宗教とは何か?
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架空の支配者や世界観を信じ込ませ
自己思考力を奪い
人を操作する術 >>252
一神教は神との契約という概念があって、神との約束を果たした結果救いがある
しかし、仏教は精神の安らぎをもたらすのが目的であるから救いは神がそうさせるのでなく
己の振る舞いによって生ずる因果であって、フグを食って死んだみたいなもん >>254
ふーん、人間の母親ですら子に無償の愛をもたらすのに神様は契約しないとダメなんだ
仏教はサークルみたいなもんかね?そもそも仏様は神様じゃないしなあ
いずれにしても誰かが作った集金システムに人々を取り込もうとしているだけで神様には迷惑だろうな
周りに優しくとか人として全うになんてのは当たり前の話で宗教関係ないしw
やっぱり宗教はクソだわ 思想も宗教も単なる概念だ、ってことを理解しないと
「おれっちの神様が本当の神様だ」「いやオラ方の神様が正当な神だ」ってな
不毛な議論になる、どっちの神様が正しいか戦争にまで発展することもある
しかしその(((神様)))はただの概念だって話
概念って言ったらわかり難かったら、神とはこういうものだという信念ね
その信念が正しいとどうして言える?そもそも神を定義できるのか?
人間のちっぽけな脳みそじゃ定義できない何かを神と呼ぶのではないのか?? 哲学的なことはわたしにゃ難しくてわからんけど
概念に囚われるなって話、概念をインストールすると観念になるww
あなたの抱いている神の概念、神のイメージが正しいとどうして言える??
多分それは厳密に言えば個々人で違う
同じ宗教宗派、同じ文化圏にいるもの同士なら似ているかもしれないけれど、
世界とはこういうものだという世界観も、人によって違うしね
実はみんな違う世界に住んでいるんだよww物理的に住んでる場所は近くても
心の世界はまったく違うってことも大いにあり得る
明確な世界観がない人もたくさんいる、日本人は漠然としたところが多いと思うよ
キリスト教的な世界観、イスラム教的な世界観、ヒンズー教でも仏教でも
多様な世界観がある、同じ宗教宗派でも個々人の内的な世界は違っているし
これが絶対に正しいなんてものは存在しない
なぜその世界観を信じるのか?その世界観を共有する社会に生まれて、親とか
周囲の大人にそのように教わった、ただそれだけなのになぜ絶対正しいと言えるのか? で、恐ろしいのは…思想でも宗教でも、何を信じたって自由なんだけど
ポルポトの話しの延長なんだけどってやっと眠たくなってきたから続きは明日
気が向いたら書くかも
何を書きたいかっていうと、ハムナプトラに出てくるゾンビになるなって話ねww >>255
宗教でなくてもクソだから心配すんな
大して人を思いやることもせず朝から夜まで金の工面に奔走してる
結局、お前のやってることも宗教と変わらん >>256
三角形というものは存在しないが、人間がそのように定義することによって
此れ此れは三角であると初めて定義することが出来る
だが、完全な三角形というか三角形そのものは実在しない
これは、距離や時間にも当てはめて言うことが出来る
時間は測れるが時間そのものはどこにも存在しない 別に人に迷惑かけないなら、何を信じてもいい、思想信条の自由があるんだから
ただ怖いのは、頭を概念(信念)に乗っ取られて、ゾンビ化することww
ゾンビといっても、ハムナプトラ1って映画に出てくるゾンビね
あれに悪霊に頭を乗っ取られて「イムホッテップ(悪霊の名前」を連呼しながら
行進するゾンビの大群が出てくるんだけど、あれに似てる
洗脳って言葉があるけれど、誰かの頭を強制的に連行して無理やり思想教育かなんかで
書き換えるわけじゃなくて、どっちかっていうと感染だわねww
Tウィルスの感染みたいなもんか、危険な思想が人々ウィルスのように広がって
汚染されていく、そんなイメージ 人間なんて皆そうだよ
自然本能から来る欲得というやつに縛られてる限り万人がゾンビと変わらないよ
生活の為に働いたり自堕落に暮らしてるやつに自由意志が存在する訳ではない
それは本能からくる機械論的活動だからだ
欲を超えたところでなにか、義務や使命を果たそうとする人間だけに
自由意志が認められる 別に人に迷惑かけないなら、何を信じてもいい、思想信条の自由があるんだから
ただ怖いのは、頭を概念(信念)に乗っ取られて、ゾンビ化することww
ゾンビといっても、ハムナプトラ1って映画に出てくるゾンビね
あれに悪霊に頭を乗っ取られて「イムホッテップ(悪霊の名前」を連呼しながら
行進するゾンビの大群が出てくるんだけど、あれに似てる
洗脳って言葉があるけれど、誰かの頭を強制的に連行して無理やり思想教育かなんかで
書き換えるわけじゃなくて、どっちかっていうと感染だわねww
Tウィルスの感染みたいなもんか、危険な思想が人々ウィルスのように広がって
汚染されていく、そんなイメージ 現代的な社会生活のなかで学校教育や常識を強要されることもまた洗脳と変わらないよ
カルトと違うのは植え付けられた思想や信条が有益か無益か或いは害悪かの違いでしかない
文明的動物である人間に、自然な人格の形成だとか生命体的というものはない 義務教育は強制じゃないぞ、別に行かなくても大丈夫
ただ就職の面では不利ってだけ
実家が会社なら後継ぐとか、貧乏ならホームレスとかナマポとか 転んでる調子悪い者達や、騙されやすい者達から、最後に金づるにしたり搾取する場所 >>265
そんなことは分かってるが
自給自足で食ってけるだけの田畑を一人一人充てがわれて何もやらずに死んでいくなら
そいつの責任の結果だろうが、親が金持ちじゃなきゃ、勉強しなきゃ貧乏とか言うのは
