覚醒スレpart0
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心臓も呼吸も望んでるから動いてるんだよ
望んでるから5ch に書き込んでしまってる >>367
なんと!
センター街の悪夢とかつて異名を得たこの私に! >>369
かつてピーターは曰った
地獄が満員になると死者が地上を歩き出す
私から問おう
その光景を目の当たりにしたとき
望みの意義を変えずに前を向けるのか?
消えずに歩む死者の群れに何と語る? >>370
心臓は叫ぶ
我、自ずから脳よりも長く生けるもの
脳幹はせせら嗤う、呼吸は我が手にあり
肺は無気力に囁やく
みんな我の呼吸にて酸素を得たり >>373
望みが消え失せたなら前も後ろも無いんだよ
方向が無いんだよ
空間も無いんだよ
ゾンビの群れも無いんだよ
地獄も望みによって形成された世界 妄想=望み
世界は望みの産物
ならば世界は妄想
仮想現実だ よって、世界とは妄想ポエム
巨大隕石落ちる悪見たけど悪夢とは思わなかったな
ゾクゾクする感覚が生きてるって感じるそれも妄想だ
万能の願望器は望み続ける限り叶える
火にくべる薪はいくらでもある
破壊によって叶える
望み続ける限り苦しみはつづく >>379
現実化する妄想、しない妄想
どちらが多いかな?
あるいはすべて実現する? 望みとはある種幻想だな
しかし幻想もその中にいては顕に思えてしまう
堂々巡りだ 望まぬ望みが叶うとき
諧謔に苛まれる
自分が見た妄想が何だったのか忘却した果てに
叶ったことにさえ気がつかない
ただある、ただ得た
しかし問題は自分の存在すらそれが当てはまる事 なぜきみやおれは生きている
それは真に望んだのか?
その事におれは自信がないともあるともいえない
もはや詮索はやめることにしたさ >>382
覚醒してない場合、しない妄想が多い
妄想は実現しないと妄想しているから
うつしよの理の支配下にいるから 何のために生きるのなんてバカなこと聞かないでプリーズ
人生自体思いがけないこと >>386
してないと諦めてて
後から現実になることがある
おれは先月まで人生終わったと思ってた >>385
今も真に望み続けているから存在している
望むのを止められないから皆ここにいるんでしょ?
書き込むことを望んでいるんでしょ?
欲望が止まらないから ヒュームみたいに飛行できるようになりたい
そんな気まぐれな理がいい hukumusume.com/douwa/pc/world/12/24.htm
全ての願望は実現する
ただし結果に満足するかは自己責任
故に因果を超越した者だけが真に願望を叶えることができる
谷口雅春『生命の實相』 巡る季節のように一つに
悲しいときは悲しいままに
幸せになることを急がないで 妄想 → 女『 " く " 苦 + " ノ " の + " 一 " 始まり【くのいち】』の 亡き " 終わり " を想うこと
旧約聖書の一節、イブが知恵の実を口にした事により始まった、善悪を知る苦しみ
其れはこの世界の真理法則 "負の作用による成長作用" の終わりを、想うこと
この世界事象で生きることへの、疲れとして産まれた想い
文字言葉から物事のイメージは運ばれること、だから文字の型を詠み解かないとね
" 想像 "というイメージが有ってこその" 創造 "、思い(想い)無くして創造行為は産まれない事実
これは簡単な言葉論理だね 想いが発生したから負の作用に成ったんじゃね?疲れると言うより希望に近いだけでは?あれ木を作る意味からして無いもの E=MC^2
この数式が、この世界がエネルギーと云う作用(影響力)に由る世界だと証明された
私達の身体を構成する肉体物質、心という思い"想い"すらね
エネルギーという不確かなモノで成り立った、物質世界としての確かなモノ(物質)としての受け止め方
そこに疑問を感じないかい?言葉論理としてね
思 → 田 (エデン、箱庭「 口 」の中心から4方向「 十 」に分かれでた4つの川を示す)の心
思いとは、内(エデン、深層心理)から湧き上がる感性、心
想いとは、外(相、二元性解釈を用いた)へ馳せる感性、心
無から有は生まれない一般常識、じゃあ思い(想い)という有は何処から産まれたの?
ans この世界の始まりから"在った"エネルギーから産まれたのさ、作用の一部としてね このスレ、俺好みになって来てる感じする〜
実践出来るかどうかにはまだ壁もあるけどね(笑)
なぜ真理の究極の一点を
言葉や文字で表現出来ないのか?について
考えてみたことを書いてみようず
老子は「知る者は言わず 言う者は知らず」と言った?
