宗教とは何か? Part2
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天の岩戸の神話を比較してみましょう。弟スサノオの行動に嫌気がさしたアマテラスは岩戸に引きこもってしまいます。
その為に世界は暗くなり災いが地を覆います。他の神々は困り皆でアマテラスを岩戸から出そうとします。
オモイカネが策をだしアメノウズメが踊りタヂカラオが岩戸を開きます。皆が「協力」してミッションをクリアしようとするのです。
ギリシャにも似た神話があります。豊穣神デメテルは弟ハデスの行動に嫌気がさして大地は飢餓に見舞われます。これを解決するのは最高神ゼウスの「命令」です。ゼウスがハデスとデメテルの仲介をし問題を解決するのです。
問題が起こった時どのように解決することを是とする文化なのか日本とヨーロッパの違いが神話から読み取れます。どちらが良いわけではありません。違いなのです。 一般的に教えられる内容は性欲はダメ、真面目に生きなさいばっかり。
そんなこと普通に生きてれば分かるわい。
社会的に都合のいいことしか言っていない。
真理や真実がない。
突き詰めようと思えば煙に巻くように様々な宗派が現れわけのわからないことを言ってくる。
あほらしすぎる。
カルトが金を集めてどっかに回す仕組みにしている。
そもそもカルトが現れた時点で宗教などもはや信じるに値しないものになっている。
何も考えずに生きるアホの方がよほど良い。 >>305幻聴の話追記
顕正会に入信行為を行うと、喧嘩している創価学会が、
カルト宗教法人顕正会と言わせる霊懸かりをかける必然を組むそうです。
あの世の動きなのかは不明ですがそのようにこの世が動くそうです。 人類に良い効果だけ、あるいは悪い効果だけ与えるものがあるでしょうか?
銃や凶器でさえも人を傷つけることもあれば守ることもある。麻薬も痛みを和らげる薬になることもあれば廃人にすることもある。
宗教も同じです。しかし過去に間違ったアプローチがあったかも知れませんが多くの場合、善意によって人を救おうとしてきました。
イマジネーションを刺激し文化を育てました。
倫理を規定して社会を維持しています。
何か一つ悪い面があるからといってその全てを否定していくと結局は何も無くなってしまいます。
「ひとは他人の美を見たがらず、むしろ好んでその醜を見たがるものだ」藤沢周平の言葉ですが他人だけでなくあらゆることに当てはまる気がします。 別に文化発展させたいだけなら
搾取する必要も
本当の事だと思わせる必要も
政治と結び付く必要もなかった 動物達や虫達を殺すからこそ苦しみを得て人の人と成るようなもの。
つまり悪因良縁の学びは動物達や虫達を殺すからこそ。
そして、動物達、虫達を弔うことが出来れば良因悪縁の学びが始まるのかもしれません。
道教は、動物や虫を殺すということによりどうなるのかの学び無き中途な宗教でありましょう。
書物では牛を平気で解体する教えを説くようですから。
学びの無さ故の論理破綻です。 一言で言ってしまえば、
"神"を信じる
それだけ。まあ何を神と祀るかは地域によって時代によって違うが。 人々の死への恐怖心をいかに取り除いてやれるか
難しいな。 取り除く必要なんて無くね?
