>>424
封印をかけたのが
『記紀』編纂のころですと、
対外関係、唐に領土を分割されないため、
というのがあったと思うんですけど、
7〜8世紀の封印がはじめての封印だとすると遅すぎる、
という気がします。
『記紀』以前にも記録書はあったはずですし、
やはり、国内の土着系、北方渡来系入り乱れての血で血を洗う相克の歴史があったという事跡を封印したかった
というのがあるかもしれません。
せっかく国内が大王を頂点とする「統一民族」「統一国家」として落ち着きかけたのに、
それをいちいち、
「この地域のお前らはもともと大和朝廷に抗った土蜘蛛の末裔なんだぞ」
「この地域に住むお前らの先祖は、もともとは大和朝廷に抗っていた渡来人の新羅人たちなんだぞ」
なんて、いちいちいつまでも記録や口伝でも語り継いでいってたら、
せっかく鎮まった
「寝た子を起こしてしまう」
事態を引き起こしてしまう可能性があり、時の為政者集団はその事態をもっとも恐れたからではないでしょうか?

なお
明治になって
明治政府が
瀬織津さまのご事跡をなるべくオブラートにかけるようにして封印してきたこともまったくおなじ理由からになります。