磨きがかかってくれば、思うこと、言葉すること、行為すること、すべてが宇宙に向けて体現する祝詞となる。

霊的存在はコト(心言行)を喰う。
人のコト(心言行)を生命のエネルギーとする。

究極の音読は、心言行の一致を以って神示の教えを体現することである。
その祝詞により、迷える霊的存在は癒され改心に向かう。

例えが悪いが、嘘をつく者が真実を語っても力しない。
究極には神示を体現出来ていないものが神示を音読しても、心言行の不一致があれば、霊的存在に対する説得力が弱まるのである。
耳を傾けてむらえないのである。

音読の効力を高めるには、身魂磨きは欠かせない。
磨きが幸わえば音読せずとも、その者の行為すること自体が神示の体現となる。