だって死んだら終わりなんだし 死に対する恐怖
↓
死後何もなくなる事に対する恐怖
↓
死後地獄に落ちる事に対する恐怖
と順にすり替えてるだけ 僕も今こそ何も恐れてない究極の状態だが、昔は怖かった。 宗教板で誰かさんが言ってたぞ
神は妄想
宗教は欺瞞
信じるアホは
巣喰われる
ってな 宗教が全て妄想で死後の世界も無いと考えると人生の意味とはなんでしょう。人間の生というのはなんでしょう。
我々の歴史というのは宇宙の歴史からみると一瞬の泡のようなものです。宇宙は熱力学第二法則が示す通りただ冷えて均一な状態になります。そこから考えると人の営みは無意味であると考えられます。
我々の思考や感情は電気的信号と化学物質の変化にすぎません。電気的信号に過ぎない人間の命を消す事とテレビのスイッチをオフにすることは本質的に違いがなくなってしまいます。
このようなことが理性的な思考でしょうか?宗教を信じないこと神を信じないことはこういったことです。 余計な存在に生きる意味かってに決められるぐらいならそれでいいわ 人生に意味なんてないからこそ
好き勝手生きられるんだ
架空の独裁者なんてごめんだね >>272,273追記
不細工若い幼い女の子には若さという美故に、三億円ではなく、三億以上の
より高額の大金を支払うのが教学として正しいはずです。
それ故に美への学びとなり得るのですから。 キリスト教で罪が議論される際、動物の悲鳴はバネのきしむ音によく例えられていました。伝統的キリスト教では動物は魂を持たないのです。
ある枢機卿は尼僧の前で妊娠中のヤギの腹を蹴りあげて尼僧が悲鳴をあげると神が人間のみに世界を支配する特権を与えたという教義を疑うのか!と説教したそうです。
人間の苦悩はただあるわけではなく、受難(パシオン)と言って善の為であり天国への鍵であり神の恵みのあらわれであると考えられました。
ひるがえって動物の苦痛はどうか、動物達は魂を持たないので救われることがありません。動物達の苦痛が何の報酬もなく救済もなしに与えられるのであれば不公平です。
人間の苦痛と動物の苦痛は同様のものと科学的に証明されたからです。
そして世界の大部分が不公平であるならば神の全能や善性は疑わしいことになります。 釈迦が大軍に攻められた迦夷国の要請を受け救援した話がある。
釈迦だって大量殺人を犯している。
仏教を美化している人が多い。
釈迦は宮殿に行き本尊の如意輪観音を七星と訶利低母の八尊で囲む曼荼羅を配置した。
この時、法輪を用いた。
法輪は八本の輻を備えている。
通常の法輪は、輻が船の操舵輪の如く持ち易そうな取っ手付きだが、この場合は宝剣となる。
八本の宝剣が外へ向かって飛び出す形でこの輻の間に八尊を置く。
八尊は総て下方を向く。
この曼荼羅の場合、下方が南方だと考えられるので全員が南に向いている事になる。
前期密教に於いて、曼荼羅は大きく三部、仏部、蓮華部、金剛部に分けられる(日本密教では両部、胎蔵と金剛に分けるが、分類のレベルが異なる)
仏部は釈迦が主宰で、蓮華部は観音、金剛部は金剛手が主宰する。
因みに各部は、属する仏格を生み出す仏母、守護神たる明王が配置される三尊形式となる。
最上レベルの仏部の仏母が文殊であるとして、「仏母」といえば文殊を指すようになったのだろう。
観音の世界たる蓮華部での仏母は白衣観音である。
明王(守護神)は、正義感は強く怒っている馬頭観音で馬頭観音は罵倒(嘘)を怒る観音である。
七星如意輪曼荼羅を作成した釈迦は、七星を祀る火壇の前で一日一夜祈り、
七星の「精霊」が天から下り、訶利大神が地から涌いて出て敵を潰滅した。
訶利低母(訶梨帝母)、元々人間の子供を喰らう夜叉の類で、釈迦に諭され悔い改め子供の守護神となった。
日本では鬼子母神となる。
ちなみに戦争の9割は宗教絡みである。 我々が某か定められた自然の理を身に宿している宇宙や海の一滴であるのは、
苦しむほどにインテリになる自然故に。
それ故、エゴ的な知恵では、この子は危険なインテリだと認めた時、