食物連鎖とか自然必然的なルールじゃなくて人工的ルールに基づくもんだから理不尽だよな
しかも母なる地球を生贄にして、まぁ現代社会もカルト教団みたいなもんだ 死後の世界があってほしい。
生まれ変わりがあってほしい。
この人生が一回だけなんて、あまりに惨め。
天国へ連れてってくれるなら、
上のカーストに転生できるなら、
この苦しみも受け入れられる。
そんな願いを叶えてくれるのは宗教しかない。 霊能者とかスピリチュアルな人間は霊的に程度が高いという考えが、現代の社会を混乱させているようです。
実際はそうとは言えないのです。ある神仏の熱烈な信者になったからといって、
それだけで霊的に向上するわけではありません。大切なのは日常生活です。あなたの現在の人間性、それがすべてのカギです。
ブログを開設し、スピリチュアル本から剽窃した知識をならべて威張っている霊能者よりも、
経営者や経済学者、物理学者、芸術家といった、霊能とは無縁の人の方がはるかに霊格が高いというケースがいくらもあるのです。
問題は何を信じるかではなく、これまで何をなしてきたかです。
ヒーリングや金運セミナーなどと称して多額の金銭をむしり取る行為は霊格が低い証明なのです。 宗教とは金儲けです。騙す教主と騙される信者の関係で成り立っています。 資本主義において金儲けでないことは何もない、真面目に会社で働くなんてのも奴隷制度の容認でカルトと変わらん 別に資本主義でなくても狩りをしたり火をおこしたり水を汲んだり仕事はしなきゃならんだろ 経済というものがなければ、欲を追い求めそれを得るために駆り立てられることはないだろう
生活に必要なことは定まってる訳だからな
大量消費の高度経済というものが存在する限り人は己の生活以上のことをやらなきゃいけない 宗教とは何か?真実と永遠へ行き着く前の入り口であり門である
世界3大宗教や数多存在する宗教、有り方はそれぞれ異なるが、全て入り口・門
そして小難しい聖書や経典聖典の類は単なる門構えの形に過ぎない
だから何処から入っても構わない
でもいつまでも門の前に佇んでいて魂の成長は無い
既存の宗教はその先の世界への誘導を怠っているのが現状だ
宗教は只の入り口に過ぎない。名の無い本物の神はその先その奥に我々を待っている 先に伝えておくからな。
その時はおまえらEGOで死ね。
神の愛のために死ね。 173神も仏も名無しさん2019/03/16(土) 13:37:01.14ID:ES4kQvdJ
コリント人への手紙第一15章1〜11節
1コリント 15:1 兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。
これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、
それによって立っている福音です。
1コリント 15:2 また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、
私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、
この福音によって救われるのです。
1コリント 15:3 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、
私も受けたことであって、次のことです。
キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
1コリント 15:4 また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、
1コリント 15:5 また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。
1コリント 15:6 その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。
その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。
1コリント 15:7 その後、キリストはヤコブに現われ、
それから使徒たち全部に現われました。
1コリント 15:8 そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、
現われてくださいました。
1コリント 15:9 私は使徒の中では最も小さい者であって、
使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。
1コリント 15:10 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、
私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも
多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。
1コリント 15:11 そういうわけですから、私にせよ、ほかの人たちにせよ、
私たちはこのように宣べ伝えているのであり、あなたがたはこのように信じたのです。 174神も仏も名無しさん2019/03/16(土) 13:37:53.67ID:ES4kQvdJ
人間にとって最も大切なことは、永遠の命を受け継ぐことである。
「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては、
何の得があろうか」(ルカ9章25節) とイエスも言っておられる。
このことばをパリ大学の同僚イグナチオ・ロヨラから聞いたために、
フランシスコ・ザビエルが回心したとも言われている。
