>>329
そうは言っても身近な人に「恵」の名前の人がいるかいないかでは記憶の残り方って大きく違うと思うよ

例えば昔友達に「渡邉」って名前の人がいたんだけど正しくは「邉」とはちょっと違って
しんにょうが一点でつくりの「自」と「冖」がくっついて「且」みたいになってたんだ
当時学校では自分の名前であっても難しい漢字を使うことがなぜか禁止されていたから
その友達は嫌々「渡辺」って書いてたんだけど正しく書いてあげると喜ぶことを知ってた
でもそんな特殊な漢字は辞書にも載ってないしもちろんワープロやパソコンでも出なかったから
年賀状なんかはその人の分だけ手書きで正しく書くようにしてた
だから今でもその人の名前は正しく書くことができる

一方自分とは無縁な人の名前なんてたとえ良く見る文字でも結構適当に記憶しているもので
以前スレに「崇(たかし)」を全部「祟(たたり)」だと思い込んでてえらい目にあったという笑えるコピぺがあったけど
身近な人の名前から点の付いてる「恵」が普通だという固定観念があれば
たとえ「恵」という文字を見ても頭の中で「恵」に置き換えて記憶されることはあるんじゃないか

もちろん点付きの「恵」に関する具体的なエピソードがあれば話は別だよ
例えばお婆ちゃんの名前が「恵子」だったはずなのに手書きの年賀状を見ても全部「恵子」で
戸籍を調べても「恵子」だったということになれば
身の回りには「恵」に点が付くという知識が生じる元ネタが全くなかったわけだから
それは間違いなく現実と違う記憶だ
>>317のヨーグルトの商標も文字としてではなくデザインとしての記憶なわけだから
デザイン上実際に存在しない点が記憶にあるというのは確かに普通じゃないと言えるな