禅では「不立文字」と言うらしい?
究極の一点は、表現した瞬間に
表現した者の思いが関与して変化してしまうから。
俺はこう理解している。今のところは…… >>408
言葉の限界と思われ
音楽評論も言語化が困難だからこそ取り組むが、やはり音楽は音楽であり言語では表現しつくせないという壁が存在する 舞踏の奥義も言語化の壁があり、
なんとか言葉にした瞬間に別物になってしまう
単純に踊ってみせるのが一番適切という罠 逝去したボンゾ以外のツェッペリンの3人が
かつて座談会インタビューに応じた
ツェッペリン全盛期についてJ.P.ジョーンズは語った
あのとき何か確かなものを掴んでいたが
それが何だったのか分からない 言葉の限界とは
いいかえれば思考の限界ともいえる
どちらも左脳的なプロセスおよび帰結であって とりわけ感覚的なものに関して
言葉・思考・左脳は相性の悪さを露呈する
筆舌に尽くし難い、この表現をさらに言語化するなら
やはり何回思考し言語化を試みても
筆舌に尽くし難い、に落ち着いてしまう しかし悲観することもない
筆舌に尽くし難いはずのものを果敢に言葉に表し
不朽の名言ともなりうることもまた歴史は証明してる
一例を挙げるなら
薬師寺東塔「凍れる音楽」を個人的に推したい 数千年の長きに渡り何人も言語化に成功しなかった
ある種の不到の奥義であっても
明日には賢人が現れて奇跡的に成功するかもしれない
↑↑
元ネタ
孔子も貴方もともに夢であり
貴方を夢だといっている私もまた夢なのです
これは逆説です
明日には賢人が現れて此を説明するかもしれませんが
その明日は一万世代の後にしか到来しないでしょう ちなみにフェノロサの薬師寺東塔「凍れる音楽」も
実は丸パクり系であって
当時の彼の本国では「建築は凍れる音楽」と
既に誰かにいわれていたらしい
(日本では不朽のレジェンド・ワードw) 普通に例えばあはふってしたら
あはふに成るだけだろ さて、お構い無しに、もちっとポエム書いちまうかぇ
1⃣仮に肉体の終わりと共に存在が終わるなら
それはそれでラッキーな話
2⃣仮に肉体が終わっても存在が終わらないなら
それは永遠の話
中途半端な回数だけ存在して
中途半端な回数で終わるなどあるはずがない
存在は肉体と共に一回こっきりで終わるか
永遠に終わらないかの二択の博打である 1⃣2⃣どちらに賭けてもすることはそう変わらない
後悔しないよう自分の好きな様にボケる
他人様の言う通りに従ってモノマネのボケを
したければすればいい、それもいいだろう
自らのオリジナルのボケを
したければすればいい、それもいいだろう
ただし永遠に存在が終わらない場合
存在の思いは引き継がれる?、それもいいだろう
どんなボケも後悔しないよう、お好きな様に 地界の舞台に上がってる間は
ボケに来たのだから好きにボケればいい
ツッコまれ落ちが着いたら一旦天界に引っ込めばいい
ボケ飽きるまで何度でも地界の舞台に戻って来ればいい
自然に何のボケ(思い)も湧いて来なくなるまで
その時はしばらく天界に居ればいい
また永遠の果てのいつの日かボケたくなるまで
あるいは永遠にボケ(思い)が湧いて来ないなら
永遠に居ればいい。
さて天界とは何だろうか?たぶん"無"だ? 間違いの地界では正解(ツッコミ)に憧れ
正解(ツッコミ)側の破壊者が偉いとされる傾向にある?
正解の天界では間違い(ボケ)に憧れ
間違い(ボケ)側の創造者が偉いとされる傾向にある?
関東人と関西人の思考傾向の違いに似てる?
秩序(不自由)と自由(無秩序)の関係に似てる?
秩序を望む者の最終到達点はツッコミ(破壊)を
やり尽くした先の"無"であり
自由を望む者の最終到達点はボケ(創造)を
やり倒す"有"である
どちらか一方が良いわけじゃない
破壊と創造の関係、秩序と自由の関係
天と地の関係、無と有の関係
闇と光の関係、陰と陽の関係、とか???? 存在が永遠なら
永遠の終わりは永遠に"無"で在り続けるしかない?
難易度高過ぎやしないか!?