どうすれば、永遠の命を確実に手に入れることができるのか。これは重大問題である。
パリサイ人や律法学者が好んだ議論のテーマである。その議論に巻き込もうと思ったのか、
「ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。『先生、何をしたら、
永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか』」(ルカ10章25節)。
イエスは答える代わりに、
質問を返された。
「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」(ルカ10章26節)。
彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、
あなたの神である主を愛しなさい、
また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります」(ルカ10章27節)。
イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。
そうすれば命を得られる」(ルカ10章28節)。
彼の答えの前半は、ユダヤ人が毎朝唱える信仰宣言「聞け、イスラエルよ。我らの神、
主は唯一の主である。
あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、
あなたの神、主を愛しなさい。」 (申命記 6章4-5節) に含まれているので、
律法学者は特に言うことがなかったが、
レビ記19章18節(☆注参照) に由来する後半に関しては、
隣人とはだれかが議論されていた。 175神も仏も名無しさん2019/03/16(土) 13:38:19.44ID:ES4kQvdJ
ユダヤ人たちは、敵と隣人を区別していた。敵でない隣人は、
イスラエル民族、改宗者を含めたユダヤ教徒、同郷人、親戚、家族、
近所の人などに区分される。だから、律法の専門家は、そ
れをはっきりさせなければ、隣人を愛することはできないと、
「自分を正当化しようとして、『では、わたしの隣人とは
だれですか』と言った」(ルカ10章29節)。
イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、
追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、
半殺しにしたまま立ち去った。
ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、
道の向こう側を通って行った。
同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、
道の向こう側を通って行った。
ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばにくると、
その人を見て憐(あわ)れに思い
近寄って傷に油とふどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、
宿屋に連れて行って介抱した。
そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。
『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』
さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」
(ルカ10章30-36節)。
「隣人とはだれですか」との問いに対し、イエスは「だれが隣人になったと思うか」
との問いを返された。
律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。
「行って、あなたも同じようにしなさい」(ルカ10章36-37節)。 177神も仏も名無しさん2019/03/16(土) 13:40:07.43ID:ES4kQvdJ>>178
ルカの福音書第16章19-31節
『ある金持がいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮していた。
ところが、ラザロという貧乏人が全身でき物でおおわれて、この金持の玄関の前にすわり、
その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた。
その上、犬がきて彼のでき物を なめていた。
この貧乏人がついに死に、御使たちに連れられてアブラハムのふところに送られた。
金持も死んで葬られた。そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムと
そのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。
そこで声をあげて言った、「父、アブラハムよ、 わたしをあわれんでください。
ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、 わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています」。
アブラハムが言った、「子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、
ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみ
