★ファティマ第三の予言は、秋田のメッセージです★
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ヴァスーラ、秋田のメッセージがファチマの第三の秘密であることを証言する http://tlig.jp/blog/2017/02/19/vassulaandakita/ 「1992年11月26日1私は秋田での国際マリア会議に、他の人々と一緒に招かれました。ルネ・ローランタン神父とマイケル・オーキャロル神父がおられ、 他の司祭方、それからヴィダル枢機卿もいらっしゃいました。伊藤司教は秋田のメッセージとシスター・アグネス(笹川)について私たちに伝えたいことがあり、 本当にびっくりするようなことを言われました。 伊藤司教が調査のために秋田のメッセージをローマに持って行かれた時、ラッツィンガー枢機卿とお会いされました。シスター・アグネスとそのメッセージについて話すと、 ラッツィンガー枢機卿は『それを読み、何ができるか考えるので、置いていくように』と言われました。 伊藤司教は、ラッツィンガー枢機卿は通常通り調査団を送ってよこすだろうと考えていました。枢機卿はご出現があった場所にいつも調査団を送っていたからです。 翌日、司教がラッツィンガー枢機卿のところに行くと、『私たちは調査団を送りません。専門家も必要ありません』と言って、司教を驚かせました。伊藤司教が『どうしてですか?』と聞くと、 枢機卿は『なぜなら、秋田のメッセージはファチマの第三の秘密だからです。ですから調査する必要はありません』と答えられたのです。これが枢機卿の言われたことです。 分かりますね、この話を聞いた時、私たちはもちろん『ワオ!』と言いました。それはファチマの秘密なのです。お分かりの通り、私たちはこれを他の情報源から聞いたわけではありません。 『伊藤司教がこう言っていたらしい』というような話であれば、私は信じなかったでしょう。ですが、私は伊藤司教自身の口からこれを聞いたのです。他の人々と一緒に。『調査は行われません。必要ない。これはファチマの第三の秘密とほぼ同じ言葉だからです』と」 秋田・聖体奉仕会での「聖母と共に過ごす祈りの夜」(2013年10月12日〜13日) 2013年10月12日〜13日に、「信仰年」特別行事として、全世界から選ばれた聖母巡礼地10ヶ所をつなぐロザリオの祈りが行われます。これは、後援・教皇庁新福音化推進評議会、主催・ローマ教区によるものです。 その聖母巡礼地の一つとして、秋田・聖体奉仕会が選ばれたのです。 秋田でメッセージが告げられて40周年の今年、このようなお恵みが与えられたことに、心から感謝を捧げたいと思います。 信仰年にあたって、ローマでは様々な霊的催しが開催されております。この度、ローマ教区より、ローマで開催される行事の一つに新潟教区も参加するようにとの申し出がありましたので、皆様にお知らせいたします。 信仰年の一連の霊的催しの一つとして、来る2013年10月12日と13日は「聖母マリアの日」とされております。このうち、10月12日(土)の夜7時から9時半(ローマ時間)は「聖母マリアとともに過ごす祈りの夜」として、 世界中10ヶ所の聖母マリア巡礼所を衛星中継で結んで、ロザリオの祈りが行われることになりました。主催するローマ教区から、聖体奉仕会の修道院( 秋田の聖母 Our Lady of Akita )も参加するようにとの呼びかけがありましたので、これを承諾致しました。 英語版の秋田の聖母のwikipediaでは、 ファティマ第三の秘密=秋田のメッセージが掲載されている。 もはやファティマと秋田の関係は、既成事実となってしまったな。 Our Lady of Akita - Wikipedia The third message communicated on October 13, 1973 was described by Cardinal Ratzinger as essentially the same as the third Our Lady of Fatima message or Third Secret.[a] After this final warning, it was claimed that the statue became animated for an extended period and was witnessed by a number of nuns.[ 1973年10月13日に伝えられた第3のメッセージは、ラッツィンガー枢機卿によってファチマの第3の聖母メッセージまたは第3の秘密と本質的に同じであると記述されました。 この最終的な警告の後、この像は長期間アニメーション化され、多くの修道女が目撃されたと主張された。 https://en.wikipedia.org/wiki/Our_Lady_of_Akita 日本は、キリスト教国でないせいか、 秋田の聖母は、日本より海外で有名である。 世界でも重要な聖母出現の地が、この日本にあるのは、 喜ばしいことである。 日本人は、秋田の聖母を過小評価している。 秋田の聖母は、秋田犬と並んで海外で注目されている。 それは、なまはげ以上なのである。 日本人の知らないインバウンドの聖地であるのだ。 「涙を流すマリア像」英語の冊子用意 近隣温泉は巡礼プラン 2018年1月15日 掲載 「涙を流すマリア像」で知られる秋田市添川のカトリック修道院「聖体奉仕会」は、増加するインバウンド(訪日外国人客)への対応として、 マリア像などを英語と日本語で紹介する小冊子の製作を進めている。また、近隣の温泉宿は巡礼者向けに宿泊プランを用意するなど、受け入れ態勢が進んでいる。 マリア像は高さ約1・2メートル(台座含む)の木像で、同市の彫刻家故若狭三郎さんが1963年に制作。75年から81年までに計101回「涙」を流したことで話題となり、 海外でも知られるようになった。 近年は口コミや旅行会社のツアーを通じ、東南アジアを中心に米国や欧州など海外から毎年4千〜5千人ほどが訪れる。現在製作を進めている小冊子では、 マリア像や修道院について写真も掲載して紹介する予定で、今月中に完成する見込みだ。 http://www.sakigake.jp/news/article/20180115AK0009/ 河北新報 秋田の聖母像 聖体奉仕会は秋田市郊外にあるカトリック修道院。1975年1月4日から81年9月15日までの間に101回もの涙を流したことで知られる「秋田の聖母像」が、聖堂の回廊の左奥に安置されている。 普通に考えれば、木彫りの像が涙をこぼすことなどない。しかし種も仕掛けもないその聖母像は、実際に何度も泣いたらしい。 修道女らがその都度目撃し、像の前に集まって祈りをささげた。涙を拭った脱脂綿を秋田大などで鑑定した結果、「ヒトの体液」と判定されたという。 一連の現象には、像の身近にある人などの「超能力によるものではないか」といった疑問の声が、関係者の間でも出たようだ。 だが聖体奉仕会を管轄するカトリック新潟教区の司教は84年、熟慮を重ねた末、「秋田の聖母に崇敬を表すことを禁じない」と涙に「お墨付き」を与えた。 最後に101回目の涙を流してから38年。11月上旬、丘の上の奥まった場所にある聖堂を訪ねた。 お寺のような、入り母屋重層造りの修道院だった。今は涙することのない聖母像の前で、しばし静かな心持ちの時を過ごした。 https://www.kahoku.co.jp/column/desk/20191128_01.html 安田貞治神父著「聖母像の涙」より抜粋 この鑑定書は、聖母像の涙の最も重要な真正な科学的物証として、聖体奉仕会に保管されている。 これがお涙の”事件”の解明に決定的な役割を果たしたのである。 すでにたびたび述べてきたように、聖母像に見られる現象は、公式の検討者たちによって、 すべて姉妹笹川の超能力のはたらきによるものとされていた。本人が見に覚えがないと否定しても、 無意識のうちに行っている、ときめつけられれば、弁明のしようがなかった。 とくに決め手とされたのは、血液型であった。姉妹笹川の血液型はB型である。ところで、 聖母像の右手の傷口の血は、最初の鑑定ではB型であった。両目から流れた涙の鑑定では、AB型となっていた。 しかし、検体にはそれぞれA型B型の付着物があることも、指摘されていた。反対者の筆頭たるエバンジェリスタ師は、 このB型のみを取り上げ、涙もB型と決めつけ、姉妹笹川がみずからの血と涙を”転写”したもの、と断定をくだしたのであった。 それが、こんど不純物の付着のない完全な検体をもっての再検査により、血液型はO型と鑑定された。 B型による超能力説は、成り立たなくなり、根本から打破されたのである。 いま、最初の鑑定書と再度の決定版をつき合せてみると、聖母像の血と涙に三つの異なった血液型のあることがわかる。 どんな超能力的人間が、自分の血液型の他に、他の二つの異なった血液型を創り出すことができようか。 創造とは神のみが行われる業ではないか。 ここにも神の尊いはからいがみとめられる。神はまずB型の血液を創り、AB型の涙の体液をつくり、 最後にO型の体液までつくって、人間の考え出した浅薄な”超能力説”に挑戦されたのである。 再度の正確を期した鑑定という歴然たる科学的物証がなければ、今でも”超能力説”がまかり通り、 すべてを誤解に導き、神の超自然のおんはたらきに素直に頭をたれようとする人々さえも まどわせつづけたことであろう、と考えれば、そら恐ろしくなるのである。 ヨーロッパから秋田に派遣された貴族の方々は、その後どうしたの? 秋田は、ルルドやファティマみたいになるんかいや? 