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・「自己陶酔」からくる誤った自己信頼は「高慢心」である

K会の信者は、「自分は長い転生の過程で仏の指導を受けてきたから、この法が理解できる優秀な者であり、
法を広めて救済する側に立つ者である。今世も仏と共に転生してきたのは、仏のお役に立つ為に(仏に)選ばれたからである。
仏と約束した通り集ってきた者である。」という選民思想があります。

これが謙虚さを無くさせ、代わりに「高慢」が心を支配するようになっていきます。

しかし、これは単なる自己陶酔です。
自己陶酔の結果、「信じることができない方々は、救われる立場の人々」と見下すようになっていきます。


・「悪魔視」、「敵視」、「裁き心」

会員になると、教祖の説く法が理解できない人々、即ち会員にならない方々は、「あの世に返ったら相当な後悔が待っている人々」と
哀れむ心から、一般の人を裁くようになっていきます。
「裁き心」が出てくるのです。

ましてや、教祖や教祖の説く法、教団を誹謗中傷する人々は、「悪魔に魅入られた方々」とみなします。
これが「悪魔視」です。

そして、「これは仏敵である」と「敵視」するのです。

K会の教えでは、仏敵は「大阿鼻叫喚地獄で、お尻から胴体を通って口へと串刺しにされて生皮を剥がされる。
ドロドロしたマグマのような物を口から流されお尻から出て行き、業火にやかれ、最低そこで1千年苦しむ人々」であると教えます。
これは教祖の裁き心が最大化した表現であり、同時に信者の恐怖心も最大化し、金縛りにかかります。

だから、「人々を必死で救わないといけない」と言いながら、かたや信者は「良かった、助かった。私たちは天国保障保険付きだ」と「安心感」に漬かります。

洗脳から離れた今に思えば、何ともこっけいな光景に見えます。