もだえている。そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵が
おいてあって、 こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、
そちらからわたしたちの方へ 越えて来ることもできない」。
そこで金持が言った、「父よ、ではお願いします。わたしの父の家へ
ラザロをつかわしてください。わたしに五人の兄弟がいますので、
こんな苦しい所へ来ることがないように、彼らに警告していただきたいのです」。
アブラハムは言った、彼らにはモーセと預言者とがある。それに聞くがよかろう。
金持が言った、「いえいえ、父アブラハムよ、もし死人の中からだれかが
兄弟たちのところへ行ってくれましたら、彼らは悔い改めるでしょう」。
アブラハムは言った、「もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、
死人の中からよみがえってくる者があっても、
彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう」』。
※ この「(死人の中からよみがえってくる者)とは勿論イエス・キリストのことである」 176神も仏も名無しさん2019/03/16(土) 13:39:07.48ID:ES4kQvdJ
第一コリント13.13
いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。
第一コリント13.4-8
愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。
愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、
自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、
すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
愛は決して絶えることがありません。
使途16.31
主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。 179神も仏も名無しさん2019/03/16(土) 13:54:20.72ID:ES4kQvdJ
キリスト教に僕が救われたのは、
単純に、「僕のために命を捧げてくださった方がいる。
その方は、たとえ親・兄弟・親族・友人すべてが僕を見捨てたとしても、僕を孤児にはしない。
旧約聖書イザヤ書43.4の『わたしの目にはあなたは高価で尊い、わたしはあなたを愛している』を
十字架で体現してくださった。
この愛によって僕は救われた。自分にムチ打ったり、高慢になったり、卑屈になったりせず、
そのままの僕で良い。なぜなら最も高貴な方が最も醜く卑しい悲惨な姿をとってくださり、
最もへりくだって、自身を責める盲目である人間の罪を赦し、一身に全人類のあらゆる痛みを背負われた。
その愛を知った時、言葉では言い表せない平安に満ちた気持ちになり、
何か人生における漠然とした恐れ・不安みたいなものが消え去った。
身内の突然の死で神も仏もないと思ったし、人間が信用できなかったが、これほどまでに
人間を愛してくださる方がおられる。神を信用してみよう。人間を信用してみよう。
恐れることはない。神が人間をお創りになったのだから。人生は長短ではないし、
地上だけの命ではない。神は今も生きておられる、そう思えるようになった。
神は生きておられる。
これは土に水が沁み込むように、僕自身が変化したこと一つをみても、
やはり神の存在を感じざるを得ない。
長くても100年ほどの地上の人生。生きる意味、その本当の意味に
気づいた時、地球の全被造物が神を待ち望んでいることが理解できるようになる。
この喜びを、どうかあなたがたも得ることができますように 宗教なんてのは、所詮は人に道徳を説くのに都合の良い方便のようなもの
そして広まった挙句に矛盾ばかりが露呈し、果てには金儲けの為、テロの為に便利な方便に変貌する
人の救済の筈が人の害になるとか、とんだお笑い草だな
ぶっちゃけ「人間にとって都合の良い神など居ない」と思った方がまだ救われる気がするね
神なんて代物にすがろうとするから、逆に救われない事に必要以上に落胆するのさ 共産主義と唯物論のもとに信仰の否定がされ
ソ連時代には数万〜10万人規模で聖職者、信徒の処刑が行われてる
中国やカンブジアでも同様の根拠から同じことが行われ神を否定しても結局こうなる お釈迦さんもまさか
弟子達の勝手な解釈、勝手な行動でここまで大きな宗教になるとは思ってなかったろう 釈迦が何を考えたかはもはや問題ではない
それを裏付けることも不可能だしな
仏教は形而上学、倫理学、心理学、心理療法としての真を模索してきた歴史がある
釈迦の意義とはそれら学問として開いた点にある
分類的な自然科学を開いたアリストテレスのようなものだ パチンコ、与党、野党、保守、マスコミ、革新、東洋、正義、西洋かぶれ、、 一神教も中華も命令=下命体系なので
そこから断絶する 鎖国をしていた。
今、再び断絶するニュアンスを込めて 元号を使う。
「令和」は それだけでない -「これまで通りの争いでは解決しませんぜ」という
宣和布告だな、ありゃ。 宗教が差別だと → 争いになる。これを2千年以上続けてきた人類に
「解決しませんか」という提案だな、ありゃ。 一神教が存在せずろくな宗教観も定まってなかった古代ローマ時代から争いは絶えないよ
中華文明圏もそうだが宗教的色彩がなくても戦争なんていくらも起きてきたわけで ほとんどの個人の疑問は自分にこそ問うべきこと?