苦しみなど与えず楽を与え続けるのが正しいのは顎の海老でんす。 18世紀後半までヨーロッパの知識人達は自然界の残酷性、つまり神の残酷性について聴かされることにウンザリしていました。
博物学や生物学の発展で様々な生物が発見されたが自然界の海洋生物は悪魔的なデザインのものが多く、もし神がこれらの形をデザインしたのなら神は狂気に侵されてると思いました。
寄生虫のおぞましい生態、動物達は互いに喰い喰われるという宿命を持っているという自然界の苛酷さに神の無慈悲と残酷さを見ました。
神が無慈悲で残酷だとすると世界は善ではなく、人と神との契約つまりキリスト教の教義は偽りではないかと恐怖しました。
これを解決したのはチャールズ・ダーウィンとアルフレッド・ウォレスでした。
彼等はその著作の中で生物の捕食、被補食はより良い生物に進化するための試練であり、全ての生き物は最終的に神へと至る過程にあるのだと示唆しました。
自然界の残酷性をより良い世界への機械的機構であると説明する進化論は議論を含みながらも支持されました。
現在、キリスト教と対立項で語られる進化論は発表当初はキリスト教の教義への疑問に対して神の善性を説明する答えだったのです。 わざと不完全に人類造って洪水で流すヤハカスに善性なんてあるかよ (キリスト教国の動物愛護やクジラやイルカ、ゴリラ、チンパンジーへの偏愛をキリスト教的動物観で考察してみるのも興味深いと思いましたがそれは置いといて)
ダーウィン達は人間の進化については実はあまり論じていません。
しかし科学は単一の理論で全てを説明することを最上とするので進化論も人間と人間社会に応用されることになります。
そしてダーウィンの時代から第2次大戦までの間、人類の進化を研究する学者達は今の基準で考えて驚くほど人種差別的でした。
ある人種は他の人種より類人猿に近いと信じていましたし「劣等民族」という言葉は今よりもずっと生物学的な意味で語られていました。
人類はより良い種へ進化できるし、その進化を人類は知恵を使って速めることができると考えられていました。
適者生存、より早く高次の存在へ進化した民族は他の民族を駆逐し滅ぼす権利を有し、それは神の意思に沿う行い、正義であると考えられていました。
身体障害者、精神異常者、社会不適合者に不妊処置をしたり抹殺したりと言ったナチスの人類浄化計画に関わった科学者、技術者は全人類への貢献という熱い情熱を持って作業に没頭しました。
社会ダーウィニズムや犯罪骨相学は正しい科学であり、宗教的にも正しいことだったのです。これらは現代の価値観では悪行ですが当時の価値観では正しい行為でした。 科学は取ったるエビデンス。故に下顎というものは取り上げられたる海老でんす。
下顎部でっかい海老殺し。 動物たちは顎気にならず。定まった顎の一律模様。
ならば人にもないだろう。何故なら人も動物だから。
顎があるのはエビデンス。転生輪廻の海老でんす。 顎を無くせば法の外。供養によりけり顎無くし。けりが付くからエビデンス。
三位一体トリニティ、海老にていならエビデンス科学、イスラム教なら鳥にてい。
いずれは皆さん鳥にてい。 実に老獪海老でんす、供養の為なら魔訶般若波羅蜜多心経、写経でてい。
仏壇神棚供養記てい。 鬼門の艮金神は家族七人を殺すと言われていますが、
正しい神と伝えられる場合もあり、天に何か問題があり、
それ故に苦しめを与える必要があるということなのではないでしょうか?
気付いて貰いたいことが何かあるのでしょうかね。 本場中国の艮金神を供養しておけばいいのではないでしょうか。
陰陽道の書籍を買うなどすれば供養になるでしょう。
それこそ大量も大量の供養が必要でしょうけれど。
天での問題は天に行けば解決が困難を極め切るものと判断されます。 孔子と老子の思想は素晴らしいよね。
中国の学校教育では当然カリキュラムに入ってるだろうし、そこは裏ましい。 それに比べて日本の教育はなんだ
未だに邪馬台国がどこにあったか?