守護天使からのメッセージ あるシスターがシスター笹川から直接聞いた話によると、2019年10月6日午前3時半頃に、秋田で三十何年か前にシスター笹川に現れたのと同じ天使が現れ、 「灰をかぶって悔い改めのロザリオを毎日祈ってください。幼子のようになって、毎日犠牲を捧げてください」等のメッセージを告げたという。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E7%94%B0%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2 New!!あのバチカンも認めた!?涙の出る秋田の聖母マリア像の秘密 【The Dave Fromm Show 陰謀コーナー ベスト・セレクション】 https://www.youtube.com/watch?v=JjGPL_hN2fE& ;feature=youtu.be 奇跡とは、愛や魂によって起こされる。 エハン塾のエハンさんによる講義。 マリア様の奇跡:涙を流す聖母 2015/3/22 14:00-15:20 https://www.youtube.com/watch?v=uwi9xamz2oo ファティマの予言とは?秋田の聖母マリアとの関係や参考書籍も紹介 ファティマの予言をした聖母と、秋田に現れた聖母は同一の存在? 秋田にも聖母マリアが現れたという記録があります。 そして、この聖母は「ファティマの聖母と同一の存在ではないか」と考えられています。 1973年7月12日、シスター笹川が礼拝中に、突然「秋田の聖母像」の手のひらに十字架が刻まれ、血が流れ出す、という奇跡が起きました。 そして1975年1月4日には、この聖母像から涙が流れるという奇跡も起きたのです。 その後も聖母像は涙を流し、この奇跡は1981年9月15日まで101回も続いたといわれています。 最初の奇跡を体験したシスター笹川は、聖母マリアにも遭遇し、1917年に3人の子供が聖母マリアから教えられたものと同じ「ファティマの祈り」の方法を教えられています。 しかし1970年代には、まだ「ファティマの祈り」は和訳がなく日本では誰も知らないものだったのです。 このことから、秋田に現れた聖母は、ファティマの聖母と同一と考えられているというわけです。 https://michirich.com/fatimas-prophecy/ ファティマから秋田まで聖母マリアのメッセージは同じ よりよく見るために1917年のファティマのそれと1945年のアムステルダム、ならびに1973年の秋田の間で、これらのメッセージ間のこの接続を評価するために、それらの日付に注意します: ファティマの28年後がアムステルダム。 その28年後は秋田に生じました。 また秋田の28年後は2001年です。 第3の千年紀の最初の年。 前のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は「希望の限界を越える」、本の中で書きました、それは彼に見えました。 私たちが第3千年紀に近づくとともに、羊飼いの子どもに与えられたファティマの聖母マリアの予言が完了されるでしょう。 第2の相関性は天によって提供される繋がりです: Sr.アグネスは守護の天使によって、ファティマの子どもはポルトガルの天使によってファティマの祈願を教えられました。 秋田とファティマの聖母マリアの出現が、その月の13日に生じました。 Sr.アグネスへの彼女の最後の出現は1973年10月13日、ファティマの太陽の奇跡の記念日にありました。 これは、秋田のメッセージがファティマ・メッセージの継続であると伊藤司教に結論を下させました。 http://www1.odn.ne.jp/e_speranza_solo/avemaria/fatima_akita.html ああマリア記念か そのネタは忘れてた 幸せ(44枠)のレイワ 結果は枠連3-5 リスグラシュー 馬名の由来 優美な百合(仏)。母名より連想 ユリはマリアさまの印だったな(ダビングコードだっけか) はいお疲れ様 そういえばヨハネパウロの次の次の法王で世界は終わりみたいな予言なかったっけ? 世界の終わりなのか カトリック最後の教皇なのか どっちだろな >>100 マラキの予言ね。 マラキの予言によると現教皇フランシスコでローマ教皇は、終わるとか、 最後の教皇になるらしい。 ファティマの予言とは?秋田の聖母マリアとの関係や参考書籍も紹介 ファティマの予言をした聖母と、秋田に現れた聖母は同一の存在? 秋田にも聖母マリアが現れたという記録があります。 そして、この聖母は「ファティマの聖母と同一の存在ではないか」と考えられています。 1973年7月12日、シスター笹川が礼拝中に、突然「秋田の聖母像」の手のひらに十字架が刻まれ、血が流れ出す、という奇跡が起きました。 そして1975年1月4日には、この聖母像から涙が流れるという奇跡も起きたのです。 その後も聖母像は涙を流し、この奇跡は1981年9月15日まで101回も続いたといわれています。 最初の奇跡を体験したシスター笹川は、聖母マリアにも遭遇し、1917年に3人の子供が聖母マリアから教えられたものと同じ「ファティマの祈り」の方法を教えられています。 しかし1970年代には、まだ「ファティマの祈り」は和訳がなく日本では誰も知らないものだったのです。 このことから、秋田に現れた聖母は、ファティマの聖母と同一と考えられているというわけです。 https://michirich.com/fatimas-prophecy/ ファティマから秋田まで聖母マリアのメッセージは同じ よりよく見るために1917年のファティマのそれと1945年のアムステルダム、ならびに1973年の秋田の間で、これらのメッセージ間のこの接続を評価するために、それらの日付に注意します: ファティマの28年後がアムステルダム。 その28年後は秋田に生じました。 また秋田の28年後は2001年です。 第3の千年紀の最初の年。 前のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は「希望の限界を越える」、本の中で書きました、それは彼に見えました。 私たちが第3千年紀に近づくとともに、羊飼いの子どもに与えられたファティマの聖母マリアの予言が完了されるでしょう。 第2の相関性は天によって提供される繋がりです: Sr.アグネスは守護の天使によって、ファティマの子どもはポルトガルの天使によってファティマの祈願を教えられました。 秋田とファティマの聖母マリアの出現が、その月の13日に生じました。 Sr.アグネスへの彼女の最後の出現は1973年10月13日、ファティマの太陽の奇跡の記念日にありました。 これは、秋田のメッセージがファティマ・メッセージの継続であると伊藤司教に結論を下させました。 http://www1.odn.ne.jp/e_speranza_solo/avemaria/fatima_akita.html >>101 卒倒だからねぇ… 神が再臨するとか世界が滅ぶとかでないかな ちょっと前まで世界が滅ぶなんて考えもしなかった それがここ最近の災害とか世相とかを見てるとあり得るかもしれないと それだけ急激な変化だからこの先何が起こるか予測不能 涙を流すマリア像(秋田市) 秋田市添川のカトリック修道院「聖体奉仕会」にあるマリア像。 高さ約1・2メートル(台座含む)の木像で、同市の彫刻家故若狭三郎さんが1963年に制作。75年から81年までに計101回「涙」を流したことで話題となり、海外でも知られるようになった。落涙は秋田大、岐阜大の両法医学教室で「ヒトの体液」と鑑定された。 カトリック教会ローマ教区が2013年10月、世界10カ所の聖母巡礼所を衛星中継で結んで行った「聖母とともに過ごす祈りの夜」では、東アジアで唯一、同修道院が選ばれた。 近年は東南アジアを中心に米国や欧州など海外から毎年4千〜5千人ほどが訪れる。 https://www.navitabi.jp/article/389 JACINTA1972、(大警告の日付)について解説。 JACINTA1972は、アメリカの教会内において、 マリア像の前で写真を撮ったところ、 その写った写真にJACINTA1972という文字が写っていたという怪現象である。 その怪現象は、ポラロイドカメラでしか写らず、偽装は不可能である。 これは、ファティマの奇跡の目撃者であるヤシンタ・マルトの警告であると言われている。 海外では、このJACINTA1972の暗号について色々と言われているようである。 JACINTA1972 の年号(大警告の日付)を 解き明かしてみる。 http://www.tldm.org/misc/1972.htm JACINTAをバラバラにしてくっつけると、 JN 【略】=Japanese national日本人、日本国民 acita ciは、英語の古典式でキとも読む、 JACINTAは、秋田の日本人。 JACINTA1972の1972は、 安田貞治神父著の「聖母マリア像の涙」によると、 笹川さんは、昭和44年に聖体奉仕会の外部会員となったと書いてある。 1969年(昭和44年)には、秋田の聖体奉仕会の会員であったということである。 そして1973年1月末頃から耳が聴こえにくくなり、1973年の3月26日に耳が全く聴こえなくなったと記されている。 JACINTA1972のacita=秋田、JN=日本人と1972年には、 秋田の聖体奉仕会の外部会員であったことから、JACINTA1972の暗示に当てはまると言えるだろう。 JACINTA1972のJACINTAには、元々秋田の日本人という意味が含まれていた。 