が
かろうじて見える程度の明るさがあり、崖下の岩礁から少し離れた海の中に、
急ごしらえの小さな鳥居が立っているのが見えました。
鳥居から崖の上まで、細い石段が続いていました。
神主は、こちらには目もくれず海面をにらんでいます。
網元としての豪放な顔はもうどこにも見えず、
緊張で頬がひきつっているのがわかりました。
岬の先端に立って、用意してあった榊の枝を上下逆に持って何度か振り、
口に酒を含んで海面のほうに向かって吹きかけました。 おもむろに懐から呪言の書かれた和紙を取り出し、朗々と唱え始めました。
ごうごうと風が強くなってきました。わたしは、
ずっと海の中の鳥居を見つめていましたが、
その下で渦巻く波の中に、何かが見えたような気がしました。
「きなさったぞ!」と神主が叫びました。
「きなさったが、まだだ、鳥居をくぐられてからだぞ、お帰りいただくのは」
海の中から手が伸び鳥居の柱を掌で叩いていましたが、がしりとつかんで
体を引き上げました。亡くなった漁船の船長でした。
水死体でもなく腐敗してもおらず、
全身ずぶ濡れになっている以外は生きたままの姿でした。
船長が腰をかがめるようにして鳥居をくぐり出ると、
その家族たちが崖の上から石を投げ始めました。
もう一人、さらにもう一人が海から出て鳥居をくぐりました。
3家族の十数人が横に広がって石を投げ、外れるものが多かったのですが、
いくつかは頭頂部や背中に当たり、血しぶきが黒く上がるのが見えました。
家族の嗚咽が聞こえてきました。
「もうお帰りください!家族の顔を見て満足されたでしょう。
もうお帰りください」神主が叫び、他のものが声を合わせました。
海面から細い手が出てきました。今年の5月に波にさらわれた9歳の妹です。
父親が半狂乱になって妹の姿を探していた姿が脳裏によみがえってきました。
姿が見えなくなったときの、黄色いワンピースを着ているようでした。 妹がするんと細長い魚のように鳥居をくぐったとき、
父親の投げつけた石が上向きの顔の真ん中に当たり、
たちまち黒く汚れて表情が見えなくなりました。
「お前らも投げろ!あれは本当の○○ではない。そもそも人間じゃない!!」
父親が叫びました。母親が泣きながら石を投げましたが、
かろうじて崖から落ちただけでした。わたしが投げた石は、
斜面を何度もバウンドして妹の左手に当たりました。
ひとしきり手元の石を投げて、4人の死者が石段のいちばん下に
重なってしがみついているところに、
神主が並べてあった岩を転がし落とし、みなもそれにならいました。
岩は階段とその脇を転がり落ち、
死者の一人がそれを抱いた形で海に落ちました。
もう一人も、二つ並んで落ちてきた岩に跳ね飛ばされ、
次に、おそらくわたしが転がした岩が 妹の立ち上がろうとした膝下にあたり、
両手を広げてのけぞる形で真後ろに倒れていきました。
そのとき見えた砕けた顔からは、表情を読み取ることはできませんでした。
やがて最後の一人が海に落ち、海面は波ばかりとなりました。
神主がまた朗々と呪言を唱え始めました。20分ほども続いたでしょうか。
家族たちのすすり泣きがそこここで聞こえ、神主が、
「ごくろうだった、よくやった」とねぎらってまわる声も耳に入りました。
こうして、この年の祀りはとどこおりなく終わったのです。
おわり 洒落怖で長編名作がいくつか書かれてから、物語は長い程いいと勘違いする馬鹿が耐えない >>179
それならお前が1文字で傑作怪談書いてよね。できるよね? なんじゃいこのイライラする怪奇漫画は!!
日野日出志かよ!!
