何故かその言葉が今でも頭から離れない。もしかしての話だが、弱者の淘汰というのは今はもう国策でやっているのでは無いか?
国はあの戦争で足を引っ張ったある種の「運」のパラメータの低い者達が社会全体の足を引っ張る事を全て把握しており、
将来日本の重荷となりそうな運に重大瑕疵のある者を存在毎社会から淘汰抹消しようとしているのでは無いか?
つまりは確率、因果率の軍事利用である。
最近は個人的にそういう確信が強くなっていっている。
何にしても努力で伸しあがる事を良しとしない風潮が感じられるのだ。
勿論、死者を出す程の極端な精神論等は論外ではあるが、そういうドラマとか漫画とかは最近とんと見なくなった。
あってもそれは亜流であり、それらの作中ですら「いかに主人公と言えどいかに極悪と言えど
才能のある者や力のある者の足を引っ張ってはならない。」という様な不文律さえ感じさせる奇妙なものばかりだ。
別に日本は共産国では無いのだしサクセスストーリーはもう少し好まれても良いだろう?
現に昔はそういう美徳や文学に溢れていた。
GHQが全部破壊したと言うがそれは本当なのだろうか?
日本側はただ淡々と何の思惑も無く受け入れただけなのか?
そうは思えない。
指導者達もあの戦争で何かに気付いたのかも知れない。