ポルトガルのファティマの聖母の目撃者、ジャシンタ・マルトには、 秋田の日本人を意味する暗示が元々名前に含まれており、 JACINTA1972の翌年、1973年にマリアからの大警告のお告げ があり、最終的には、通算101回の涙を流し、 ジャシンタ・マルトの生誕日1910年3月11日に 101年を足すと2011年3月11日の東日本大震災の日と一致する。 JACINTA1972、このことからも秋田とファティマの関連性が窺え、 JACINTA1972の大警告とは、秋田の聖母マリアのメッセージのことで あったのかもしれない。 >>17 2010/3/12 ラダフーミ会のメンバー乙 涙を流すマリア像(秋田市) 秋田市添川のカトリック修道院「聖体奉仕会」にあるマリア像。 高さ約1・2メートル(台座含む)の木像で、同市の彫刻家故若狭三郎さんが1963年に制作。75年から81年までに計101回「涙」を流したことで話題となり、海外でも知られるようになった。落涙は秋田大、岐阜大の両法医学教室で「ヒトの体液」と鑑定された。 カトリック教会ローマ教区が2013年10月、世界10カ所の聖母巡礼所を衛星中継で結んで行った「聖母とともに過ごす祈りの夜」では、東アジアで唯一、同修道院が選ばれた。 近年は東南アジアを中心に米国や欧州など海外から毎年4千〜5千人ほどが訪れる。 https://www.navitabi.jp/article/389 秋田の聖母マリア像101回の涙は、ファティマの聖母に遭遇したヤシンタ・マルト と絶妙にリンクする。秋田の聖母の修道女に天使からロザリオの各連の最後に ファティマの祈りを唱えるようにと天使からのお告げがあったり、 共に10月13日にマリアが最後の出現をし、大予言を告げたこと。 ヤシンタ・マルトの誕生日1910年3月11日に秋田の聖母マリア101回の涙を 足すと東日本大震災2011年3月11日にピタリと一致することは、 もはや偶然ではなく、秋田の聖母マリア101回の涙の意味は、 東日本大震災の津波や原発事故、それにともなう数多くの死者を 予言していたといえるだろう。 ファティマの聖母 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%9E%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D 聖母からの大きな奇跡があった。 1.1917年10月13日、集まった一万人の群衆は雨に濡れていたが、太陽が狂ったような急降下や回転を繰り返し猛烈な熱で彼らの服は乾いてしまった。 世界各国の天文台で当時こうした太陽の異常行動は確認されておらず、群衆全員が同じ幻覚を見たことになる。 居合わせた新聞記者たちも目撃しポルトガルのあらゆる新聞に大々的に掲載(画像参照)[17]された。群衆を散らすために山岳兵部隊が動員されたが、彼らも奇跡を目撃して直ちに回心した。 ヤシンタ・マルト http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%88 秋田の聖母マリア http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E7%94%B0%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2 また、他に修道女は天使を何度も目撃し、6月29日には天使は彼女にファティマの祈りを教え、ロザリオの各連の後に付けるように、 と指導した。この祈りは、1917年にポルトガルのファティマで3人の少年少女を前に聖母が教えたものだったが、当時は日本ではまだ和訳されておらず、 天使が教えたその祈祷文は、後に和訳されて日本に広まるものと一字一句違わぬものだった。 秋田のカトリック修道会の奇跡 日本でも聖母マリア像に関する超常現象が起こっている。 秋田市湯沢台にあるキリスト教カトリック修道会の「聖体奉仕会」に安置された木彫りのマリア像が、 日本で唯一の奇跡現象を起こしたのだ。 奇跡が起きたのは、1973年7月12日午後8時30分ごろのこと。 シスターの笹川カツ子さん(当時38歳)がひとりで礼拝中、突如マリア像の右の手のひら中央に、十字形の傷が現れ、血が流れはじめた。 奇怪な現象は翌日も続き、出血は止まるどころか、流れ出した血が小指から滴るほどだった。異変は2週間ほど続いたが、 27日には、傷口も跡形もなく消えていたという。 それから約2か月後の9月29日、新たな異変が起こった。 像の目から汗のようなものが流れはじめそれが全身から流れたのだ。それは花のような芳香を放っていた。 さらに2年後、新たな奇跡が起きた。 マリア像の両目から、涙がこぼれ落ち、神父やシスターなど20人もの人々が目撃したのだ。 1980年に涙と血液が鑑定された。その結果、血液は人間のものでB型。涙も人の体液でAB型であることが判明した。しかし、翌年に涙を再鑑定したところ、 今度はO型と判定。驚くべきことに、3種もの型が検出されてしまったのだ。 この説明のつかない結果について、当時カトリック教会の新潟教区長であった伊藤庄治二郎司教は、「超自然性は否定できない」と教書で言明している。 このマリア像の落涙現象は海外にも紹介され、当地には年間1万人もの人々が礼拝に訪れるなど「世界の巡礼地」となっている。 https://gakkenmu.jp/archive/7672/ ファティマ第三の予言の真実 内なる神への自覚 ファティマの予言といえばオカルト好きならばだれでも知っている言葉であろう。 1916年ポルトガルの村ファティマに聖母マリアが出現し、3人の少年少女に数多くの警告を授けたと言われている。 3つの予言と特別な礼拝方法が知られているが、予言に関しては戦争に関する2つの予言しか公開されなかった。秘密の予言はローマ法王が聞くと同時に失神したため、公開されなかったという曰くつきのものである。 後にローマ法王暗殺の予言であったとディスクロージャーされたが、これは聖母マリアから警告を受け取ったルチアが「教会が嘘をついている」と批判した。 それでは、その秘匿された三番目の警告とは何だったのであろうか。 実を言うと同じような事件が日本でも発生している。 1970年代から80年代にかけて、秋田の教会において聖母マリアが出現し、修道女に警告を与え、教会のマリア像から涙があふれたという事件があったのだ。 続きを読みたい人は以下でメルマガをお読みください。いまなら一ケ月無料!!! http://mnsatlas.com/?p=48381 Akita: Our Lady Speaks from Japan - Pilgrim Reflections with Fr. Elias M. Mills, FI https://www.youtube.com/watch?v=fB3GRfNwfOc バチカン大使の証言。 「1人の信者の証言」ファティマ−アムステルダム−秋田 http://subetami.divinemercy.jp/worldwide/w-wprayerday/2016/08/w1998-testimony/ 今はすでに天国においでの秋田のヨハネ伊藤前司教は、生前、書簡によって、教皇様に秋田での出来事を報告し、伊藤司教が司祭職上取るべき措置をヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿の判断に委ねた旨、私に知らせて下さいました。 伊藤司教ご自身にとって、秋田がファティマの続きであることは明白でした。また、ラッツィンガー枢機卿は、この2つのメッセージは本質的に同じものであると、私に個人的に確証なさいました。 伊藤司教は、秋田の出来事はアムステルダムのメッセージが真実であることを証明するものだと考えておいででした。そして彼は「共贖者、仲介者、執りなし手」という称号を確固として擁護なさいました。 仮に、アムステルダムのメッセージが本物でないならば、天は秋田で奇跡を起こさなかったでしょう。なぜなら、秋田の聖母のご像は「すべての民の御母」を模したものだからです。 アムステルダムのメッセージが真実ならば、「すべての民の御母」が「共贖者、仲介者、執りなし手」のドグマを告知するようにとの要求もまた真実であります。なぜ、この真実の告知を抑圧するのでしょうか? ファティマ第三の予言の内容とは?予言の真実や秘密になった理由は? ファティマ第三の予言をみなさんは知っていますか。ファティマ第三の予言は2005年に公開されたもので、 その内容には疑問が多く残っているものです。今回はファティマ第三の予言の内容や左手に火の剣をもった天使の真相、 日本で起きた出来事について紹介していきます。 ファティマの予言に関して日本でも出来事があったようです。日本で起きたことについて紹介していきます。 ファティマに関する出来事が起こったのは日本の秋田にあるカトリック女子修道院で起こったようです。 内容はこれから詳しく説明しますが、ファティマと秋田は北緯39度近くに位置しておりなんらかの繋がりがあるのではないかと言われています。 またその秋田ではファティマの奇跡から100年を記念してファティマにある聖母像が秋田にやってきたこともあるようです。 http://pouchs.jp/GCfxY?page=4 ファティマ第三の予言の謎に迫る!2039年に何が起きるのか?! ファティマと同じ「聖母マリア」が日本でも現れていた 1973年秋田県の修道女の手のひらに、十字架の形が激しい痛みや出血とともに現れました。 十字架の傷跡は「聖痕」と呼ばれています。 そして、1973年6月9日に、「聖痕」をもつ修道女は「天使」から「秋田の聖母マリアの祈り」を教えられます。 