で止まっている。
いい加減、先進もうや。 科学は確かにエビデンスでありましょうが、
海老でんすは確かに存在している上で無くなるカガクノえびでんす。 ライオンは狛犬ケーオー、虎はトライ、鹿はシー、象はズー。
倒す、努力する、見る、動物を(?)。
鷲はウォッシュ、鷹はテイク、隼のハーベスト、梟のフー。
洗礼、取り上げ、刈り取り、誰でも。
蛇はヘヴィーで重圧を掛ける。
英語は日本語に日本全国世界動物を伝えているようです。 虎の虎居、蛇の蛇居は駄目でしょう。
イスラム居スラム駄目でしょう。
居すら得るイスラエル。 悪因悪果のバカにすることなどは、
悟り得たことでは天の蔵に積んでいた富を支払うことになる、
人生の財産管理の上での非常な損失であるようです。
某かの一滴である己を馬鹿だと思い続ければインテリになる我々の理では、
バカにすることは相手にインテリになり得る富を渡し続けるということでしょう。 供養の金字は、
天依真留定
白紙に供養と書き添えて書き込み海老でんすのご確認をどうぞ。
仏壇にあげると良いでしょう。 七帝大、高学歴進学高校、成績優秀な小中学生への難問。
己が考えられない位の低能と思しき馬鹿に出来るような程度の頭の人々と、
同程度の水準の交流を持ち得る馬鹿であるという論理を組んでみましょう。 因果の字句には金が宿っていると聴く。
つまり因果の表現により金が巡る。般若心経でも金が巡ることは確かである。
そこには霊金が存在するらしいことが確認されるエビデンスがある。 因果が金である以上善果の善因は貯金であるでしょう。 善因善果が貯金となるなら悪因善果の悪因も貯金となるでしょう。 善因善果、悪因善果が貯金である時、
金がどこからやって来るか。
例えば悪因善果とは悪因悪果との関連があり、悪果の悪因を積む者が悪因善果を与える。
このやり取りのみで発生する金とは
馬鹿にするような悪因悪果を積む者から悪因善果を積まされる人へと金は巡るようです。
他の因がない故に。
更に善因善果では善因を積むつまり与える人へ、与えられた人々が金を巡らせるようです。
他の因がない故に。 故に悪因悪果は散財であり、善因善果は搾取であるでしょう。
分からないのはただ只管苦しみを己だけの世界で得ている人に何処から金が巡るのか。
これは悪因善果であり、それは快楽を求める苦しみ、苦諦の境涯が最も仏教らしいでしょう。 過去世で一般民衆は悪因悪果を積むと教えられており、
故に悪果故の金不足に悩み強制的に貯金させられる不細工の悪因善果の人生がある一方、
善果の積み過ぎにより悪因善果の苦しめを受ける人もいるようです。
ここで考えられることは、過去世の善果の貯蓄財が生まれてから計上されず、
実金にするために人生が苦しみを与えてくるような必然ばかりに見舞われるということです。
そういった人は善果故に美しく、故に苦しむ美人は与え続けて幻の金を実にするという
教えの言葉を受ける必要があるでしょう。
苦しむ人生は疲れ切るようなものでありますから。 また金である果は、因が貯まる若しくは減る人の金の量により動くという可能性です。
悪因善果であれば、己の苦しみ故の貯金量が一定量を超えた時善果として良縁となるのでは。 善因善果は道理として己の貯金ということになるでしょうが、
善因の貯金量が一定を超えた時、善果としての良縁となるというところでしょうか。 善因悪果、善因独果は変わっていて、善因は周囲の称賛であり、
善因を積むのは悪果を取る人の周辺の縁者です。
故に縁者たちの善因善果の貯金量が一定量を超えた時となるのが普通でしょうが、
このとき善因悪果が悪縁などになってくると考えられます。
悪因悪果は散財量が一定量を超えた場合動くというところでしょうか。 あの世の知恵でありましょうが、
貯金をすべてに近い分量を分け与えるなどして生まれた後の幻の金量を減らしておけば、
悪因善果による苦しみはほとんどないのではないでしょうか。 小学校の海老田巣。親の海老から子の海老に引き継ぐ話は苦労の話。
小学生の餓鬼どもがいたずらし続け苛ついて、悪因善果の取りっぷり、
それでも済まない戯れにその人相当苛つかせ対策取ってる老獪さ。
海老の休息穏やかに、それでも子どもは悪因悪果、積み上げるようなバカであり、