ってか漫画をネットに上げる奴って死刑になるんじゃなかったっけ? >>176
どうやって色んな職業を描写してるのか知らんけどこれが一番よかったかな
石の威力が高いのが気になったわ
口語の使い方が台本チックでネット怪談とはまた違うから変な感じはする >>1よ。その後、単発スレ伸びてるみたいだね(笑)
2.4.6.38.52.88と、二行の短文から長文まで、長さを変えて当たり障りの無い体験談の燃料投下して見たけど、
いい人寄せにはなったろ(笑)
創作とは言え、長文でも書いてくれる人が居るみたいだし良かったじゃないか。
後は、>>1の好きな怖い話を投下してくれる人が増えればいいね。
1つだけ言わせて貰うと、別の誰かと間違えられてたり誤解されるのも勘弁だし書いとくよ。
現行の5chにある「オカルトのみ」で構築すれば、アセスレに改ざんされたコピー貼られてるけどレス番「12」が私。
「12」だけで言えば、私に限らず日本の伝統宗教なんかで言えば、仏教、密教や雑密、古神道、神道、陰陽
その他に霊能関係などは、実際に執り行なえる側にいる人間か、近い者にあたるんだ。
十年、二十年のニワカでも無いし、本職だったり、野に下ってもつながっていて、
両立して未だ暇を見つけては個人的な「行」を続けてる人らだし。
>>111に対しては、「人」違いだよ。不可解スレ→書いた事もないよ。これからも。
>>113に対しては、そりゃネットに無い体験談や奇談なんてのは普通の人に比べれば遙かに見知ってて当たり前なんだよ。
>>114が言うように 「>エニグマとか洒落怖には書かないでね」→書いた事もないよ。これからも。 私らがここを含めて巡回してるのは、コロナ渦にあって動きが滞ってるのもあるが、リモートが増えてる状況を踏まえ、
丁度ここの「オカルト真言蔵」に良いのがあったので使わせて貰うけど、
あらゆる宗教のエソテリックな分野について「霊障から逃れる真言、魔を防ぐ呪文等、
あるいは神仏との感応体験やその方法についての意見交換、自己に内在する霊性を喚起する呪的言葉の模索等」
【禁忌】口伝・奥義にかかわる内容を興味本位で公開することはやめましょう。印契の結び方、特殊な(口伝や奥義の)観想は×」
一例だけど、オカルトなんかではこう言った事が話し合われて情報共有する事が多いし、それよりも、コロナ渦では
特に、経済、金融や世界動向なんかも多く扱うんでね。
こちらのサイト内の情報が流出してないかたまに見回ってるのがメインなんで。
>>1が単独スレとして立ててたが、通りがかりに誰の書き込みも無かったので軽く書いただけで
罵り合いとか争い事とか嫌いだし、君らの邪魔をする気は無いよ。
>>139 創作文、一時、楽しく読ませて貰ったよ。ありがとうね。 >>191
漫画でしか表現出来ない低能
何でもかんでも漫画に置き換える
ど低能漫画脳
死ね >>181
この世の中で一文字で傑作怪談が書ける人間が存在すると思ってんの?
どえらい怖い馬鹿丸出しの返しだな
まんさんかな https:/i.imgur.com/9s69hCg.jpg
https:/i.imgur.com/mJ8iRkD.jpg
https:/i.imgur.com/P8iW2xH.jpg
https:/i.imgur.com/mzmraAM.jpg
https:/i.imgur.com/IgGe9ZR.jpg >>197
>>199
ほれみろ書いたぁるやないか!!
こういう気色悪い字も怪談なのだ!! >>200
漫画でしか表現出来ない低能
何でもかんでも漫画に置き換える
ど低能漫画脳
死ね あみのなるほっていう伊藤潤二クラスの天才ホラー漫画家がいたなぁ こんな少女漫画読むオヤジがいるところがどえらい怖い。 そういえば高校時代のクラスメートで成績トップで長身で顔もまあまあだった玉●って奴がいるんだが、
同じクラスの女子の1人が少女フレンド?だか何だかを読んでいるのを見て
「後で貸して〜」
とか言ったんだが。
その女子は陰で他の女子に
「玉●君って少女フレンド読みたいんやて〜」
と言いふらしていた。
相手の女子は
「おえ〜変態やん〜」だとさ(笑)
男が少女漫画読むと変態だが、女が北斗の拳やらガンダム見るのは許されるのは差別ではなかろうか?