のちに「秋田の聖母マリアの祈り」はポルトガルの「ファティマの聖母マリアの祈り」と同じだと判明します。 そして、聖母マリアは「聖痕」をもつ修道女に3つの予言をします。 1973年7月6日 修道女に同情し、不自由な耳が治るというもの。 1973年8月3日 人類への警告と、天主の怒りを鎮めるための祈りを求めるというもの。 1973年10月13日 人類が悔い改めない時は、天主は全人類に対し、今までにない罰を与える。 その罰によって、多くの人々が亡くなる そして、生き残った人々が亡くなった人を羨ましがるようなほどの苦痛や苦難があるというもの。 ファティマの予言と似ている部分がありますね。 ローマ法王が第三の予言を公開しなかったから、日本にも似たような予言を伝えに来たのでしょうか。 https://mysteryworld7.com/legend/fatelima-yogen/ 【衝撃映像】キリストの赤子像が血の涙で大号泣! 「人類は今すぐ悔い改めよ」神の怒り…人類滅亡の予兆か!?=メキシコ https://tocana.jp/2019/03/post_89483_entry.html 血の涙を流すイエス・キリストの赤子像に世界中が驚愕している。 英紙「The Sun」(3月18日付)によると、メキシコ南西部下ゲレーロ州アカプルコの小さな村に保管されているセラミック製のキリストの赤子像から血の涙が滴る現象が今年の元日から今まで4回も起こったという。 ある地元住民はこの像が血の涙を流している理由を同地域の犯罪率の上昇に関連付けているというが、地元に住むソレダッド・ナチヴィダッド・フロレス氏は現地紙「El Nuevo Diario」に次のように話している。 「神からのメッセージだと言う人がいる一方で、多くの人が悪魔の仕業だとも考えています。いずれにしろ、この像が泣いたということは事実です。像を抱えていても涙は流れたんですから」(フロレス氏) キリスト像やマリア像が血の涙を流す現象は世界中で報告されているが、そのほとんどが売名のためのやらせだと言われている。 これまでカトリック教会が本物と認定したものはたった1つだけ。日本の秋田県秋田市にあるカトリックの在俗修道会「聖体奉仕会」に保管されている「秋田の聖母マリア」だけだ。 秋田の聖母マリアは1975年〜1981年にかけて101回も涙を流し、 1988年にバチカン(教皇庁)の教理聖省長官のラッツィンガー枢機卿(後の教皇ベネディクト16世)によって正式に“奇跡”と認定されている。 今回のキリストの赤子像の涙が本物かどうかは調査してみない限り分からないが、もし本当に“奇跡”だとしたら、一体何を訴えかけているのだろうか? ちなみに先述した秋田の聖母マリアは、「もし人類が悔い改めないなら、御父は全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。 その時御父は大洪水よりも重い、今までにない罰を下されるに違いありません。火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう」という恐ろしい預言を残している。 北朝鮮の核実験再開やロシアのポセイドン、米中関係など、冷戦時代を思い出すような物騒な話題が続く今を憂いてのことなのか……。 キリストの赤子像の涙が神の怒りの表れで、人類滅亡の暗示ないことを願いたい。 秋田・聖体奉仕会での「聖母と共に過ごす祈りの夜」(2013年10月12日〜13日) 2013年10月12日〜13日に、「信仰年」特別行事として、全世界から選ばれた聖母巡礼地10ヶ所をつなぐロザリオの祈りが行われます。これは、後援・教皇庁新福音化推進評議会、主催・ローマ教区によるものです。 その聖母巡礼地の一つとして、秋田・聖体奉仕会が選ばれたのです。 秋田でメッセージが告げられて40周年の今年、このようなお恵みが与えられたことに、心から感謝を捧げたいと思います。 信仰年にあたって、ローマでは様々な霊的催しが開催されております。この度、ローマ教区より、ローマで開催される行事の一つに新潟教区も参加するようにとの申し出がありましたので、皆様にお知らせいたします。 信仰年の一連の霊的催しの一つとして、来る2013年10月12日と13日は「聖母マリアの日」とされております。このうち、10月12日(土)の夜7時から9時半(ローマ時間)は「聖母マリアとともに過ごす祈りの夜」として、 世界中10ヶ所の聖母マリア巡礼所を衛星中継で結んで、ロザリオの祈りが行われることになりました。主催するローマ教区から、聖体奉仕会の修道院( 秋田の聖母 Our Lady of Akita )も参加するようにとの呼びかけがありましたので、これを承諾致しました。 安田貞治神父著「聖母像の涙」より抜粋 この鑑定書は、聖母像の涙の最も重要な真正な科学的物証として、聖体奉仕会に保管されている。 これがお涙の”事件”の解明に決定的な役割を果たしたのである。 すでにたびたび述べてきたように、聖母像に見られる現象は、公式の検討者たちによって、 すべて姉妹笹川の超能力のはたらきによるものとされていた。本人が見に覚えがないと否定しても、 無意識のうちに行っている、ときめつけられれば、弁明のしようがなかった。 とくに決め手とされたのは、血液型であった。姉妹笹川の血液型はB型である。ところで、 聖母像の右手の傷口の血は、最初の鑑定ではB型であった。両目から流れた涙の鑑定では、AB型となっていた。 しかし、検体にはそれぞれA型B型の付着物があることも、指摘されていた。反対者の筆頭たるエバンジェリスタ師は、 このB型のみを取り上げ、涙もB型と決めつけ、姉妹笹川がみずからの血と涙を”転写”したもの、と断定をくだしたのであった。 それが、こんど不純物の付着のない完全な検体をもっての再検査により、血液型はO型と鑑定された。 B型による超能力説は、成り立たなくなり、根本から打破されたのである。 いま、最初の鑑定書と再度の決定版をつき合せてみると、聖母像の血と涙に三つの異なった血液型のあることがわかる。 どんな超能力的人間が、自分の血液型の他に、他の二つの異なった血液型を創り出すことができようか。 創造とは神のみが行われる業ではないか。 ここにも神の尊いはからいがみとめられる。神はまずB型の血液を創り、AB型の涙の体液をつくり、 最後にO型の体液までつくって、人間の考え出した浅薄な”超能力説”に挑戦されたのである。 再度の正確を期した鑑定という歴然たる科学的物証がなければ、今でも”超能力説”がまかり通り、 すべてを誤解に導き、神の超自然のおんはたらきに素直に頭をたれようとする人々さえも まどわせつづけたことであろう、と考えれば、そら恐ろしくなるのである。 英語版の秋田の聖母のwikipediaでは、 ファティマ第三の秘密=秋田のメッセージが掲載されている。 もはやファティマと秋田の関係は、既成事実となってしまったな。 Our Lady of Akita - Wikipedia The third message communicated on October 13, 1973 was described by Cardinal Ratzinger as essentially the same as the third Our Lady of Fatima message or Third Secret.[a] After this final warning, it was claimed that the statue became animated for an extended period and was witnessed by a number of nuns.[ 1973年10月13日に伝えられた第3のメッセージは、ラッツィンガー枢機卿によってファチマの第3の聖母メッセージまたは第3の秘密と本質的に同じであると記述されました。 この最終的な警告の後、この像は長期間アニメーション化され、多くの修道女が目撃されたと主張された。 https://en.wikipedia.org/wiki/Our_Lady_of_Akita 安田貞治神父著「聖母像の涙」より抜粋 ”ファチマの聖母出現の出来事は六回あり、十月十三日が最後のものとなったように、 秋田での聖母のお告げも十月十三日をもって終わっている。これは単なる偶然の一致と は思われない。 ファチマでの聖母の予言、いわゆる第三の秘密は、ルチア修道女によって教皇庁に 伝達されたが、その内容は、いまだに公表されていない。 歴代の教皇もコメントを避けておられる。いきおい、恐慌を煽るような憶測が世に流れて、 人々の好奇心を刺激している現状である。 しかし、この秘密は、全く伏せておくにはあまりに人々にとって重大な事柄であるゆえに、 聖母は秋田の御像を通して、それをいくらか緩和された形で発表されたのではないか、 と私は思う” 〜中略〜 ”これが最後と告げられた今回のお言葉のかなめは、人々が会心せぬならば、 やがて怖るべき天罰がくだされる、との警告である。お声がいったんとだえたとき、 姉妹笹川が聖母像を見上げてみると、お顔が悲しげにみえた、という。これは、 この要請に応えて、どれほどの者が祈りと償いの業にはげんでくれることか、 を考えて、その心もとなさを暗に訴えられたのではなかろうか。 聖母は、ファチマでの御出現においても、同様のことを再三強調されたにもかかわらず、 人々は無視してしまったのである。 このたびは日本の秋田の地を選び、ささやかな木彫の像と素朴な一姉妹を 通して、瞠目すべき超自然的現象の認印をもって、この重大な警告をくり返された のである。” ファティマ第三の予言の謎に迫る!2039年に何が起きるのか?! ファティマと同じ「聖母マリア」が日本でも現れていた 1973年秋田県の修道女の手のひらに、十字架の形が激しい痛みや出血とともに現れました。 