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対ソ開戦を阻止するために1941年7月16日に近衛内閣は総辞職し北進、対ソ戦を主張する松岡外相を追放し、
7月18日に第三次近衛内閣を誕生させます。

そして早速7月28日には南部仏印進駐が実行され、アメリカは日本に対して資産凍結と石油輸出全面禁止に打って出た。
これによって日本は蘭領インドの石油を得るために英米蘭と戦うことを強いられたのです。

北進案は事実上消滅し、それは独ソ戦にも大きな影響を与え、
スターリンはモスクワ防衛のために極東ソ連軍を独ソ戦に振り向け、
防戦一方だった独ソ戦の勝利に繋がったのです。

日本は北進ではなく南進を選んだことによって日本の敗戦は濃厚になり、
アメリカは空襲、広島、長崎への原爆投下という最悪の悪事をおこない、日本国民は軍人だけでなく民間人の多くの犠牲者を出しました。
さらに東アジア、東ヨーロッパは共産主義に飲み込まれ、毛沢東、金日成、ポル・ポトなど残念、残虐な独裁者を生み
彼らによって自国民の粛清、大虐殺が行われ、チベット、ウイグルなどへの侵略や朝鮮戦争、ベトナム戦争も加わり膨大な犠牲者を出してしまったのです。

日本が国内の共産、国際金融資本のスパイを根絶やしにし南進ではなく北進しソビエトと戦って日本が勝ち
共産主義を叩き潰してさえいれば、この無用で悲惨な惨劇は生まれなかったのです。
そして韓国の反日工作も、支那、北朝鮮という反日独裁国家の核の脅威に日本が怯えることもなかったのです。

その後、崩壊した共産主義に変わって国際金融資本が押し付けてきたグローバル資本主義によって
世界中で格差社会を生み、多くの人々を苦しめることもなかったかもしれません。