気になってしまい触るもの。教えるくらいはしなければ。顎でかくなると教えなければ。
教えられても聞かぬもの見事な顎と相成りて醜い面で恥搔き切ってようやく落ち着く老獪さ。 醜い顔面さようなら、したくば小学一年生に教えるくらいはすべきでしょうが、
ロリコンショタコン叫ばれるこの御時勢に伝えるはどうするべきかは考えて。
そしてお目見えする者が美男子イケメン美人美女。
若い頃には取り得ない美を獲得する方法は、自己救済の海老など救世。 世界征服の話についてです「GAFA四騎士が作り変えた世界」という本を読んでみると面白いかもしれません。YouTubeの解説動画でも良いですが。
ポイントとしてはGAFAが莫大な利益を得ているのに雇用を産んでいないというところです。
ライバルになりそうな企業は買収や価格競争で潰してしまう。小売業で伸びているのはアマゾンだけ、広告も伸びているのはFacebookやGoogle。
物品の善し悪しエンターテイメントの評価、旅行先、なにを買い、なにを食べ、なにを経験するのかという判断基準をGAFAの評価に委ねてしまう多くの人々。
GAFAは莫大な資産と影響力を持っています。しかし彼等は利益を雇用に回さず少人数で運営しようとします。そして租税を回避して国家による富の再分配も拒否しています。 圧倒的な便利さで生活インフラを提供して莫大な利益を得ているのに少人数で運営され社会のルールや人々の価値観さえ変えて操る。
GAFAによって世界は征服されつつあるというのが本を読んだ印象です。 神道やバラモン教など昔の宗教家は愛の宗教一神教を拒否し、
動物たちと協力して宗教を行おうとしていた。
ブッダになれば、動物たちが完全に特定される宗教をやらされるのかどうか。
動物たちが特定されてしまえば歩かされ探しに来てくれるようにと頼まれる。
アダムキリストマホメットのユダヤキリストイスラム教の過酷過ぎる動物実験である。
故に宗教法人は一神教である。顕正会に入信することにより動物が特定されてしまった。 中国は道教、陰陽道の国でありましょう。
故にこれまで、兵法により一神教国と並び立ってこれたのでしょう。
中国を潰すわけにはいかないでしょう。
大戦では中国とは手を組むのが良いと考えられます。 >>378
これからの先の時代、
その四騎士が敷く社会システムに、
全く関与することなく、
独自で成立し存続できる社会を作り上げ、
この社会において、GAFAetcによる関与を認めないとする法なり権利なりとするものを、
早めに準備しておくのがいいかも知れんな。
それこそ今のアマゾンの部族のような隔離され関係が無くとも生活が維持でき、
民族の種が存続できる状態。段階的にでもいいから、生活の中からグローバル企業の産物を手放して、
徐々に地方内で完結する経済を構築していけるよう代替産業で暮らしていけるようにシフトする。
その前に、まずはマイクロチップを埋め込む事があるならそれを拒否し独自の生活を営む事を認めこれを侵害したものは粛正する、的な権利なるものが欲しいね。
一般的な感覚として、富の概念が貨幣を量的に捉えている様子であるこの今のうちに。 もう1冊興味深い本の話「ホモ・デウス」上下巻ありますが上巻だけでも良いかもしれません。もちろんYouTubeの解説や要約サイトでも内容はつかめます。
人間が機械とつながったり薬物で意識を集中したりして能力が飛躍的に伸びて、機械化していない人々との間に大きな格差が出来るということが書いてあります。
国民全体を底上げするより少数の優良な人をアップデートし続けた方がコスパがよいので国家も弱者保護より強者補強に戦略をとる、
このあたりは医療社会保障を充実し続けた日本より先端技術に力を入れたアメリカの方が覇権を握っている現状で理解しやすいかもしれませんね。
幸福というのが脳の中で創られるので脳内物質を操れば幸福でしょうという思想が紹介されています。 1970年年代にLSDという幻覚剤を使うことで長年修行した修行僧と同じ脳波を出すことが出来るという研究がありました。
人の革新を科学によって起こすというムーブメントですね。