宗教も人生そのものも様々な出来事も
どれもが個人が自分を救う為の縁
救うとか救われるとかはつまり
個人がより多くのことを自分でより有効な価値判断が可能になること?
そしてそれが本来自由自在な意識の活動の基点や土台になりより強固で柔軟になっていくこと?
宗教とか強制とか搾取とか、人間関係としての価値基準はべつなこととして
個人が個として救われていく道は「より有効な価値判断」でしかないかもしれない
というか、そこからの逃げ道は、どこまでいけどもないかもしれない?
何事も自分で良く見て考えてやってみて結果を検証していくしかない?
入信加盟することのみで救われるとしたら、それは遭難者の救護ネットや養護施設でしかない
救われた人は、そこから自分で立ち上がっていかなければならない、どのように?
救ってくれた存在の奴隷を永遠に続ける?
また、宗教にはダメな個人を救うだけでなく
世界的な宗教は、未来の指針を打ち立てるものがあると思う
その場合現状の個人はとても困るものでもあるかもしれない 一神教と独裁が世を乱す。一神教=独裁
一神教は研究されてるけど、
独裁は「やりたい放題」だから研究しにくいが、「365日が戦争」という見方もできる。
戦争だから「ウソで敵をだますことが正義」という悪法が行われる。見よや特亜の悪態を!
あのな、独裁は 国際基準から外れたテロなのよ。 多神教でも一神教でも
神、神様は原理、原則、法則、主義、
もっというと主張、説明のことです。
古代は現代の様に自然科学、社会科学、
思想、信条、心理学、社会学、法学に
経済学、哲学などが分かれていない。
渾然と混じり合っていた。
科学知識や技術水準が初歩的だったので
自然現象や社会現象を説明する時に
多神教、一神教でも神様たちがいて
自然現象や社会現象を起こしていると
説明した。
科学も技術も素朴だったので
その説明で全然納得できたし
納得し信じる事が科学的合理的態度だった。 >>299
人間の罪の意識、良心を求める心に付け入り、
搾取し、商売したりするもするもの。
悪を当たり前にして利益や損得で得を得てきたり、
人をいじめてきて徳を人よりも得てきたような屑には全く通用しないもの やはり宗教は麻薬だ
というか麻薬以上に危険だ
禁止し取り締まり
地上から一掃すべきだ 権力と富の象徴
実は無価値。
信仰心に宗教宗派は要らない。 宗教とは、人の損得感情を弱め捨てさせ、時に無駄な禁欲にさせて、
その隙に自分達が欲望損得をより有利に意識と意思を働かせ追求したり
相手に他人の事はなーなーにさせながら周りの傲慢さをとおさせ、
宗教を信じたものに貧乏くじを延々とひかせるもの。
いざとなったら法律の場所では損得感情の天秤を徹底してはたらかされる事に
いままで何をやっていたんだとなるもの。
善意を信じて朝鮮や中国の近代化を手伝った結果は、悪を増徴させた事が大半と成った事からも、
また今の世界で徳をしている連中からも結果を知る事ができる。
正常な損得勘定と自然界の自然な善悪の欲望と判断に戻し、
本当に憎むべき悪を殺す憎しみと恨みで世界をあふれさせて改善しなければならない 宗教とは 自己否定。
自分を捨てさせようとさせる為に、無我の境地だの、無念無想だの
その行為を説明も無く さも良い事のように吹聴する。
その無我の境地が、正しい場所で自分自身の身をリセットし整えさせるために
行われるならよいのだが、逆に悪が活用すれば、
意思を働かせている方の意思に呼応しやすくなるので、
その暗示にかかりやすくなる。催眠術に陥りやすくなるのである。