とクラスで討論会になって俺は無理矢理司会をやらされた。
どえらい怖い話でした(笑) 私が小3の夏休みの話。
ド田舎なんだけど、地域の子供会の毎年恒例行事で七夕会があった。
七夕はもう過ぎてるけど、要するに皆で集まって、出し物(クイズとかw)をしたり、カレーを作ったりっていうお楽しみ会。
基本、参加者は子供で、小さな神社の社務所(普段は地域の集会所として使用)を使っていいことになっていて、
当番の保護者が数名、手伝ったり、火元を管理していた。
その年、うちの母親は子供会の当番にあたってたので、
同じく当番のTさん(私の同級生の男の子と2歳年下の男の子のお母さん)と一緒に、
材料の買い出しや社務所の掃除の準備をしてた。
七夕会も無事終わったのが夜の9時頃だったと思う。
うちの地域は、小さい山を挟んで南側と北側で一括りで、社務所や大半の子供の家は北側にあり、私の家は南側。
北側の家の子たちは、皆自転車で来てたのでそのまま帰り、南側の家の子は保護者が車で迎えに来てた。
残ったのは私と母、Tさん。
Tさんの子供2人は家が北側で近いので先に帰ったが、私の家は南側で一人で帰ることができず、母を待っていた。 >>213
おい、4時間も待ってんねんぞ
しっかりせい
寝る >>207
漫画でしか表現出来ない低能
何でもかんでも漫画に置き換える
ど低能漫画脳
死ね 母とTさんが多目的トイレから出てきたとか言うオチは0点な どえらいって程でもないかもだけど。
家の洗面所(脱衣場)のドアを空けとくとそこから2階に続く階段が見えるんだよ。
髪乾かしてる時とか何気なくそこ見てんの、なんか気になって。
そしたら黒い影みたいなのが見え隠れするというか、上手く言えないがなんか「いる」気配がするんだわ。気のせいだと思い込んで、ある日髪乾かしてる時にふとその場所見たら気配がしなくて。
(あ、今日はいないんだな)って思ったら
「いるよ」って感じで黒い影が頭をにゅっと出してきた。マジで怖かった。そんな奴はいないって思い込んで見ないようにしてたらもう現れなくなった。
思い込みの力で消えるなら最初からそんな変なもの居なかったのかもしれないが
当時は本当に怖かった。 糖尿病三大合併症
神経・血管障害(壊死)
網膜症(失明)
腎疾患(透析)
↑こいつがあまり恐れられない理由、ガチで謎すぎると話題にwwww >>214-215
フフフ
奴は我らオカルト民の中でも最弱の男よ 自分は幽霊信じない派なんですが、小2ぐらいに幽霊っぽいの見た事ある。
今の家に引っ越す前、小っちゃいマンションに住んでた時の話なんだけど、
その部屋は空き巣によく入られるって不動産屋が言ってたらしく、
親もそれを懸念してそこに引っ越してきてすぐに鍵を新しく変えたそうで、
お陰でそのマンションでの3年間、一度も空き巣とかの被害はなかったらしい。
けど、小2ぐらいの時のある夜中に、
風呂も入ったしそろそろ寝ようという事で、洗面所の前で歯を磨いてたんだけど、
その洗面所の配置が目の前に鏡があり、洗面所の反対側に風呂場があって、
鏡越しに風呂場の扉は曇りガラスになってるけど、うっすらと中が見える様になってる >>213といい>>223といい、書きかけでやめる馬鹿は何なの
「続き早く」と言われたいレス乞食かよ?お前ら二度と来るなよ 続きが気になっちゃうから許さんって
完全に虜にされてるじゃないか
可愛い奴等め https:/i.imgur.com/3cvlqIR.jpg >>223
それからどうした、何があったんや。曇りガラスに影でも見えたんか😨
コピペでも何でもええから続き頼む なんとなく気になってその曇りガラスをじっと見てた
確か両親も風呂から上がってたから風呂場には誰もいるバズはなかったんだが暫く見ていると誰もいるハズのない明かりもついていない風呂場に誰がいるような気がしてきた
特に怖いとかではなく寧ろ好奇心というかそんな感情で見てると、誰かがいる気がするというか絶対にいるとしか思えなくなってきた
誰がいるのかってことよりどうやって風呂場に入ったのかだけが気になってた
狭い家だったから両親と自分以外に誰かが気づかれずに玄関から忍びこむなんてことは考えられなかった
風呂場には小さい窓があったが外には足場がなく5階建ての3階だったから外から入って来るのも不可能
そもそも窓の外には格子がついてて子供の俺が頭を出す事も無理だった おい、それからどうした
小出しにすんなよ、待っとんねんぞ おさわりまんこのぱんちらむねちらしやすかったんですけど?
