異性愛がOKってのは結果として子供が産まれるという視野が前提でしょう
子供が産まれない子孫が繁栄しない人類としての種が絶える可能性を秘めているというのを生物の本能レベルで反応する人間が大半じゃないかと
同性愛はどうもそこら辺の本能が壊れているように見えて困る

だから思考や理屈で同性愛を肯定しようとしても無理がある
これらの思想を肯定するに至るまでには人類が類人猿から進化する繰り返しの観察と積み重ねた叡智が元となり
それらの集大成が聖書ではないかと思う(特に旧約)
それをさらに発展させ社会生活を営む潤滑油にしたのが新約聖書では無いかと思われ

ちなみに新約聖書で同性愛をして良いということが一言でも書かれたことが有るか?
隣人愛とか神に対する愛(アガペー)とかは同性愛のものとは違うぞ 
俺にはそこら辺は詳しく分からんが同性愛ではないということは分かる