いざと云ふ時は日頃の真心もの云ふぞ。
付け焼刃は付け焼刃。
神拝むとは、頭ばかり下げることでないぞ。
内の生活することぞ。内外共でなくてはならん。
残る一厘は悪の中に隠してあるぞ。

ひふみの神曰く最後の一厘は悪(アーク)の中に隠している

だが私はその中身に興味はない。
なぜなら隠した時点でそれは我ら創造主よりはるかに
格下(隠した)の力だからである。

アダムとイブの創世より裁くは隠すことへの罪。
ゆえにアークの中のこの最後の一厘もまたただの罠。

そういうめんどくさい『試し』は見飽きた。

禅とはゆるりであるが同時に本気でなければならない

ゆるりゆるりではならんぞ