>>819
間違っているのかどうかは私には分かりません。
ただ、>>815などで書きましたように、前期王朝国家時代以前までの日本の婚姻形態は招婿婚がであり、
後期王朝国家時代以降は現在まで続く嫁入り婚に変わった、といっても、それは「総じて」ということであり、
後期王朝国家=中世以降も、招婿婚によって他家から婿を迎えた例はいっぱいあります。
しばらくは「含み含まれる」時代が続いた、と表現してもいいと思います。
明智氏が賜った近江坂本の地は、本来は武内スクネ系坂本氏の地の1つであった、という可能性もあり、
そこを明智氏が入った(招婿婚)ということは>>815で書いたように、
近江坂本の地の首長であった武内系坂本氏の家に婿入り婚をした、
ということであるのかもしれません。

そうなると、母系(基底)氏族
という観点から視えた場合、より古くからその地を治めて来た氏族の方が、より強く出てくる
ということは有り得ると思います。