その後LSDは依存性が高くこの思想は日本では下火になりましたがアメリカでは脳科学ブームやヒトゲノム解析ブームの根底に脈々と生き続けていました。
それがCPの発展で実現の可能性が出てきたということなんでしょうね。
人間活動のデータを巨大組織に差し出す出さないの選択肢は残されるでしょうけどデータを差し出して管理された方が幸福になれる(幸福感を得られる)未来になると思いますよ。 >>385
アベノミクスの本質と
オバマによるアメリカの凋落
がそれだって言いたいの? アベノミクスは確かに大企業の株価を金融政策で押し上げて経済全体を底上げしようという政策ですから思想としては似ていると思いますが、「選択と集中」が中途半端な印象を受けますね。
弱者保護の社会保障に使う消費税も上げましたし……
アベノミクスは金融政策で企業の株価を上げる、ここまでは良かったのですが企業は上がった株価を元手に研究開発をしてイノベーションをしなければならなかったはずなのです。
GAFAのような世界的企業やパラダイムシフトを起こすシステムや商品を開発しなければいけないのですが企業は出来ませんでした。
金融政策で上がる相場を「金融相場」金融相場で業績を上げた企業群が本来の価値で評価され株価が上がる相場を「業績相場」というわけですが
企業の決算は芳しくなく業績相場は来てないようです。そうなると海外機関投資家から(日本は政策で株価を上げたけど、そこまで止まりでダメだったな)と落第の烙印を押され資金を引き上げられてしまいます。
そして本当の不景気が到来するという悲劇が待っているわけです。 しかしながら相対的に見て日本以上に成功している国なんてほぼ無いわけですから日本が見捨てられるのはまだまだ先の話でしょう。
アメリカの凋落についてですが国としては矛盾が噴出して混乱しているように見えますがGAFAはじめ企業群は次代の「超国家新秩序」を予感させる動きを見せているので
凋落に見えることが本当に凋落かは判断つきかねます。 超国家企業が世界の富をコントロールするとしたらどのような形態になるでしょうか?
おそらく吸収と合併を繰り返し3社に収斂していくのではないかと思います。
日本の携帯電話会社をみればわかるように3社が競い合う状態が最も安定的に収益を出せるからです。
3社が世界の富を分け合う時、その3社の株価はものすごく上昇し庶民ではもはや手が出ない値段になるでしょう。
証券を持つものは上級市民として巨額の配当を受け取りその金で自分や家族の体を改造し庶民とは比較にならない能力と不死の体を手に入れ、
企業群からの特別なサービスを提供されて幸福に包まれて生活するでしょう。
つまり私達が出来ることは資金を貯めて覇権を握るであろう会社の株を買って配当を受ける権利を持つことです。 >>380そのような話。神道が愛の宗教を拒否したとは寝ぼけでしょうね。
老獪海老田巣とは、小学校でのえびでんすカガクに気付き得るいい教学の機会だが、
携帯電話との連携を組んでいない場合があるようです。 >>381追記
日清、日中戦争の如くに伝えない明確な主張をし続ける、教師としての中国を、
生徒としての弟子としての日本が支持をするという流れが、一面的に正しいでしょうが、
中国の向きと日本の向きの違いが明確になるならば、
日本の立場から類推できる中国の最良を突き詰めるべきでしょう。 >>535追記
エビデンスを無くす為に、正しい念仏を唱えるという供養も出来るようです。
私の念仏が正しくなかった為に十五歳にまで及ぶ念仏も甲斐なく、
エビデンスを見続けることになり供養にならなかったようなのです。 産業革命以降、国民にある意識が産まれました。産業革命は人々を産まれた土地から引き離し工場のある都会へ向かわせました。それぞれの地方から集まった人々は当初、帰属意識が希薄でした。
そのバラバラな個人を結びつけたのは「言語」です。例えばフランス人ならフランス語でコミュニケーションを図り日本人なら日本語でコミュニケーションをとります。
その結果同じフランス語、日本語を話すという仲間意識が生まれフランス人、日本人というアイデンティティが個人の中に確立されたのです。
いわゆる…「ナショナリズム」です。ナショナリズムが高まると国民は国家のために進んで犠牲を払おうとします。
