思考や感情があるなら、それに気づくだけであり、頭の中で、おしゃべりが聞こえるなら、それらに目を向けて観ること。
そして、気づいて、ありのままにしておく事です。
身体に気づいているのと同じように。音や感覚に気づいたように。同じ方法で思考と感情にも「気づき」を向ける。
そうだ。来るに任せ、去るに任せる。
心は概念を超えた状態にある。ほんの刹那。ほんの数秒間だけ。そこに浸るのです。
心に何か生じたら、身体の中に生じたら、知覚の中に生じたら、気づくだけ。ありのまま。
開かれた、気づきを、あらゆる状況において使い切る=日常=瞑想。実際の所はね、座る必要もありません。
何をしていようが、気づきを知れば同じ事です。これが要するに62,000時間を超える瞑想の正体ですよ。

たまたま62,000時間であってそれ以上でも以下でも
「気づき。気づくこと。」「瞑想によって起きる体験」と「瞑想そのもの」を理解していて会得出来ているなら時間は関係ないって事です。

さて、すっかり横道にそれちゃいましたね(笑)以上、述べた事については後追い出来るかと思います。
まぁ、こんな感じではあると思いますが。脳の実験結果としてのデーターがあって、データー元が語る言葉なので信憑性は高いと思いますね。
なので一連の流れとして1つ取り上げました。

さて、ジル・ボルト・テイラーの見た世界は何だったのか?少し瞑想などとも関連性が近いかもしれませんね。
もっとも、脳卒中と引き替えに垣間見る世界ですが、そこに戻りましょうかね。

終わりです。[転載]でした。