子どもの頃は自然に悪因悪果を積むものである。
これらの子ども達は積んできた悪因悪果を成人後の自覚の出てきた頃から悪因善果とする
念仏で悪果祓いをし苦しみを得ることが無くなった暁には、
残りの人生を善因善果の積み切りにするのが仏教のあるべき姿ではなかろうか?