ここで国家は支配者として登場することになります。それは個人から私生活を奪い取り、命まで犠牲にすることを要求します。
国民はこの国家という支配者からすべてを受け取ることが出来るが、一方いつかはこの支配者に対してすべて差し出さなくてはいけません。
これは国家による人々の統合支配です。
国民のナショナリズムが高まると国家は国民の意識を統制し「国家にために死ぬことが国民一人一人の生きる意味」であり生きた証しであると意味づけします。
ナショナリズムが高まった国家間同士の戦争は国民と国家の財政を総動員した「全体戦争」になります。
全体戦争では兵士は砲弾と同じように使い捨てられ、大量に死んでいきます。
兵士たちは国家の勝利という目的のために自分の命を差し出し、国家は兵士を戦わせるために彼らに「誇り」を与えるのです。 この体制のなかで英雄とされるのは武勇をもってその名を轟かせた者ではありません。
それは「無名の兵士」
彼がどこにいたのか探しても痕跡さえもないような者を英雄と言います。
何の目立つところもなく長蛇の兵列の中にあり、見分けることも出来ない一兵士にとどまり、死肉の山の中に見分けもつかぬ肉片となった無名兵士の栄光は、
武功に対して与えられたあらゆる名誉にもまして、光り輝くものになりました。
第一次大戦後、世界各地に英雄の碑ではなく無名戦士達の墓が数多く建てられました。
「無名のまま死んでいくことこそが栄光である」のです。
無名の人たちの名前をあえて並べて、塹壕戦の中で肉片になっていく兵士を素晴らしい英雄だとたたえて、彼らがこの国家を支えてくれたんだと碑に明記しました。
これを見た人たちも皆、国家に命を捧げましょうとしました。
自分が何者なのか何者かに成りたいと求める人たちには非常に魅力的にみえました。
なんの才能もなくなにも成し遂げなくてもただ国家の命令に従い、ただ死ねば英雄になれるのですから。 日月神示、2019.12.14の973の書き込み。
うっとうしさのあまり阿弥陀信仰を顎と伝える始末でしたが、
阿弥陀信仰は供養の言葉であり、仏教神道の動物などを苦しめた海老デンスが
そもそもの問題の根本であり、阿弥陀念仏には因果は有り得はしないでしょう。 追記
因果が無いばかりか、供養を助け続ける善果の果と成し得ねばならないでしょう。
因である責任の所在は動物たちなどを苦しめたことにあるでしょうから、
そのことを良く理解すべきではないでしょうか。 ナショナリズムに限らず
自分がただの物理的存在であることを受け入れられる人間は
そう多くはないと思う 全人口は各々の霊感の高さに応じ、同じ伝言の愛をそれぞれの翻訳者を介して翻訳する、
末端の末端の翻訳者でありましょう。
私とて同じこと。私の伝言の翻訳をするのであるならば別ですが。
神故にと考えることが正しい訳であり、人の意識などは低きに甘んじるのみのものもありましょう。
全ては神により定められるという考え方が正しくあるのでしょう。 苦しみは因果が積みがあるからというのは確実に正しい事実であるようです。
過去世までの因果、現世での新たな因果。
動物達への苦しめの因果を解決せずに死を迎えるのは明らかに得策ではなく、
供養は善は急げで早く済まし美と心身の健康を獲得するべきでしょう。
動物を醜いと見る向きや怖いと見得るようなら因果を積んでいる根拠として確認できます。
誰かが責任を負い実行していると見て余計な因果を積むのは止めるべきでしょう。
原因を与える存在として近くにいてくれる人々という立ち位置のようですから。
苦しめの原因を与える与え方は見た方がいいかもしれませんが。 顎の耳の下の延びを、顎の背、下顎背部などと表現しようと思えば出来る。 阿弥陀信仰の宗派の者が美を念じると、取り得る美をさえ見せて貰うことが出来る。
他の人の因果を活用した上で。
そして、美を見て目標が定まったら本当にその美を己のみで現わせるその日まで、
己の美の獲得を、信仰の原動力として供養する為の念仏を
唱え続けたくなり続けるというものでしょう。 クローバーとか三つ葉とかいうサイトのとしみつが有名なところだが、
高校の部活の友人がこのサイトが面白いから見てみろと伝えられ未熟な私が覗いてみただけで、