十字架の傷跡は「聖痕」と呼ばれています。 そして、1973年6月9日に、「聖痕」をもつ修道女は「天使」から「秋田の聖母マリアの祈り」を教えられます。 のちに「秋田の聖母マリアの祈り」はポルトガルの「ファティマの聖母マリアの祈り」と同じだと判明します。 そして、聖母マリアは「聖痕」をもつ修道女に3つの予言をします。 1973年7月6日 修道女に同情し、不自由な耳が治るというもの。 1973年8月3日 人類への警告と、天主の怒りを鎮めるための祈りを求めるというもの。 1973年10月13日 人類が悔い改めない時は、天主は全人類に対し、今までにない罰を与える。 その罰によって、多くの人々が亡くなる そして、生き残った人々が亡くなった人を羨ましがるようなほどの苦痛や苦難があるというもの。 ファティマの予言と似ている部分がありますね。 ローマ法王が第三の予言を公開しなかったから、日本にも似たような予言を伝えに来たのでしょうか。 https://mysteryworld7.com/legend/fatelima-yogen/ 秋田とファティマの秘密 - Akita Message is the Fatima Secret https://vimeo.com/293381681 New!!あのバチカンも認めた!?涙の出る秋田の聖母マリア像の秘密 【The Dave Fromm Show 陰謀コーナー ベスト・セレクション】 https://www.youtube.com/watch?v=JjGPL_hN2fE& ;feature=youtu.be 「涙を流すマリア像」英語の冊子用意 近隣温泉は巡礼プラン 2018年1月15日 掲載 「涙を流すマリア像」で知られる秋田市添川のカトリック修道院「聖体奉仕会」は、増加するインバウンド(訪日外国人客)への対応として、 マリア像などを英語と日本語で紹介する小冊子の製作を進めている。また、近隣の温泉宿は巡礼者向けに宿泊プランを用意するなど、受け入れ態勢が進んでいる。 マリア像は高さ約1・2メートル(台座含む)の木像で、同市の彫刻家故若狭三郎さんが1963年に制作。75年から81年までに計101回「涙」を流したことで話題となり、 海外でも知られるようになった。 近年は口コミや旅行会社のツアーを通じ、東南アジアを中心に米国や欧州など海外から毎年4千〜5千人ほどが訪れる。現在製作を進めている小冊子では、 マリア像や修道院について写真も掲載して紹介する予定で、今月中に完成する見込みだ。 http://www.sakigake.jp/news/article/20180115AK0009/ https://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/9170ea7b38690946b73b01367b9d1492 ローマ教皇の移民・難民受け入れ推進政策はお膝元のイタリア本国の内務大臣の激しい非難を浴びている。 イエズス会出身のローマ教皇は、国際金融資本の中枢の一人であろう。かつてマレーシアやスリランカに 移民を大量に導入して先住民と対立させて分割統治を実行してきた彼らは、今欧州・北米・日本で同じ政策を 実行しているのだ。 バチカンはカルタゴ人のバアル神、つまり悪魔を崇拝する宗教なのだと思われる。 ファティマの予言が成就して、バチカンの高位聖職者達が全員射殺される時に、初めて世界はバチカンと いう名の悪魔から解放されるのだろう。 「衛星サーベイランスの衝撃的な脅威」 人工衛星によって遠隔地から監視されるという可能性が存在するようになってからも典型的なアメリカ人はそれに対する恐怖を感じていない。 第一に誰かが他の人を人工衛星によって監視することを望む理由がはっきりとしていないから。けれども、その疑問に対する真実はエリートだけがそういった人工衛星にアクセスできるというものである。 金持ちと権力者だけが誰かを衛星によって監視することができる。一方で中流もしくはそれ以下の人々は監視が何時始まったのかを知ることすらできない。 監視システムにアクセスすることによって権力者の身勝手は増大する。 けれども私達は単に権力のない人々だけがターゲットにされると結論付けてはならない。衛星による監視の下に置かれるのは主に権力のない人々である。けれども裕福な人々や著名な人々もターゲットになり得る。 プライバシーに対する大きな侵害に抵抗する力を持っているにもかかわらず彼らの一部は衛星による監視の犠牲者になり得る。ダイアナ王妃は衛星による監視下に置かれていたのかもしれない。 衛星による監視の被害者であるという主張は決して考慮されることがない。 どれだけのアメリカ人が衛星に監視されているのかを推定するのは難しい。けれども200機の監視用の衛星(それは調査報告書の中で一般的な数値である)が稼動していて、 もしそれぞれの衛星が20人のターゲットをモニターすることができるとしたら4000人ぐらいのアメリカ人が衛星によって監視されていると考えられる。 けれどもターゲットをモニタリングするための衛星の機能がどれだけのものであるのかを推定するのは衛星の数を数えるよりも難しい。それはそれぞれの衛星にあるトランスポンダーの数に関係するのかもしれない。 トランスポンダーは情報を送受信するための鍵となる装置である。National Security Stateの支配下にある社会は必然的にそういったものを隠蔽し続ける。 もし1機の人工衛星が同時に40人もしくは80人のターゲットをモニターできるとしたら、衛星による監視の考えられる犠牲者の数は2倍もしくは4倍になる。 http://ameblo.jp/stop-electronic-torture/entry-12152200707.html 守護天使からのメッセージ あるシスターがシスター笹川から直接聞いた話によると、2019年10月6日午前3時半頃に、秋田で三十何年か前にシスター笹川に現れたのと同じ天使が現れ、 「灰をかぶって悔い改めのロザリオを毎日祈ってください。幼子のようになって、毎日犠牲を捧げてください」等のメッセージを告げたという。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E7%94%B0%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2 バチカン大使の証言。 「1人の信者の証言」ファティマ−アムステルダム−秋田 http://subetami.divinemercy.jp/worldwide/w-wprayerday/2016/08/w1998-testimony/ 今はすでに天国においでの秋田のヨハネ伊藤前司教は、生前、書簡によって、教皇様に秋田での出来事を報告し、伊藤司教が司祭職上取るべき措置をヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿の判断に委ねた旨、私に知らせて下さいました。 伊藤司教ご自身にとって、秋田がファティマの続きであることは明白でした。また、ラッツィンガー枢機卿は、この2つのメッセージは本質的に同じものであると、私に個人的に確証なさいました。 伊藤司教は、秋田の出来事はアムステルダムのメッセージが真実であることを証明するものだと考えておいででした。そして彼は「共贖者、仲介者、執りなし手」という称号を確固として擁護なさいました。 仮に、アムステルダムのメッセージが本物でないならば、天は秋田で奇跡を起こさなかったでしょう。なぜなら、秋田の聖母のご像は「すべての民の御母」を模したものだからです。 アムステルダムのメッセージが真実ならば、「すべての民の御母」が「共贖者、仲介者、執りなし手」のドグマを告知するようにとの要求もまた真実であります。なぜ、この真実の告知を抑圧するのでしょうか? 日本人焼け死ねごみくず自殺しろ死ねやクズ死ね焼け死ね城東警察署死ね焼け死ねごみくず たけだくみこ死ね たいゆーしねはじめしゃちょー死ねとんかつ焼け死ねたけだくみこ死ね 杉浦焼け死ねたけだくみこ死ね 西村博之焼け死ねごみくず 日本人焼け死ねクズ城東警察署死ねゴミ うらぱる死ねゴミ虫たざきだいきはロリコン死ねクズ城東警察署死ねたざきだいきはロリコン焼け死ね たけだくみこしね たいゆーしね日本人焼け死ね 動物 草花 森林 生物 も無いといけない。 人間だけじゃ、さびしい。 っと書き込み。 吹き出る血と汗…日本に降臨した聖母マリアの奇跡と予言! そして人類の恐るべき終末とは? ■日本での奇跡の始まり「秋田の聖母マリア」 「秋田の聖母マリア」とは、秋田県にある在俗修道会「聖体奉仕会」において、聖母マリア像が涙を流すなど、さまざまな奇跡が起こった現象のことを指す。 そんな彼女に、1973年6月12日、奇跡の兆候が現れる。シスター笹川は、聖体礼拝のために聖櫃を開けようとしたところす、まぶしい光に打たれ、思わずひれ伏してしまったという。 この様子はファティマで、羊飼いの3人の子どもたちの前に稲光と共に現れた聖母の出現に似ている。その後、シスター笹川の手のひらに十字架の聖痕が現れた。その傷からは血が吹き出し、えぐられるような痛みも感じたそうだ。 ■マリアの催促!? 第3の予言をいつまで経っても公表しないバチカンに対して聖母マリアがしびれを切らして今度は秋田にメッセージを託したのかもしれない。 また、シスター笹川は聖母マリアと思われる美しい女性から、「ファティマの祈り」を教えられている。