>>760 の続き

導入部
彼女の全人生はダイアナ・スペンサーと同一視されるが、しかし彼女の運命はプリンセス・オブ・ウェールズよりもっと複雑だ。
日出づる国の新しい皇后雅子について語ると同時に、彼女についての4つの重要な神話の正体を暴こう。
「悲しみのプリンセス」「日本のダイアナ」「菊の玉座の囚人」…雅子をめぐっては多くの悲劇的な伝説がある。
その中では、かつて優秀な外交官だった彼女は皇位継承者との結婚を決意し、現代の進歩的な女性としての権利と自由の可能性を全て失い、今日まで抜け出せない深刻な鬱病に陥っている。
欧米のジャーナリストは日本の皇后の運命に共感し心から同情し、雅子をこのように描写する。
伝統と皇室のプロトコルに押しつぶされ、そして今は新たに、ずっと多くの責任のある身分になったのだと。
彼らは雅子を、≪新風≫になりたいと願いながら王家に受け入れられなかったダイアナ妃と同一視する。
しかし時は過ぎ、純潔のベールがダイアナのイメージから次第にずり落ちて、雅子妃の物語も再解釈がされ始めた。しかも彼女にとって常に有利ではなく。
ダイアナは20歳の未熟な娘としてイギリス王室に入った。
小和田雅子が徳仁皇太子との結婚を決意したのは30歳で、世界最高の大学の学歴と、目もくらむようなキャリアを築く実力があった。
彼女は徳仁の求婚を二度拒んだが、しかしやはりこの結婚に向かった。≪妃であることもまた一種の外交の形だ≫という花婿の言葉を素朴に信じながら。
そして鬱病、流産、ストレス、自主的な行動の禁止、ついに自殺願望が亢進するかもしれない≪適応障害≫の診断が出た。
このような新しい日本の皇后の運命は、悲しい伝説だ。しかし、不自然で信じがたい。
尊敬される外交官の家に生まれ、自身も日本の外務省で働いていた成人女性が、自分の国の皇室の伝統が何であるかを本当に理解していなかったのか?
もちろん雅子は教養ある女性だったが、彼女には19歳のダイアナよりも幼稚さがあったかもしれない。
そしていよいよ、≪悲しみのプリンセス≫のイメージを取り巻いてふわふわと漂っている神話の正体が暴かれる時がきたようだ。

続きます