悪に対し快活に人に便利な結果を生み出さず、人に訴えるだけの他力本願的で、
しかも、悪の歴史とその行動を成す者達の内面と実態を快活に教えてはくれず、
その悪が人にタカり乗っかり己を散々充足する事だけは許してきて世界に溢れ返る中で、
何がいけないのかという具体性がなく抽象的な善と、まるで朝鮮人が人に謝罪反省を求める姿勢ばかりを求める如くの事を語り、
一方で悪に対しても抽象的曖昧で快活な対処を教えず姑息に何者かを悪者にしようとしたり、
悪の欲得は散々そのままにしてきておいて、他には欲望を捨てさせ散財させようとする言葉だけをいう。
それをもって、神のごとく出現して神様ぶって教えのようなものを語る者は信じるに値しない。
人が悪を排除しようとする意思を働かせてやっと排除出来たり、その最中に偶然に悪を排除出来た程度の事に、
神のお陰を添えさせようとする考えをとりつける程度の者等、邪悪な詐欺師同然で信じるに価しない。
そして、恐らくそれは邪悪なる悪がその欲望を叶える為に、未来で掴んだ技術的力で歴史をねじ曲げる所に
更に自分達の欲望の願いを叶える事を、トリック的に行なう悪魔の策略と捉えて申し分ないだろう。
未来の技術ならホログラフィックと脳内に特定の電磁的エネルギーで言葉を伝える事は容易いからだ。
マリア像から血の涙を流す事も容易いだろう。
そんな技術力がある者達が、なぜ悪に対しても善に対しても抽象的な回答しかなさないのか?
もっと深い哲学と結論がある筈だろうがそれを言わない。それは邪悪な者達の息がかかった者達だからだ。
悪の支配を受け入れる事をよしとするように運ぶ者達だからに過ぎない。
確実にズルして支配したり自分達だけが生き残る事までに至れないから、そのような小細工をするのだ。
そして、予言は次々と外されていっている。
そして、その彼らが悪魔とする666側こそが実は神なのだ。
また、666側が提示する小説にはインスマウスとして描かれており、黄色い人種となっているが、
それは日本人ではない。何故なら元々の日本人は他の黄色人種であり日本は古い多民族国家だからだ。
その小説には、その屑どもは乞食になって波打ち際にただよっているのだ