>>294
それが誤り、悟りは観念の中にあるのではなく
気の物理的な原理、法則の中にある。
それを体感しながら必要に応じて観念として
意識に上げていくのが仙道の悟り。

その理解がまた気のパワーや操作性に影響を与える。
それをきちんと築基からやってゆくと全身周天の頃には
初期の気の理解とは全く別の領域に立っている、それが仙道。
そうではなく、ただ気が廻るだけならそれは気功だね。

性と命は別物ではなく一如なんだよ、一如不離だと仙道になる。
同時であっても別物として気を鍛えると気功になってしまう。
実戦では自分が掴んだ気感を五感とその属性である意識で捉えるのではなく
座忘と言われる意識の使い方で気に入り込む
すると身体や無意識が悟る、そしてそれが意識レベルの気の感覚に反映する。
気への理解が変わると気のパワー、操作性も変わる。
その気の感覚を表現するのに今まで不可解だった先達の言葉が
ピタリ当て嵌ったりする。
そのうちに一般的に言われている気の概念が仮のものに過ぎないのが判る。
そういった方向に行くのが仙道。
特に重要なのが坐忘の部分で何らかの形で気を捉えて坐忘を繰り返せば
気功的な身体操作を取らずとも仙道になる。