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芥川龍之介の経営語録―人間と世の中への深い洞察の書「侏儒の言葉」の読み方
「賢人とは畢竟(ひっきょう荊棘(けいきょく)の路にも、薔薇(ばらの花を咲かせるもののことである」
わたしは古い酒を愛するように、古い快楽説を愛するものである。
我我の行為を決するものは善でも悪でもない。唯我我の好悪である。
或は我我の快不快である。そうとしかわたしには考えられない。
ではなぜ我我は極寒(ごくかん)の天にも、将(まさ)に溺(おぼ)れんとする
幼児を見る時、進んで水に入るのであるか?救うことを快とするからである。
では水に入る不快を避け、幼児を救う快を取るのは何の尺度に依ったのであろう?
より大きな快を選んだのである。