思考と意思を止めると言うことは、その辺の石や木と同じ状態になると言うこと。
思考を働かせている方に駆逐されると言う事。
宗教とは恐ろしいものである みな人は欲を捨てよとすすめつつ 後で拾うは寺の上人 宗教は、自己否定、自己放棄させるもの。
だから、ジハードや神風特攻や自爆など、盲目になって自分の命を投げ出しやすくなる。
財産を投げ出しやすく差し出しやすくなる。
その隙に、しかけた側は、自己保身により走り巧くやっている 565神も仏も名無しさん2019/05/10(金) 07:18:04.03ID:A4NI/m7l
先日、滋賀県大津市で保育園児2名が犠牲になった極めて痛ましい事故があったが、
ニュース速報+板等に、
「代わりに僕が死ぬことで幼い園児たちが助かるなら、喜んで僕は死にます」
このようなことを書いている者が何人もいた。
僕も愛する妻や家族がいなければ、痛みなく恐怖なく行けるなら別にかまわない、と思ったことだろう。
しかしいわゆる「上級国民」とネット・スラングで揶揄される人たちは、絶対にそう思わないだろう。
彼らの地上的価値観における物欲や欲望には凄まじいものがあると感じる。
実際、かつて僕は金美齢というお年寄りがテレビで「方舟みたいなものがあれば、私には権利がある。
真っ先に乗り込む」というように言ったのを見て、ちょっと、ひいたことがある。
いずれにせよ、「僕の命と当該事故の保育園児の命を交換できるなら、喜んでそうしたい。
僕など生きてる価値がないから」と断言する人間が多いことに驚いた。
恐らく彼らは弱っている人間か、社会的弱者なのだろう。孤独で、
守るべきものがない人たちかもしれない。ニートや引きこもりなのかもしれない。
それでも神様は、人間の価値を生産性などで判断されることは絶対にない。
僕は「日本人にはまだ武士道精神が残っているのかな」と少し嬉しくなった。
日本人にはスファラディ・ユダヤ人の血が受け継がれていることを、僕は直感している。
これは理屈ではなく、本能的にそう感じる。イスラエルにも足を運んだが、
実際さまざまな類似点に驚かされる。主が選ばれし民族なのだろう。 >「方舟みたいなものがあれば、私には権利がある。 真っ先に乗り込む」
>というように言ったのを見て、ちょっと、ひいたことがある
行動原理の違いだな。欲望損得を当り前にし、欲望そのものを否定せず肯定する中に、
更に善悪を見出してきた存在の善悪の推し量りと、
欲望そのものを否定され悪にする傾向を強く抱く中で生きてきたものの違いなのかもしれない。
欲望損得そのものをハッキリ主張する先に、更に善悪と権利を描く事のできる姿勢で生きてきた存在か、
欲望そのものに遠慮がちで悪気を抱き生きてきた存在かの違いでそのような主張の違いが起こるのだろう。
自己犠牲を美徳とする文化は、奴隷主義者に騙されてきた文化だ。
他人に遠慮する事をそれとなく押し進め、自分達に都合の悪い主張を控えさせようとしている
ずるい連中の狡猾な罠かも知れない。
人は元々他者の言う事を聞く必要も従う必要もない。
好き勝手に生き、自己責任で処理する事が基本の存在。
そこにおいて、悪とは、欲望の為に他人に傲慢や強要をなしたり騙したり陥れたりする存在。
そこが基本で、更に弱い出遅れたそれだけでは間に合わなかった悪は、
自分が卑しい罪をなしながら更に責任転嫁までする卑しい悪さえいる >>320
悪党は自分が助かるための主張をする。
しかし、自分が助かるための主張をするのは悪だけだろうか?
