バブル絶頂期の1989年2月、福島県田村郡の教員住宅で、A先生がトイレの中に死体らしいものを発見。

「便槽の入り口から引っ張り出せず、まわりを掘り返して遺体を取り出した。上半身は裸だった。
身元は村の青年会のS氏(26歳)と判明。死因は凍え兼胸部循環障害。
警察は何らかの目的で便槽にはいり出られなくなったとの見解を述べた。

S氏は好青年で女性にも人気があったが、遺体発見の4日前から行方不明になっていた。
また激戦だった村長選の応援活動をしていた。

S氏と発見者のA先生は、A先生の恋人を通じて知り合いだったという。

他殺説がささやかれ、真相究明のため知人友人が4千名以上の署名を集めて
三春警察署に嘆願書を出したが、捜査はされなかった。

S氏は原発保守会社の営業主任で、福島第二原発を担当していた。

この事件の2ヶ月前に、福島第二原発3号機では、再循環ポンプの回転翼が破断し、
部品が炉内に流れ込む重大な事故がおきている。
前年暮れから3回も警報が鳴ったのに無理やり東電が運転を続けた結果である。

この事故の責任者は、正月明けに東電本社に出張した帰りに、
上野で飛び込み自殺をしている。この人とS氏は同僚だったという。」