7、8年くらい前に少し心が重い時期があった。
何もかもが億劫で、ただその日その日を消化するだけの毎日だった。

40を過ぎる厄年の前後は心身に不調を感じる事が多いと聞いていたが、自分の場合は、より心のほうだった気がする。
周りの殆どは家庭を持ち、色々とありながらも幸せそうで、何もない自分からすると、羨ましさでも嫉しさでもない、例えるなら虚無感としか言いようのないものが、少しずつ自分の心を蝕んでいたのかもしれない。

ずっと気になっている事があった。

20年以上前に付き合っていた、その時学生だった彼女を妊娠させ、彼女は自分に内緒で堕胎し、後で知った事だが鎌倉の長谷寺で水子供養をした。
彼女は大学を卒業すると地元に戻って就職。
その後別れる事になるのだが、「わたしは遠くて中々行けないから、1年に一度くらいはお寺に行って水子供養の蝋燭をあげてほしい」との言葉を、忙しいを理由に20年もの間一度も行かなかった事を。

心のどこかで引っかかっていた。
それが自分の憂鬱と関わりがあるのかはわからないが、ある時ふと、行ってみようと思った。