それならば例え今がどんな位置に居ようとも
そこが天国だと思い込んで
ボケもツッコミも楽しんで過ごす方が簡単かも?
とは思わないか?!
必ずしも真理を知る事(夢から覚める事)を
目的にする事もなくない?
要は今(夢)が軽く楽しくなればいいのだから
その為に真理を知る必要がある人も
いるのだろうけれど?……一つの提案
知らん知らん知らんw
今まで書いた事ぜ〜んぶ知らんw
ぜ〜んぶポエムw いつか俺も何も書かなくなる時が来る?
それは現世での話なのか
まだまだ先の長い輪廻の先の話かは分からない
こんな掲示板で、受動的に書かなければならない状況に追い込まれる事はないのだから、主体的以外の理由で書くはずが無い、つまり俺はまだこの世界に何らかの思いがある、だから主体的に書いてしまう
何の思いも無くなった時、主体的に書くような事はしないはず。肉体を持って生きている間のリアルでは、主体的な思いが無くとも受動的に反応せざるを得ない状況は続くのだけれど 今俺がここに書く理由は、もうすぐ俺に主体的な思いが
無くなりそうだから?そんなバカな?、まあわからん。
その前に書いておきたい遺書なのかも知れない
これは肉体の話をしているわけではない
遺書と言っても物理的に死ぬ死なないの話ではない
主体的に湧いて来る思いが
無くなる無くならないの話なのであ〜る 存在の終わりとは
地界の舞台上で披露してみたい思い(ボケ)が無くなった時
天界で自分が自分に課した思い(課題)を消化し切ってしまい、もう主体的に自分から湧いてくる思い(ボケ)が無くなった時、睡眠中に夢(ボケ)を観なくなった時、かもね。
例え肉体が終わっても主体的に湧いて来る思い(ボケ)が
残っているなら、また地界の舞台上に戻って来るはず
それが善い悪いでは無く。
存在がボケ(創造し)たくなったから……
または、ツッコミ(破壊し)たくなったから……
それが俺という(永遠の?)存在だから?……
ポエム〜w 間違いだらけの街
何かが自分変えようとしても怯えないで
心の中は変えられない 更に吐き出しポエムw
仮に遠い未来にて全人類が何もしなくとも
死なない(終わらない)身体を手に入れたとする
それ以降存在は永遠に存在する事になる
その時、存在欲なんて言葉は死語になっているよ
永遠の身体を手に入れた者に肉体の死など無い
肉体の生存の為に争って来た人類の歴史とは
いったい何だったのだ?、アホじゃないか?と
そんな古代の歴史を学び存在している未来の時代
いったい存在とは何だ?、存在の終わりとは何だ?
そんな未来の時代にも何かの終わりがあるのなら
確実に肉体の終わりより先に存在の終わりの方が
先にやってくる。何せ肉体に終わりはなく
永遠である事が確定してしまっている時代なのだから。
"思い"しか無いんじゃないか?
存在とは"思い"ではないのかね……
ただのポエムw 無理に有無で分けんでも天界が無とか無なら天界無いわけやから
破壊が無いけど、どう見てもあるじゃん
想いって何でしょうだろ? 有と無、それはまず言葉解釈なのだと理解しないと
この世界は漠然と"在る"けど、その全てを人は知っている訳ではない
その"在る"という枠組みの中で、〇〇が"有る"、〇〇が"無い"と解釈してるだけ
在るという一元性言葉に内包されたのが、有ると無いという二元性解釈言葉なのさ
二元性解釈を超えた一つ上の視点を、俯瞰視点と言う 物質界のライフにはハッピーエンドも予定調和も無いよね E=MC^2
アインシュタインさんが視つけ考え出した数式
エネルギーが集束したモノ(具現化したモノ)が、最小物質(水素原子)という証明式
様は私達、この世の全ては、エネルギーを基として成り立ったモノ
死とはエネルギー形態へと還るだけ、心(心神)というエネルギー性質としてね
其処にエネルギー保存の法則を当て嵌めれば、輪廻転生の可能性も視えること
エネルギー相互作用を用いれば、因果応報の可能性も視えてくること
言葉という道具を用いたイメージ(認識)すら、エネルギー作用としての顕れ
言葉(思い)に気をつけなさい、それは運命(エネルギー作用の結果)へと繋がっているのだから エネルギーという不確かなモノと、物質という確かなモノは、同じ基(モト)
形態としての顕れが違うだけ、その意味を理解することが大切なのさ
物質形態であるからこその、実感の生まれ