善悪とわず全てがその為に生きている存在が多い。
悪党が自分が助かる主張をするなら、善人はもっと善悪の違いを具体的に主張しなければ
悪は滅ばないし、自分も助からない。そこをナーナーにしてきた挙句に
朝鮮人と言う悪を世界にはびこらせてしまったのが日本やアメリカだ。 世の中で、最も徳が高い人間は、
欲深くありながら、尚かつその欲望を、他人にたからずダシにせず、他人を傷つけずに、
或いは他人を喜ばす形さえ多く伴って、それを達成する事ができる人、そんな事さえ欲望を叶える時に配慮できる人間である。
欲事態は悪い事ではない。欲の抱き方によって善悪は決まる。
同時に欲深い事は決して悪い事ではない。それに対し、それを卑しく他人に対し何か図々しい狡い事や
誰かは自分より下であれという事を伴う様な行動を伴ったり、束縛臭く誰かをダシにする様に嫌な物事を
身代わりにより押付けたりするように持回り自分の損得を追求し叶えようとしたり、
自分の悪さの身代わりにタカり易い相手を持ち回ってまんまと身代わりにもっと出来ない立場になれ!悪者になれ!
という行動を取ったり、自分達の利益を有利に叶えようとしたり、片方に大きな不幸を作ったり搾取しダシにして、
片方にいい顔をする行動を伴う者が屑なのである。
意欲とやる気を失ってはならない。意欲とは、損得における得をすることを求める事と、
欲望を追求する事から発生する意思の力である。
それは、社会の悪い部分や悪を排除し改善しようとする意思からも生まれる。
欲望をまっこう否定する宗教は、相手の意欲をはぎ落とし、その隙に自分達の欲望を叶えようとしたり
自己否定をさせ、相手をできるだけ早く自然死や自殺へ追いやったり、相手をロボットのような奴隷にして
自分達の兵隊にして働かせようとしている邪悪な侵略者側の宗教か、
悪に飲まれやすい未熟な宗教である。
欲望への意欲を消し去れない洗脳者は、次に相手がよからぬ方向へ誘うための間違った欲望や
怠惰となるものを与えてくる。麻薬や偽の疑似欲望である 日本は、自己放棄しろ自己放棄しろと言って、
影で自分達だけ欲望と権利を叶えている朝鮮人のごとき屑が大勢いる国だ。
騙されてはならない 支配者(神)が人間な組織が国家や偶像崇拝教で
支配者(神)が人間じゃない組織が宗教
例えばイスラム教の支配者(神)はムハンマドではないが
イスラム国家の支配者(神)はムハンマドである
国家や偶像崇拝教は支配者(神)に従う=人間に従うなので庶民の奴隷意識が強くなる
宗教は庶民の奴隷意識は弱いがその反面、組織を流動的に動かせないのが弱点で
いざ敵と戦う場合は、国家樹立が必要不可欠となる 他人には無駄な苦しい事をさせるようにしむけ、
更に自分達の嫌な物事を押し付け易くさせて押し付け、
影で自分達が利益になる物事をより有利に執り行い先んじようとし、
更に相手の不幸にたかったり自分達に無い知恵を盗んだりして有利にうまくやっているのが
現代の宗教である。
このような振る舞いをした者からは全ての利益財産を取り上げ、
すべての不幸を全人類からぶち込む事と、呪い続けたたき殺すことがふさわしい 人も人以上の高度な存在も、目的は自己の高度な利益の為と、それに対し倫理的に反する野蛮で図々しくズルく利益を取り揃えて
立場を主張したりしようとしている略奪者、侵略的存在に対する排除が目的だ。
奴隷主義的で、元はタカり臭い泥棒臭い暴力臭く、汚い者や嫌な物事を押し付けてくる輩を排除する事が目的だ。
つまり、狡猾な糞食いグックは世界から消えろということ 世の中で、最も誰を監視しなければいけないか?
