大川隆法著「心の探求」 昭和62年9月20日発行 p155からp156より引用
真理を述べる時に反発する人、批判する人が出てきても、これに対する正しい態度は、批判者が出れば、それを有りがたいと思って、ますます自分の正しさに磨きをかけていかなばならんということです。

大川隆法著「心の探求」 昭和62年9月20日発行 p156より引用
同じく批判しかえしておると、同じ土俵に乗ったということになってしまいます。

大川隆法著「人生の王道を語る」1993年4月30日初版 1993年5月5日 第2刷p56より引用
みずからの心の中に、静かなる湖面のごとき、平らかで光り輝く水鏡を持っていなくてはなりません。

大川隆法著「人生の王道を語る」1993年4月30日初版 1993年5月5日 第2刷p57より引用
世界を正しく映すために、他の人の姿を正しく映すために、ましてや自分自身の姿を正しく映すために、そうした平らかな湖面を持たなくてはなりません。

大川隆法著「人生の王道を語る」1993年4月30日初版 1993年5月5日 第2刷p60より引用
小さなことで腹をたてるようであっては、到底、その心のなかの澄みきった面を維持することはできません。


大川隆法著「人生の王道を語る」1993年4月30日初版 1993年5月5日 第2刷p64より引用
寛容さの中には、みずからの心の湖面に波を立たせないという美徳があるのです。
これは幸せなのです。寛容さを発揮することによって、この幸福な状態を続けることができるのです。

大川隆法著「人生の王道を語る」1993年4月30日初版 1993年5月5日 第2刷p66より引用
世の中を善と悪とに分け、善人と悪人を分ける傾向があるならば、どうか気をつけていただきたいのです。


教えを実践するのが信者さんなのではないでしょうか(教祖である大川さん自身も妻を悪妻と認定し、悪人にするのはよくないのではないのでしょうか)
実践しなければいけないということはありませんが、教えを説く人も、教えが素晴らしいからと布教する人も、教えを実践できていないのであれば説得力ありませんし、人はついてこないと個人的には思います。