心(心神)を成長させる目的の場が、この物質世界という箱庭
そうした先で連想されるのが新世界の誕生、其処に立つに相応しい存在の篩分け 霊界にも
軍隊組織・階級制・命令系統・業務ノルマ・昇格と降格・信賞必罰があるって絶望
そこに一瞬の休息も安らぎも無かった
絶対無こそ真の希望
絶望の絶望が希望ってパラドックス 修行と言うのや成長と言うのは方便だよ個々ってだけの話でしかなく
タイミング的に覚めるだけ
改心って話
そもそも物である理由は実感では無いと思われる
現れなだけ >>435
アインシュタインと呼び捨てするには、尊敬意識で抵抗を感じ
アインシュタイン様と呼ぶには、崇拝意識が視られ抵抗を感じた
アインシュタイン君と呼ぶには、見下し感で完全拒否
おこがましいけどフレンドリーなアインシュタインさんで落とし処を決めました
ちょっとした御ふざけ言葉遊びですw 虚空蔵55の宇宙全史ワークとアセンション説話が宇宙の真実なんだろうな
2038年に向けて人類の99%はドロップアウトして悲惨な死を迎えて地獄の惑星に転生する 此処にある確かなリアリティ振り返る昨日なんてつまらない
途切れない空を何処までも
影さえも映らない世界へ 「知る者は言わず 言う者は知らず」
ネット検索では、物事をよく知り抜いている人はみだりに口に出して言わないが
よく知らぬ者はかえって軽々しくしゃべるものである。という例え
そうした先の "無知の知"
自らを無知と理解した飽くなき探求心、俯瞰視点を用いた真新しい発想、誰も気付かなかった発想
真理とは真の理(法則)、真実とは真の理(法則)から導かれた、真の実り(事実、結果)という言葉論理
二元性一元という真理法則、ベシカパイシスという其れは本当に美しい そのなんたらが美しいのでは無い
そのなんたらはほっといてもなんたらなんだから
なんたらを構成してるものが美しいのである 本当は定義される形すら無いのにな
求めたのは?妄想の果てに 世間は甘くない舐めてたらすぐにボロが出る
当たり前が出来てない
簡単でも分かったフリはもうやめよう 僕たちはそう自由で
ただあまりに自由過ぎて何処へだって行け過ぎて
何処にも行けずに居た 今まで自我や思考や感情は瞑想やマインドフルネスにとって不必要なものだと思ってた。
真我に目覚めるためにそれらのものは邪魔者でしかないと思ってた。
だから必死に消すことばかり考えてた。
でもそれは間違っていた。
正解は、自我や思考や感情と共に生きていくことだった。
自我や思考や感情を愛しながら共に真我でも生きることが本当の生き方だったことに気づいた。
これは最近自分にとって大きな悲しみがありそれによって目覚めた。
この教訓を学ばせるためにこの試練は起きたんだろう。
ようやくわかった。自分は間違っていた。
真我ばかり追求してたけどそれは違った。
自我も大切で必要なものであり、自我と共に生きることこそ正しい生き方だったんだ。 大きな悲しみがおとずれた。
瞑想やマインドフルネスでほぼ自我が無くなり真我で生きてるつもりだった。
その悲しみがやってきた。
それによって思考は過去の事や将来のこと、目まぐるしく働き、
感情は泣くことを抑えられなかった。心は孤独感と虚無感でいっぱいだった。
瞑想してみた。思考が止まれば一時的に安心感が訪れる。でもまた感情や思考に支配される。
この悲しみの前では瞑想など、効果がないことを知った。
瞑想でなければどう解消すればいいのかとこの心とたたかった。
悲しみのあまりもう何年も飲んでなかった酒を飲んだ。そして泣いた。泣きまくった。
そこには真我もくそもない、純粋な自分の自我が感情のままに泣きわめいていた。
まるで子供のように。そう。何も変わっていなかった。
大人になって精神世界を探求して瞑想して自分なりに自己統制でき自我も薄れてきたと思ってた。でも何一つ変わっていなかった。
自分は自分でしかなかったんだ。子供のような純粋な自分。
この自分を消そうと自我や思考や感情をなくそうとしてたことが実は間違いだったんじゃないかと思った。
それは自分自身、この悲しみを感じる子供の頃から変わらない自分という人間を否定することになると気づいた。
生まれてからこの自我でこの思考でこの感情で生きてきた。
それをすべて消して真我で生きるということは、間違いだったんじゃないかと。