この祈りは、1917年ファティマにおいて、聖母マリアから3人の子どもたちが教わったものである。 だが、シスター笹川が伝授された1970年代当時は、日本ではまだファティマの祈りが和訳されていなかった。シスター笹川は、ファティマの祈りを知るすべもなかったのである。それにもかかわらず、 「秋田の聖母マリアの祈り」と「ファティマの聖母マリアの祈り」はまったく同じであったのである。 これは、ファティマの聖母が秋田の聖母と同一人物であるという証明のひとつとなるのではないか。 聖母マリアは人類に警告を発し続けている。だが、人類の多くは聖母マリアの奇跡に目を向けず、そのメッセージにも耳を傾けようとはしない。全人類に大いなる罰が下る日は近いだろう。 http://tocana.jp/2016/01/post_8470_entry.html ファティマ第三の予言の謎に迫る!2039年に何が起きるのか?! ファティマと同じ「聖母マリア」が日本でも現れていた 1973年秋田県の修道女の手のひらに、十字架の形が激しい痛みや出血とともに現れました。 十字架の傷跡は「聖痕」と呼ばれています。 そして、1973年6月9日に、「聖痕」をもつ修道女は「天使」から「秋田の聖母マリアの祈り」を教えられます。 のちに「秋田の聖母マリアの祈り」はポルトガルの「ファティマの聖母マリアの祈り」と同じだと判明します。 そして、聖母マリアは「聖痕」をもつ修道女に3つの予言をします。 1973年7月6日 修道女に同情し、不自由な耳が治るというもの。 1973年8月3日 人類への警告と、天主の怒りを鎮めるための祈りを求めるというもの。 1973年10月13日 人類が悔い改めない時は、天主は全人類に対し、今までにない罰を与える。 その罰によって、多くの人々が亡くなる そして、生き残った人々が亡くなった人を羨ましがるようなほどの苦痛や苦難があるというもの。 ファティマの予言と似ている部分がありますね。 ローマ法王が第三の予言を公開しなかったから、日本にも似たような予言を伝えに来たのでしょうか。 http://mysteryworld7.com/legend/fatelima-yogen/ Twin Peaks The Entire Mystery [Blu-ray][Import]は、吹替え、字幕が有る上に ビデオテープのVHSの頃と比べると、画質がクリア過ぎて感動してしまった。 ファティマ第三の予言の真実 内なる神への自覚 ファティマの予言といえばオカルト好きならばだれでも知っている言葉であろう。 1916年ポルトガルの村ファティマに聖母マリアが出現し、3人の少年少女に数多くの警告を授けたと言われている。 3つの予言と特別な礼拝方法が知られているが、予言に関しては戦争に関する2つの予言しか公開されなかった。秘密の予言はローマ法王が聞くと同時に失神したため、公開されなかったという曰くつきのものである。 後にローマ法王暗殺の予言であったとディスクロージャーされたが、これは聖母マリアから警告を受け取ったルチアが「教会が嘘をついている」と批判した。 それでは、その秘匿された三番目の警告とは何だったのであろうか。 実を言うと同じような事件が日本でも発生している。 1970年代から80年代にかけて、秋田の教会において聖母マリアが出現し、修道女に警告を与え、教会のマリア像から涙があふれたという事件があったのだ。 続きを読みたい人は以下でメルマガをお読みください。いまなら一ケ月無料!!! http://mnsatlas.com/?p=48381 秋田の聖母マリア像101回の涙は、ファティマの聖母に遭遇したヤシンタ・マルト と絶妙にリンクする。秋田の聖母の修道女に天使からロザリオの各連の最後に ファティマの祈りを唱えるようにと天使からのお告げがあったり、 共に10月13日にマリアが最後の出現をし、大予言を告げたこと。 ヤシンタ・マルトの誕生日1910年3月11日に秋田の聖母マリア101回の涙を 足すと東日本大震災2011年3月11日にピタリと一致することは、 もはや偶然ではなく、秋田の聖母マリア101回の涙の意味は、 東日本大震災の津波や原発事故、それにともなう数多くの死者を 予言していたといえるだろう。 ファティマの聖母 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%9E%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D 聖母からの大きな奇跡があった。 1.1917年10月13日、集まった一万人の群衆は雨に濡れていたが、太陽が狂ったような急降下や回転を繰り返し猛烈な熱で彼らの服は乾いてしまった。 世界各国の天文台で当時こうした太陽の異常行動は確認されておらず、群衆全員が同じ幻覚を見たことになる。 居合わせた新聞記者たちも目撃しポルトガルのあらゆる新聞に大々的に掲載(画像参照)[17]された。群衆を散らすために山岳兵部隊が動員されたが、彼らも奇跡を目撃して直ちに回心した。 ヤシンタ・マルト http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%88 秋田の聖母マリア http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E7%94%B0%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2 また、他に修道女は天使を何度も目撃し、6月29日には天使は彼女にファティマの祈りを教え、ロザリオの各連の後に付けるように、 と指導した。この祈りは、1917年にポルトガルのファティマで3人の少年少女を前に聖母が教えたものだったが、当時は日本ではまだ和訳されておらず、 天使が教えたその祈祷文は、後に和訳されて日本に広まるものと一字一句違わぬものだった。 今年2020年の2月20日は、ジャシンタの没後100周年に当たり、 来年の101回目の命日と合わせ、注目すべき日です。 もしかしたら何かが起こるかもしれません。 来年の101回目と今年の100周年の2月20日には、注目しましょう。 河北新報 秋田の聖母像 聖体奉仕会は秋田市郊外にあるカトリック修道院。1975年1月4日から81年9月15日までの間に101回もの涙を流したことで知られる「秋田の聖母像」が、聖堂の回廊の左奥に安置されている。 普通に考えれば、木彫りの像が涙をこぼすことなどない。しかし種も仕掛けもないその聖母像は、実際に何度も泣いたらしい。 修道女らがその都度目撃し、像の前に集まって祈りをささげた。涙を拭った脱脂綿を秋田大などで鑑定した結果、「ヒトの体液」と判定されたという。 一連の現象には、像の身近にある人などの「超能力によるものではないか」といった疑問の声が、関係者の間でも出たようだ。 だが聖体奉仕会を管轄するカトリック新潟教区の司教は84年、熟慮を重ねた末、「秋田の聖母に崇敬を表すことを禁じない」と涙に「お墨付き」を与えた。 最後に101回目の涙を流してから38年。11月上旬、丘の上の奥まった場所にある聖堂を訪ねた。 お寺のような、入り母屋重層造りの修道院だった。今は涙することのない聖母像の前で、しばし静かな心持ちの時を過ごした。 http://www.kahoku.co.jp/column/desk/20191128_01.html ファティマの予言とは?秋田の聖母マリアとの関係や参考書籍も紹介 ファティマの予言をした聖母と、秋田に現れた聖母は同一の存在? 秋田にも聖母マリアが現れたという記録があります。 そして、この聖母は「ファティマの聖母と同一の存在ではないか」と考えられています。 1973年7月12日、シスター笹川が礼拝中に、突然「秋田の聖母像」の手のひらに十字架が刻まれ、血が流れ出す、という奇跡が起きました。 そして1975年1月4日には、この聖母像から涙が流れるという奇跡も起きたのです。 その後も聖母像は涙を流し、この奇跡は1981年9月15日まで101回も続いたといわれています。 最初の奇跡を体験したシスター笹川は、聖母マリアにも遭遇し、1917年に3人の子供が聖母マリアから教えられたものと同じ「ファティマの祈り」の方法を教えられています。 しかし1970年代には、まだ「ファティマの祈り」は和訳がなく日本では誰も知らないものだったのです。 このことから、秋田に現れた聖母は、ファティマの聖母と同一と考えられているというわけです。 https://michirich.com/fatimas-prophecy/ 19750104 足して27 27=新旧約聖書の預言の巻数 「ファティマの聖母」秋田入り、「涙流したマリア像」と対面 東西の“奇跡”に多くの巡礼者 「涙を流したマリア像」で知られる秋田市添川湯沢台のカトリック女子修道院「聖体奉仕会」に14日、第一次大戦中にポルトガル中部ファティマに聖母マリアが現れたと伝えられる 「ファティマの奇跡」から100年を記念して作られた聖母像がやってきた。ファティマと秋田はともに北緯39度線近くにあり、「東西の奇跡」の対面に、 日本だけではなく世界各国から訪れた約500人が祈りをささげた。 涙を流した聖母像は、台座を含めて高さ120センチの木彫りの像。昭和50年1月に、両目に涙が浮かんでいるのを修道女が気づき、56年9月まで101回、涙を流したとされ、 多くの目撃者もいる。涙は秋田大と岐阜大の法医学教室により「ヒトの体液」と鑑定された。「アワ・レディー・オブ・アキタ」(秋田の聖母像)と呼ばれており、海外でも広く知られている。 一方、ファティマの聖母像は1917年5月13日、ファティマで3人の羊飼いの子供の前に聖母マリアが現れ、毎月13日に同じ場所に来るよう告げたという伝承から100年を記念して作られた。 