おさわりまんこのばかちんぼうずいてますか?
おさわりまんこえんざいむじつはむざいです! 本当の話なんだけど高校ん時からの友達が警察官だった時、人殺したって自首して来た犯人が死体は埋めたってんで犯人連れて検分に言ったら確かにそいつがヤッた被害者の遺体が出てきた。
しかし掘ってる最中、その死体の下から人間の白骨が出てきた。犯人はそれはオレじゃないと真剣に話した。鑑定すると白骨化し遺体は死後7、8年経過していた。 やべえ、夕方くらいからめっちゃ息苦しい
鼻水と咳も出始めた。でも熱はないし味もわかる。でも息苦しくてフウフウ言う…大丈夫だよな…50も半ばやから少し怖い 因縁!!私の恋人を殺した小島に住む海女の怨霊
https://www.youtube.com/watch?v=WjVb2JQFyLM
(以下ネタバレあり注意)
平尾昌晃や山下敬二郎が、日劇ウエスタンカーニバルで活躍していた時代の話
つまり1958年以降60年代の恐怖体験談である
ある小島に、当時18歳の少女が住んでいた。彼女は島の小学校に赴任した板倉と
いう男と恋仲になった。ある日、彼女は海に面した崖の地蔵に、彼を案内した
それは浜女の供養のための地蔵だった
実はその小島には昔、お民という若い海女が住んでいた
(お民はゴロウというよそ者の男と恋仲になったが捨てられ、海で自殺したらしい)
だが、やがて地蔵には不吉な噂が立つようになった
地蔵のそばにお民の亡霊が現れて、若い男を手招きし、海に引きずり込むというのだ
男たちはお民の亡霊を浜女と呼んで恐れるようになった。また、「地蔵の目が赤く
光ると津波で島が滅ぶ」という噂まで流布されたのだ
実は少女ももっと幼いころ、白い着物姿の浜女の亡霊を地蔵の傍で見たことがあった
だが浜女は女には危害を加えない。優しく微笑んでくれるので、少女も恐れなかった
その地蔵に板倉との将来を拝んでいた少女にむかい、ふいに板倉が叫んだのである
「おい。地蔵の目が赤く光ってるぞ!」
だが少女は一笑に付す。その場はそれで済んだが、ふとしたことから少女は、板倉に
フィアンセが居ることを知ってしまう。悲嘆した彼女は、夜中に地蔵の前まで赴き、
騙されていたことを訴えて睡眠薬自殺を図った。だがその場に、板倉が追ってきた
(続く) (>>241続き)
板倉は少女に「確かに俺は、君を騙していた。だが今の俺は本気だ。とし子(フィ
アンセ)と別れて、君とこの島で暮らす!」と、約束してくれたのである
少女も喜んで、板倉と抱き合う。だがそのとき、地蔵の目が赤く光った。板倉と少女
が顔を上げると、そこには浜女のお民が、恐ろしい笑顔を浮かべていた
「娘さん、この男は東京に戻って、帰ってきやしないよ。男の人はみんな嘘つき
あたしのゴロウさんも帰ってこなかったわ……さあ、こっちへいらっしゃい」
そういってお民は、板倉を手招きしはじめた。魅入られたようにお民にむかって
よろよろ歩き出す板倉。少女は「行っちゃだめ!」と叫んだが、飲んだ睡眠薬の
せいで気絶してしまった。翌朝、板倉と少女は地蔵の前で発見されたが、板倉は
すでに冷たくなっていたのである…… 主さん、立ててくれてありがとうございます。
流れを無視するかもしれませんが、実体験を投稿させていただきます。
掲示板に書き込むのは初めてですが、Yahooニュースに書き込んだら、低評価くらいまくったので不快だったら飛ばしてください。
長文になります。心霊ではありません。
今年の夏に起きた事件になります。
当時、私は、子ども園の建設を終え、役割を終えた幼稚園の解体に携わっていました。
季節は5月中旬で、まだ仮設工事の真っ只中でした。
ある日、資料を作成している時、ふと目を外に向けると、新築した子ども園に向かう道にホンダの茶色のNBOXが止まりました。
子供を迎えにきた、若い両親でした。