この自分の自我を愛し、この思考を愛し、感情を愛して、
それと共に真我で生きることこそ正しい生き方なんじゃないか。
と思うようになった。
そしてその後読んだスピリチュアル本には、その自我のことをインナーチャイルドといって、子供の頃から変わらない自我を否定するんじゃなくて愛して受け入れて生きることが大切と説かれてて、
自分のこの悟りがやはり正しいんだと確信した。 何気ない言葉ナイフのように刺さる
心の傷は誰にも見えないもの この世の中は全て皮肉によって成り立ってる。
神のようなレベルの人間が居るほど、畜生レベルの人間も相応して存在してしまう。
要は、プラスマイナス、ゼロになるように、本当にそんな皮肉によって成り立ってるし、この世の中ってそれ以外実は無いのよねw
どれだけ誰がどうあがこうが、プラマイゼロ。
全ては実際解決不能なんですよ。
結論を言えば、何事もなかったのに、この宇宙を生んだように。
何事もなかったのに、何事かあるような世界が、この世界。
つくづくそう思いますね。 「地球上で生命が絶滅すれば、同じ瞬間に宇宙のどこかで新しい生命の惑星が誕生する」バグワン・シュリ・ラジニーシ >>456
そう、だから地球人類・生物を早く滅ぼして
別の星にある種の主導権を移そうという
ある種の覇権争いが
現在と、遠い未来、この間で勃発する
現在側は地球人類・生物環境を守ろうとする側 自分の知ってる言葉で言えば、人間にはランクが有って、それを知恵正覚の度合いと言うらしい。
生まれ持ったその人それぞれの可能性を言うんだろうと思う。
感じる事でもランクが違えば、全く解釈や全てが違うし、変わる。
ま、それはいいとして、人それぞれに感じるまま、その人相応に生きればそれでいいと思うんだかw・・・
五感って言うのかな?全ての感覚神経を全うした人間ってのは、それらを満たしてないランクの人間よりも心が深く、より複雑で、当の本人しかわからない事象にぶつかるらしい。
要するに、人間にはランクってのは必ず有って、ランク上位の人間は下の人間にはわからない感覚神経によって見てるって事。
が、しかし、ランクが違う人間同士は幾ら説明しようが、わかり合えない。
言い変えれば、知恵正覚の優れた人ほど、まるでキリストのような、凡人には理解しえない神のような役割の人間なんだと思う。ただ存在してるだけで。 ワールドメイト深見東州が言うには「瞑想・ヨーガは邪道。悪霊が集る悪い遊び。自己流にやれば外道に堕ちる」
ごもっともだと思う
人間真っ当に生活していれば、ゆっくりではあるがカルマの償却によって少しづつ成長する
最も真っ当な宗教は神道とキリスト教。つまり戒律と信仰が最優先課題
人間言われたことだけやって義務を果たすべきロボットに徹しろ
レールから脱線する奴は腐れ外道 仮に禅寺の雲水にしても本質的な成長は、座禅でも荒行でも無く
炊事・洗濯・掃除・野良仕事と托鉢の生活修行が大事
公案とか警策とか舞台演出の茶番と小道具 >>456
ラジニーシは陰謀論的にユダヤ秘密結社の工作員だと思う
米国滞在中に逮捕監禁されて毒殺されかかったのもある種茶番劇
そのラジニーシ門下生の多くはその後ロックフェラーに雇われてる
クリシュナムルティの覚醒にしても、
マダム・ブラバッキーとアニー・ベサントが企画したカルト宗教の演出
インド人にターバン・バンダナ・サリーを着用すれば誰でも聖者に見えてくる >>459
神道ねえ
でも神道は正式経典がナショナリズムに染まってるからなあ 神道・キリスト教の良いところは聖職者と信徒に分け隔てあるところだな
階級と聖域と縄張り、そして秘儀と密室会議 今の人間の状態は二十年前のエネルギーに似てる
まだ世には出ておらず隠されていたエネルギー
神の足跡とも言える
神が再臨してから人類全体がガラッと変わった
新しい世界の歴史はそこから始まっていたのかなと 何千年も止まっていた時間が漸く動き出した感
魂の死に際にやってきて再び命を与えるという記述はマジだった 新千年秘密のベール包まれた未知なるスケール
灯台から何が見える?
どうだい兄弟へのエール 精神性の進化
この精神ってやつは肉体の衣を纏いつつ
高みを目指せるシューティングスター きっとどこへだって行ける
その気になれば
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