ファティマの聖堂にあるものと同じ大きさで、冠を除いた高さは105センチ。日本各地を巡回中で、15日まで聖体奉仕会に安置され、最終的には広島市のカトリック幟町(のぼりちょう)教会に納められる。 奇跡の聖母像の対面には、2日間で1千人以上が訪れる見込みだ。海外からはオーストラリア、韓国、フィリピン、台湾などからの信者が来日する。 聖体奉仕会の小川恵子会長は「100年の節目で、多くの方がいらした」と話す。メキシコから来た大学院生のオリビア・ナイジェリさん(36)は「日本人は奇跡を信じる人が多い。今回の対面を題材に論文を書きます」と話していた。 http://www.sankei.com/smp/life/news/170914/lif1709140026-s1.html これがファティマ第三の秘密と同様の予言だ。 秋田の聖母像のメッセージ: (1)第1のメッセージ:1973年7月6日(初金) 教皇、司教、司祭のためにたくさん祈って下さい。 (2)第2のメッセージ:1973年8月3日(初金) 世の多くの人は、主を悲しませています。私は主を慰める者を望んでおります。 天の御父のお怒りをやわらげるために、罪人や忘恩者に代わって苦しみ、 貧しさをもってこれ償う霊魂を、御子と共に望んでおります。 祈り、苦業、貧しさ、勇気ある犠牲的行為は、御父のお怒りをやわらげることができます。 貧しさを尊び、貧しさの中にあって、多くの人々の忘恩、侮辱の償いのために、改心して、祈って下さい。 (3)第3のメッセージ:1973年10月13日(ファチマ太陽の奇跡の日) 前にも伝えたように、もし人々が悔い改めないなら、御父は全人類の上に 大いなる罰を下そうとしております。 そのとき、大洪水よりも重い、今までにない罰を下されるに違いありません。 火が天から下り、その災いによって、人類の多くが死に、司祭も信者と共に 死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。 その時、私たちに残る武器は、ロザリオと御子の残された印だけです。 ★☆★「ファティマ」「アムステルダム」「秋田」の3地域に出現した聖母マリアさまによる奇跡★☆★ ★1917年 ポルトガルの寒村ファテイマにて3人の牧童の前に聖母マリアが出現。 ↓ この年ロシア2月革命が起き、翌1918年には世界初の共産主義国家が誕生した。 ↓ 聖母マリアがたびたびロシアの奉献を要望したわけがよくわかる。 ↓ 7万人の大群衆を前に太陽が乱舞する奇跡がおきた1917年10月13日には、 ↓ ちょうど「その日の同時刻に、ロシアではボルシェビキ(当時の共産党の呼称)が ↓ ある教会を襲撃して略奪の最中であり」、一方で「ローマのバチカンでは、 ↓ 後の教皇ピオ十二世が大司教に叙階する荘厳な儀式が執り行われて」いた。 ↓ 聖母マリア出現のちょうど4日後の1917年10月17日に、ポーランド人マクシミリア ↓ コルベ神父さまによって 「聖母の騎士信心会」−「汚れなきお方(=マリア)の軍団」 ↓ が正式に創立された。 ↓ 日本でもよく知られているように、その後コルベ神父さまは布教のため来日されるが、 ↓ その年が1930年である ↓ (28年後) ★1945年 オランダ・アムステルダムでイーダ・ペアデマン(Ida Peerdeman)という女性に ↓ 聖母マリアが出現。聖母マリアは自らを ↓ 「すべての民の御母」 (Lady of all Nations of all Nations )と名乗った。 ↓ 伝えられるところではペアデマンは合計207回の聖母の出現を受けた。 ↓ 聖母が出現した最初の56回は1945年3月25日で、終わったのは1959年5月31日である。 ↓ ペアデマンは26年間にわたって151回の聖体拝領を受け、天啓を与えられたという。 ↓ のちに奇跡を起こした秋田の聖母マリア像は、このすべての民の御母を模したものである。 ↓ (28年後) ★1973年 秋田県秋田市にあるカトリックの女子修道会「聖体奉仕会」に安置されている ↓ 聖母マリア像に落涙の奇跡が始まった。 (次レスへつづく) >>317 よりつづく ↓ この年1973年に、同会所属の修道女シスターアグネス笹川の手の平に、 ↓ 聖痕と呼ばれる出血を伴う十字架型の傷が現れ、 ↓ 3つのお告げを聖母マリア像より受ける奇跡があったと言われている。 ↓ この「秋田の聖母マリア」は、教区司教によって認可された数少ない聖母出現の一つであり、 ↓ 日本より海外での知名度の方が高い。 ↓ なお、このとき涙を流した聖母像は上記「すべての民の御母」を模した聖母像であった。 ↓ (28年後) ★2001年 アメリカ合衆国でテロ組織アルカイダによるアメリカ同時多発テロ事件(September 11 attacks)が起きる。 ↓ 4つの一連のテロ攻撃による死者は2996人、負傷者は6000人以上であり、 ↓ インフラ等への物理的損害による被害額は最低でも100億ドルとされている。 ↓ この事件を契機として、国際テロ組織の脅威が世界的に認識されるようになり、 ↓ アメリカはテロとのグローバル戦争(GWOT: Global War on Terrorism)の標語を掲げ始め、 ↓ アメリカ合衆国と有志連合はアルカイダやアルカイダに支援を行った国への報復を宣言し、 ↓ アフガニスタン紛争、イラク戦争に繋がった。 ↓ さらにこれらの戦争によって不安定化した中東では、 ↓ シリア内戦やISIL等のイスラム過激派の台頭、 ↓ アメリカ合衆国とイランの関係が緊迫するなどの事態が発生した。 ↓ また、国際的にもイスラム原理主義が活発化し、 対テロ戦争の本格的な起点にもなった。 ↓ (28年後) ★2029年 秋田の聖母マリア像が流した涙計101回のうち、 ↓ 75回の涙を流した「1979年」より100年後。 ↓ 聖ヒルデガルトの帰天年「1179年」から850年後 ↓ ベルナデッタの帰天年「1879年」から150年後 ↓ クノックに聖母マリアが最初に出現した年「1879年」から150年後 (次レスへつづく) >>317-318 よりつづく ↓ 「浦上四番崩れ」の弾圧から開放された信徒たちが ↓ 故地・浦上に小聖堂を建てた年 「1879年」から150年後 ↓ ルシアが修道院で聖母マリアを伴った ↓ 聖三位一体の神さまの御出現を受けた年「1929年」から100年後 ↓ 1865年3月17日 信徒発見の舞台となった大浦天主堂が ↓ 大規模な増改築により現在の外観となった年 「西暦1879年」から150年後 ↓ (翌 年) ★2030年 聖ヒルデガルトの預言による「世の終わり」の年 カトリーヌ・ラブレに聖母マリアが出現した年「1830年」から200年後 クノックに聖母マリアが最後に出現した年「1880年」から150年後 故地・浦上の小聖堂を現在地旧浦上村庄屋に 移転し浦上天主堂(仮会堂)を建設した年「1880年」から150年後 ルシアが修道院で主イエズスの出現を受けた年「1930年」から100年後 浦上天主堂の改修工事が完了し、 戦前の赤レンガ造りの外観がよみがえった年 「1980年」の50年後 (参考)●●●https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1503800143/633-634 →→★☆★長崎・浦上四番崩れ−安太郎に出現した聖母マリア−から読み解く未来★☆★☆★ (参考)●●●https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1503800143/428 →→★☆★ 秋田・聖体奉仕会に安置される聖母マリア像におきた奇跡より読み解く未来 ★☆★ (参考)>>228-241 >>325-340 よりつづく 秋田の聖母マリアさまは 「火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう。 よい人も悪い人と共に、司祭も信者とともに死ぬでしょう。 生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。」と 話してくださいましたが、 はたして天から下った火による災いから生き残った人々が、 最終的にどうなってしまうのかについては語ってくださいませんでした。 聖ヒルデガルトの預言によれば(>>331 ) 「はかり知れぬ力をもつ大彗星が、海から多くの水を押し出し、 多くの国々に洪水をおこし、多くの飢饉と疫病をうむ。 海岸沿いの都市はみな震え上がり、多くが津波によって破壊される。 生物のほとんどは死に絶え、免れたものさえ、恐るべき病によって死ぬだろう。」と記し 最終的にはすべての人々が死に絶える、となっています。 >>82 よりつづく 秋田の聖母マリアさまはなぜ生き残った人々の最後について 語ってくださらなかったのでしょうか。 おそらくは現在、世界中に約400基以上あるといわれる原子力発電所の多くが、 隕石や彗星の接近、あるいは落下によって放射性物質を放散する事態となり、 地球環境は生物の生存を許さないような状況に変えられてしまうのでしょう。 その結果「生物のほとんどは死に絶え、免れたものさえ、恐るべき病によって死ぬだろう。」ということに なるのだろうと思われます。ほんとうに恐ろしいことです。 「恐るべき病」というのは放射線被曝による疾病のことで死を免れえないということなのでしょう。 秋田の聖母マリアさまが 「生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。」