気にせず作業していると子供を含む3人が車から降りてきました。何やら両親がケンカしているようです。奥さんが、旦那さんにむかって、泣きながら罵倒していました。子供はその間、付近をうろちょろし、落ち着かない様子でした。
10分が経過した頃、3人は車に乗り帰りました。
その時は本人たちの問題だし関わらない方が良いと思いました。 ところが、7月に事件は起きました。
母親が、自分の子供を刺して殺し、車に乗せ軽い事故を起こした事件です。
このニュースは全国で放送されました。
なぜケンカしていた親子だと分かったかと言うと事故を起こした車がホンダの茶色のNBOXだったからです。
大変痛ましいと思い、あの時警察に電話しておけばと私は思いました。
新築されたばかりの子ども園には警察が来て事情聴取していました。
数日後、神のいたずらなのか私が車で出かけている時に霊柩車が通りました。
あの女の子を思うと胸が痛かったです。
時は過ぎて工事が終わり、工事関係者とコロナの絡みもあり、少人数で飲み会をしていました。
その時に事件の話題になりました。
一人の工事関係者が事情を知っているようでした。その人の奥さんが第一発見者でした。仮にAさんとします。
当時、Aさんは帰宅途中でした。しばらく走ると前に事故車両を見つけました。
Aさんは車を止めて、助けに行きました。 窓をノックしたものの、反応がありません。
しばらくすると、窓が開きました。
そこには、鬼の形相をした母親がいました。
Aさんが大丈夫ですかと尋ねると、鬼の形相をした母親が睨みつけてきて、金切り声で、大丈夫じゃないわよーー!!!!と叫んだらしいです。
助手席には小さな女の子が乗っていたため、Aさんは冷静になり、母親なんだからしっかりしなさいと、言いました。
そしたら、母親は、できるなら私もそうしたかったわよ!!!!!!!!!!
と叫んだ。
とりあえず、母親が、どうにもならないとAさんは思い、警察、消防に電話しました。
警察が到着し、Aさんは事情を説明しました。
母親は車を開けるのを拒んでましたが、強行突破し、警察は母親を引きずり出しました。
その時助手席の女の子に気づき、抱き上げましたが全身包丁で切りつけられていて息がなかったようです。
その後、母親も病院に搬送され、逮捕されました。
母親の旦那は、事件から精神を病み、家に引きこもりしているらしいです。
Aさんは教師で、その事件を起こした家族には小学生の男子もいるそうで、母親の刑期が終わった後、復讐をしにくる可能性もあるので、警戒しているようです。
東北の田舎ですが、こうした事件が間近で起きると驚きますし、一番怖いのは生きている人間だと改めて思うきっかけとなりました。
長文失礼しました。 天井裏から音がするから覗いてみたら回転する女性の顔が10個並んでた >>247
こえー
これこえー、鬼の形相の母親こえー
この事件知らんけど、やっぱり実話はこえー
女のヒステリーまじ嫌い
それで私は離婚しました
有り難うございます 夫への怒りを娘を切り刻んで代傷してたのかよ
クズ過ぎるわ
どうせ旦那も手を焼いてて関係おかしくなったんだろ? やっぱ怒る奴はクズだわ 私の祖母の生まれ故郷は、本州から少し離れた離島で、そこで畜産や農業を営んでいたと言います。
主に牛や鶏といった家畜を飼っており、市場で売却して生計をたてていました。
私は祖母との会話が好きで、よく話をしていました。
その中でも印象的だったのが、なぜ祖母が鶏肉を嫌いになったのか、という理由でした。
家畜は自分の家で食べる事もあったらしく、下処理は自分達でやるのだそうです。
祖母が直接処理していた訳ではありませんが、その過程を目にしてしまう事がしばしばありました。 ある日、小学生だった祖母が学校から帰ると家に誰もいません。
納屋で作業でもしているのかな、と思い覗いてみると、祖母の父親が鶏の血抜き作業をしていたそうです。 <動画>幻覚か?! 死体と添い寝した戦慄の一瞬!!
https://www.nicovideo.jp/watch/sm18031590
橋本某(1982年当時54歳)。戦時中の恐怖体験談(ネタバレあり)
「人には、忘れようと思っても忘れることができない体験が、誰でも一つくらいは
あるのではないでしょうか? 私には、あれから37年が過ぎた今でも、この胸に
はっきりと鮮明に残っている不思議な、悲しい思い出があります
忘れもしません。その日は朝から激しい空襲が夕方まで続きました。私は逃げ惑う
うちに家族と別れてしまいました。たまたまその日は休暇で、私は工場から家に
帰っていたのです……どのくらい走ったでしょう? その時私は、偶然にある防空壕
を見つけその中に飛び込みました
張り詰めていた緊張感がほっと緩み、途端に私は重い疲労感に襲われ、いつの間にか
眠っていました。どのくらい経ったでしょう? 眼が覚めてみると……」
空襲はやんで周囲に居た避難者たちも出て行った後だった。橋本某はロウソクの
明かりも消えた暗い防空壕の中に、たった独りで取り残されていたのである
ところが防空壕の中には木箱(長持?)があり、そこから赤い柄物の襦袢をまとい
白粉と口紅を塗ったおかっぱの遊女が現れ、襦袢を脱ぎつつ橋本某に迫ったのである
「それから起こったことは、若かった私には何が何だかまったく分からず、夢の
ように時間が過ぎ去ったのです……」
そして橋本某、快楽のうちに気を失う。気が付くと遊女の姿は消えており、裸だった
彼は寒気を覚えて衣服をまとった。それからふと長持の中を覗くと、なんとそこには
柄物の襦袢をまとった一体の骸骨が横たわっていたのだ。橋本某は悲鳴を上げて
防空壕から逃げ出したのだという
「人は、幻覚だったと言うのかも知れません。しかし私には、あれはやはり本当に
起こったことなのです。なぜなら、この私にはあの女の人の表現しようのない体温
だけは、はっきりと残っているからです…」(終わり) 結婚して1年経つと、いくら私が誘っても夫は逃げ回ってばかりで、全然抱いてくれなくなりました。
この結婚は失敗だったかなと思い始めていたある夜、翌朝洗おうと思って洗濯機に入れてあったパンティーが、なくなっていることに気づきました。
夫は出張で留守です。ということは、同居している義父しか考えられません。
こっそり義父の寝室を覗いてみると、布団の上であぐらをかいて座る後ろ姿が見えました。その体が小刻みに揺れているんです。
とっさに私は襖を勢いよく開け放ちました。
「お義父さん! 私の下着で何をしてるんですか!」
驚いてひっくり返るようにしてこちらを向いた義父の股間には、ペニスが隆々と勃起し、それに私のパンティーが被せてあるんです。
「すまん。綾子さんを見てると、ついムラムラして…」
義父は奥さんと死別してから7年、女っ気がなかったようです。そこに私のような若い女が同居し始めたのですから、ムラムラするのも分かります。
下着をオナニーに使われていたのはショックでしたが、私に欲情してくれているということで、夫に逃げ回られている今となっては嫌な気はしません。
「お義父さんは下着が好きなんですか? それとも私に興味があるんですか?」
上目遣いに見つめながらそう訊ねると、義父はゴクンと喉を鳴らして「もちろん綾子さんだ」と言い、パンティーを投げ捨てました。
「温かくてヌルヌルしてて最高に気持ちいい」
その瞬間、私は義父の股間に食らいついて、ジュパジュパと熱烈フェラ。
「おおっ、気持ちいい。手でしごくのとは段違いだ」
「お口よりも、こっちの方が気持ちいいですよ」
私は義父の手を下着の奥へ導きました。すると指が簡単に滑り込んだんです。
「はっあああん」
「おっ。もう濡れてる…」
「お義父さんのオチ○チンをしゃぶって興奮しちゃったの。もう入れてもいい?」
私はパジャマを脱ぎ捨て、義父の体に跨りました。そして、先端を天井の方に向けたペニスの上に腰を落としていき…。
「あああん、入ってくるぅ」
「うう、温かくて、ヌルヌルしてて、最高に気持ちいい」
私は義父の硬いオチ○チンで、たっぷり楽しんじゃったのでした。
結婚するときに、義父と同居することに猛烈に反対したことを心の中で詫びながら、私は毎日、義父とのセックスに溺れてるんです。 >>246
ガラケー時代のSNSの書き方やね
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