>>75
もちろん、結論の出せない問いではあります。
ゆえに議論の余地といいますか、私たちヒトにとっては、語り合う事に意義があると思います。
それは、目に見えない存在との関係性において、私たちはどう責任をもって相対するのかという、一番大切な部分に深く根差す問題だからです。
新参者で恐縮ですが、種族が違うからといって魂の本質において明確な差、あるいは上下など存在し得るのでしょうか?
仮に、魂に大や小といった格付けがあったとして、万象を運営する側と参加者としての我々とでは、マクロとミクロというだけで明確な差異があるとは言い難いような気がいたします。
(どのような立場であれ、魂は常に修行中、という所感です)
あらゆる境界線を超えて解脱する者も、
自然界の事象に神格を与えられたものも(例えればAIに人格を付与するようにヒトによって後世にカミとしての位置づけを与えられたもの)、
自らの役割や使命に覚醒する者も、
魂という点においては貴賎などないように感じます。

うざったく書いてすみません。
…何でもかんでも目に見えないものにおんぶに抱っこでいる人たちほど、本当に大切なものを守れず、霊的なものに振り回され、己の弱さに甘んじているように見受けられました。
カミとヒトとの距離感は難しいかもしれません。
かといって、いつまでもその存在に甘えていれば良いというわけでもないと、どうしても想ってしまうんです。(もう少し、ヒトは成熟すべきな気がしてしょうがないです)
私も神仏の存在には幾度も助けられ、励まされてきたので、心の底から敬愛しています。
だからこそ、都合良く利用したりしたくない、というか。難しいですね…