と語られたのは、 隕石あるいは彗星の接近、落下による熱波、水難のあと、 世界中の原子力発電所が放射性物質を環境中に放散する事故を起こすことから、 飲むべき水も、食べるべき食料もなくなり、放射線障害によって、最終的に、 生き残った人々もすべて死に絶えることになるからなのですね。 世の終わりがあまりに悲惨な状況になるので、 聖母マリアさまも語れなかったのかもしれません。 >>344-346 よりつづく しかし仮にこの地球の全地が放射能汚染により 生物の生存を許さないような凄惨な世界になったとしても、 主イエス・キリストを救い主として受け入れ信じたキリスト者は 「霊にある命」に生かされ、 「霊に従属する復活体の身体」をいただくことになるでしょう。 天地万物の創造主である主なる神さまの栄光のうちに、 わたしたちキリスト者は永遠に生きるからだをいただいて、 天の御国を受け継ぐものとさせていただけるのです。 世の終わりのとき−いわゆる7年間の艱難期の最終局面において、 隕石あるいは彗星の接近、落下による熱波、水難が地表の全地を襲います。 世界中の原子力発電所が放射性物質を環境中に放散する事故を起こし、 飲むべき水も、食べるべき食料もなくなり、放射線障害によって、最終的に、 生き残った人々もすべて死に絶えることになるだろうそのときに、 主イエス・キリストさまが再臨されることになるのだろうと思われます。 >>302 のなかで、 マタイによる福音書24章21節22節、 「そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、 またこれからもないような、ひどい苦難があるからです」 「もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。 しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます」という 御言葉をとりあげました。 >>344-347 よりつづく 主イエス・キリストさまは 「選ばれた者のために、その日数は少なくされます。」と語ってくださっていますが、 その前に「それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が」と、 「預言者ダニエル」を引用されていることから、 「その日数」とはおそらくダニエル書12章の最後、 「常供のささげ物が取り除かれ、荒らす忌むべきものが据えられる時から千二百九十日がある。」 「幸いなことよ。忍んで待ち、千三百三十五日に達する者は。」の、 「千三百三十五日」のことをおっしゃっているものと思われます。 旧約聖書のダニエル書で神さまは、 1290日から1335日までの45日間という日数を耐え忍ぶようにと 教え諭してくださっているわけですが、 神のみことばー主イエス・キリストさまはその45日間という日数を 父なる神さまが短くしてくださるだろうと約束してくださっているのです。 たとえば45日間から13日短くしていただいて 32日間になるような可能性はあるように思います。ほんとアーメンです。 「主を愛さない者はだれでも、のろわれよ。 マラナ・タ(主よ、来てください)。」(1コリント16章22節) 「人の子の来るのは、いなずまが東から出て、 西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです」(マタイ24章27節) バチカン大使の証言。 「1人の信者の証言」ファティマ−アムステルダム−秋田 http://subetami.divinemercy.jp/worldwide/w-wprayerday/2016/08/w1998-testimony/ 今はすでに天国においでの秋田のヨハネ伊藤前司教は、生前、書簡によって、教皇様に秋田での出来事を報告し、伊藤司教が司祭職上取るべき措置をヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿の判断に委ねた旨、私に知らせて下さいました。 伊藤司教ご自身にとって、秋田がファティマの続きであることは明白でした。また、ラッツィンガー枢機卿は、この2つのメッセージは本質的に同じものであると、私に個人的に確証なさいました。 伊藤司教は、秋田の出来事はアムステルダムのメッセージが真実であることを証明するものだと考えておいででした。そして彼は「共贖者、仲介者、執りなし手」という称号を確固として擁護なさいました。 仮に、アムステルダムのメッセージが本物でないならば、天は秋田で奇跡を起こさなかったでしょう。なぜなら、秋田の聖母のご像は「すべての民の御母」を模したものだからです。 アムステルダムのメッセージが真実ならば、「すべての民の御母」が「共贖者、仲介者、執りなし手」のドグマを告知するようにとの要求もまた真実であります。なぜ、この真実の告知を抑圧するのでしょうか? ファティマ第三の予言の内容とは?予言の真実や秘密になった理由は? ファティマ第三の予言をみなさんは知っていますか。ファティマ第三の予言は2005年に公開されたもので、 その内容には疑問が多く残っているものです。今回はファティマ第三の予言の内容や左手に火の剣をもった天使の真相、 日本で起きた出来事について紹介していきます。 ファティマの予言に関して日本でも出来事があったようです。日本で起きたことについて紹介していきます。 ファティマに関する出来事が起こったのは日本の秋田にあるカトリック女子修道院で起こったようです。 内容はこれから詳しく説明しますが、ファティマと秋田は北緯39度近くに位置しておりなんらかの繋がりがあるのではないかと言われています。 またその秋田ではファティマの奇跡から100年を記念してファティマにある聖母像が秋田にやってきたこともあるようです。 http://pouchs.jp/GCfxY?page=4 ファティマ第三の予言の真実 内なる神への自覚 ファティマの予言といえばオカルト好きならばだれでも知っている言葉であろう。 1916年ポルトガルの村ファティマに聖母マリアが出現し、3人の少年少女に数多くの警告を授けたと言われている。 3つの予言と特別な礼拝方法が知られているが、予言に関しては戦争に関する2つの予言しか公開されなかった。秘密の予言はローマ法王が聞くと同時に失神したため、公開されなかったという曰くつきのものである。 後にローマ法王暗殺の予言であったとディスクロージャーされたが、これは聖母マリアから警告を受け取ったルチアが「教会が嘘をついている」と批判した。 それでは、その秘匿された三番目の警告とは何だったのであろうか。 実を言うと同じような事件が日本でも発生している。 1970年代から80年代にかけて、秋田の教会において聖母マリアが出現し、修道女に警告を与え、教会のマリア像から涙があふれたという事件があったのだ。 続きを読みたい人は以下でメルマガをお読みください。いまなら一ケ月無料!!! http://mnsatlas.com/?p=48381 守護天使からのメッセージ あるシスターがシスター笹川から直接聞いた話によると、2019年10月6日午前3時半頃に、秋田で三十何年か前にシスター笹川に現れたのと同じ天使が現れ、 「灰をかぶって悔い改めのロザリオを毎日祈ってください。幼子のようになって、毎日犠牲を捧げてください」等のメッセージを告げたという。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E7%94%B0%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2 秋田・聖体奉仕会での「聖母と共に過ごす祈りの夜」(2013年10月12日〜13日) 2013年10月12日〜13日に、「信仰年」特別行事として、全世界から選ばれた聖母巡礼地10ヶ所をつなぐロザリオの祈りが行われます。これは、後援・教皇庁新福音化推進評議会、主催・ローマ教区によるものです。 その聖母巡礼地の一つとして、秋田・聖体奉仕会が選ばれたのです。 秋田でメッセージが告げられて40周年の今年、このようなお恵みが与えられたことに、心から感謝を捧げたいと思います。 信仰年にあたって、ローマでは様々な霊的催しが開催されております。この度、ローマ教区より、ローマで開催される行事の一つに新潟教区も参加するようにとの申し出がありましたので、皆様にお知らせいたします。 信仰年の一連の霊的催しの一つとして、来る2013年10月12日と13日は「聖母マリアの日」とされております。このうち、10月12日(土)の夜7時から9時半(ローマ時間)は「聖母マリアとともに過ごす祈りの夜」として、 世界中10ヶ所の聖母マリア巡礼所を衛星中継で結んで、ロザリオの祈りが行われることになりました。主催するローマ教区から、聖体奉仕会の修道院( 秋田の聖母 Our Lady of Akita )も参加するようにとの呼びかけがありましたので、これを承諾致しました。 今年2020年の2月20日は、ジャシンタの没後100周年に当たり、 来年の101回目の命日と合わせ、注目すべき日です。 もしかしたら何かが起こるかもしれません。 来年の101回目と今年の100周年の2月20日には、注目しましょう。 秋田とファティマの秘密 - Akita Message is the Fatima Secret https://vimeo.com/293381681 何故紙が求めるのか? 「毎日犠牲を捧げてください」 ソレは悪魔ではないのか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる