もうこれ以上、許さないために、ここに記しておきます。

祖父の、青山成之(あおやま しげゆき)の、工業院電気試験所時代の、「繰り返し型アナログコンピュータ」(当方は無学なため、「リレー式」との意味の一致・不一致は分かりません)に関する発表資料が、忽然と消失しました。

また、国立国会図書館の電子アーカイブにある「トランジスタ・パルス再生増幅器と二三の応用(昭和30年)」という論文は、電子アーカイブの方ではなぜか見れませんけれども、
5・12 接合型トランジスタ不飽和パルス回路、10・43 ダイオード増幅器、の項目は、記事最後に(高橋・青山)と執筆者共同であることが記されています。

また、青山成之は昭和27年から昭和31年まで、工業技術院電気試験所の技官であり、昭和29年からは電子回路課に所属していたことになっており、
辞職した理由は、持病の気管支喘息(肺炎)が悪化したためであるが、
なぜか昭和31年の8月3日に日本電気に採用されたことになっており、昭和33年9月24日に33歳で死亡したことになっているのに、

NEACーR2、R3(昭和32年)の開発に、中核メンバーとして関わっていたことにもなっており、
これの小冊子には、いわば微分方程式の計算尺であるとか、原子炉動特性の計算に応用可能であるとか書いてあります。

また、以前にも書きましたが、私が幼少期の頃は、祖父は日本初のコンピュータの設計開発者であり、
祖母の家に行った際の帰り道に話を聞かされた記憶と、テレビでNHKの番組にて日本国のコンピュータ史についての番組があり、
黎明期の重要人物として、祖父が顔写真つきで紹介され、これがお前の祖父だよと言い聞かされた記憶と、
いずれの記憶もはっきりとありますが、なぜか夢見心地のような不思議な生暖かい空気感により、ノイズされています。

なお、青山成之の出生地は、現大田区の、大字は蒲田町の蒲田新宿44番地です。