高校の世間体があるからとネットで個人特定される表現は危険だが、
大学時代の私でも書き込めるような安全を感じ興味本位で書き込んでみたに過ぎない。
興味はまあない。 正しさは人の決め付けようの閃きは教養のない日本人独特の人信仰様の感覚ですが、
宇宙に在る、最後の認識がその決め付けを行っておられる。
全ての存在に愛のメッセージを送っておられる方でありましょうか。
宇宙全ての命の信仰対象として存在しておられます。 大戦安全策第一。
供養。
写経はもちろん正しい念仏は効果があるでしょう。
苦を与えさせる働き故に、転生輪廻のエビデンスすら無くした、
顔や容姿を気にすることが無くなった苦しみを感じない状態ならばかなり安全ではないでしょうか。
因果故に苦しむのならば大戦前に因果祓いを行っておけば更に大変安全かもしれません。
マイナスファクターを無くし切れば、善果積み、神社仏閣参拝、お守り木札購入、禅など、
様々行うばかりになり個人的に万全を期すことが出来るでしょう。
男性向けですから筋力は確実に必要でしょうね。 田母神俊雄さんは兵法による政治を魅せ付けたのではないでしょうか。 私は信じるが教学として、人生で死ぬ前に良因良縁のみで善果を積み、良縁の金のみで、
百億円単位の莫大な金を成せば、「記憶の継承」が可能であるらしい。 永続可能であるらしい。
昔の幼い頃に天下太平を書いた人かもしれない。 虫達や海老デンスなど小さな命が凶暴になっているのは、
それらの命を大切に扱わないことを続ける人間に怒りを覚えているからであり、
虫達は人を使いこき扱うようなことをし出すほど大切にされていない状況にある。
海老や虫達から教わることは多く、大切にすべき命の一つである。 みつばちハッチ、ビーティーヴィー、ハチなど蜂が伝えられている世の中ですが、
私が顎を教える必然なのか、私の周りには幾種類かのハチが飛んでいることが多いのですが、
蝶々によれば、家の近くに住んでいるであろう足長バチ達は、
足長バチ、ア子長バチ故に顎長を伝えているようで、
更に蜂である彼等の何たるかに気付くべきであることを伝えていたようです。
蜂との交流はどうすべきか、神棚仏壇が適切でしょう。
誰しも顎は動物ようにこのページの広告ようの綺麗さでしょう。
自然が伝えるということは私の教えは永く伝えられ続けるという事なのでしょうか? 霊獣とは神棚仏壇における育成ゲームのようなもの。
瞑想により強化され、統治するには何よりも霊獣の存在が重要らしいです。
クラスや会社で統治するような支配力を持つ者はこの霊獣が強い故でありましょう。
霊獣を増やしたいならば、神棚仏壇に沢山の食事量の供え物をするのが良いらしいです。
必然的に大日月地神示の信仰の様式では、
肝心の霊獣には供えられない信仰の仕方となっているようです。 (e)論理が↓としましたが、♂が正しそうです。おでこの陶器感は必要でしょう。
女性の(e)は♀+↓でしょうか+♂でしょうか。美はある意味、力でしょう。
美としての強さ。
霊獣の統治力、魅力的な女性には強力な霊獣の守護?
美だけでは惹かれない女性の存在故に。
人が安全で幸福な状態にする強さ。
金の充実。 愛の法則、許さない。
こいつ屑だよ、ハハハ馬鹿すぎる、ヒヒヒヒヒバカ過ぎるな、いたぶってやろうよ。(数人から複数人)
…。(耐える一人)
ふざけるなっ!許さないっ!!(第三者、愛を知る者) 思考実験であるが、知性的な男性への警戒の判断は変わるでしょうか。
バカで汚らしい男は女性には嫌われ切る、男性からは一般的にどうでしょうか。
ただバカな普通の見せ方をするの男は女性から嫌われ男性からどのように見られるでしょうか。
バカだがきれいで美しい男は女性にはまあまあ好かれる、男性からは?
知性的で汚らしい男は女性からは見る人は見てくれる、男性は?
知性的で普通の清潔感を持つ男は女性から好かれ、男性から嫌われるはずです。
ここが不明で、知性的で綺麗かつ美しい男は女性の垂涎でありましょうが、
男性達はどう見るでしょう? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています