フランス最後の王妃マリー・アントワネットの生涯は波乱に満ちたものだったが
その子供達の生涯も波乱だった。

マリーは夫・ルイ16世との間に二男二女をもうける。長男次女は幼くして病死。
フランス革命後、次男長女は両親と共に革命軍に拘束・軟禁されることとなる。
長女はその後、奇跡的に国外に落延び天寿を全う出来たが、次男・シャルルの人生は壮絶なものだった。

軟禁時シャルルは6歳。革命軍も幼いシャルルに同情し、軟禁生活の待遇は良好だったが
8歳の時に父・ルイ16世が処刑され、事実上ルイ17世になった時点で状況は一変する。
母・マリーから引き離され、革命軍から王族ではなく一市民としての「教育」を施される。
その際に、シャルルには容赦無く暴力が行使され、性的虐待も行われた。
その様子は、見張りに就いた兵士が「正視に耐えない」と評した程だった。

その後マリーが処刑されると、シャルルには罪状や政治的利用価値が無いので
処刑されることも無く、窓もトイレも無い独房という劣悪な状況に投獄され放置される。
食事も最低限で、清掃や着替や治療は禁止。齢一桁の幼児が糞便と害虫にまみれた生活を強いられる。

そんな状況を生き抜いたシャルルは、後に旧・貴族に救出される。救出時のシャルルの容態は
「肌は灰色がかり、頬はこけ、目はぎょろりとしていた。体中に青・黒・黄色のみみず腫れができていて、
爪も異常に伸びていた」という惨状で、既に施しようが無く一人では歩行困難な程衰弱していた。
救出されたが時既に遅し。数日後にシャルルは死亡。享年10歳。
その亡骸を解剖した医師は、シャルルが受けたであろう虐待を知って戦慄したと記録されている。

王家に生まれただけで何も罪が無い、というか、なまじ罪が無かっただけに
処刑されることも無く、恥辱と苦痛を味わうだけの人生を送ったシャルル。
歴史あるフランス王家の末裔としては、あまりに後味悪い生涯だった。