それは、タカり盗人臭く、奴隷主義的に人を扱い、
更に他人を姑息に悪者にしようとしているような屑どもだ。
しかし、現代社会は、タカり盗人臭く奴隷主義的に扱う屑が、人を監視する立場の振りして
神様にでもなったつもりでへばりつき覗き見ていて、すっとぼけている 世の中で、最も知るべきものは悪党の実態である。
悪とは何かという事を知る事をしなければ何もかも無意味。
善をただ語らうだけのものには余り価値は無い。
悪を具体的に詳しく知り、対処を覚える事こそ生きる上で最も重要な事の一つである。
悪の正体を見出すには歴史の中を探る事。歴史の中に悪の実態と答えが潜んでいる。
歴史をないがしろにし忘れたものの語る善に価値は無い。
卑しく他人の成長を捻じ曲げ歴史を作らせようとした者は最大の罪の一つを背負っている。
過去さえも妄想でしかない檀君神話などを掲げ、熊から生まれたなどの神話を吹聴する存在で、
サクラや日本や中国のあらゆる文化の起源を主張する程度の屑は悪でしかない。
嘗て、世界を不幸に追いやり多くの文明を滅ぼした蒙古とその残党のエベンキ朝鮮族。
その大元の悪魔の洞窟の生活を長く続けた存在こそが現代の悪の根源である 人のドサクサにまぎれて更に自分達が優遇措置を敷いて巧くやる。
その癖に、自分達は同じだよと嘘ぶく真似をしてとぼけて、利益と立場求めに人の女性や異性に擦り寄る。
その実態は、悪を当り前とする世界で弱者をぶったたき日本人を存分に悪者にしてきた、
遺伝的に最も劣る遺伝子ウニで火病持ちで免疫疾患豊富で、風水占い呪い狂いで
嘘や騙しや人をより深く恨んだ方が勝ちと言う恨(ハン)の文化をもち、
騙されるほうが悪い、棒でたたけを当り前にしてきた存在というだけ しょーもないオカルト現象はすぐに信じるのに宗教だけは頑なに否定する節操のなさは見ていて滑稽ではある >>331
しょーもないオカルト現象ってなんですか?
怪談とか伝説は好きだぞ。そのまま信じてるんじゃなくて、その中に
それを語らせる何らかの要因や部分的に本当の事が含まれていたりするからな。
そこを探求するのが好きなだけ 例えば犬や猫などのペットがあまりにも煩いと叩いたりするだろ?
人間にとってはあくまでも躾でしかないが
ペットからしたら暴力でしかない
弱いものが強いものに支配される事は自然の摂理であり
この世から無くす事は不可能である >>334
じゃあ、人類は宇宙人的人類以前の存在にとって弱者で不要だから消し去らなければならない。
しかし、今の人類が本当に強者が生き残ったといえるだろうか?
第二次大戦では、弱者や朝鮮人のような卑怯者が内地に残り、
屈強な肩をもった歴史に残る野球選手やスポーツ選手、学生などが前線へ出された。
朝鮮人は、遺伝子ウニで火病持ちで免疫疾患豊富で、
弱い奴には強く、強い奴には弱く酷さと卑怯さだけが取り得の癖に、
弱った日本人の相手にズルく搾取して力をつけてきただけの存在だ。
日本人にも自分でその物を作り出せないくせに、同じ日本人というだけで
他人の獲物道具を有利にえて、それで有利に人よりもやり威張り散らしている屑がいるのかもしれない。
いずれにせよ、生かすに値しない。騙されたほうが悪いとか抜かしながら、
日本人などに騙しタカり弱体化させて強者気取り。糞豚野郎を見てる気分でしかない 狭い場所でたかりやすくでき、姑息に自分が有利に勝ちを望んで弱者に見立てられる相手には、
図々しさと強い者が勝つなどと吹聴し、
アメリカや強者で勝てそうに無い相手の前では平等と利益の分かち合いを求める。
そんな狡い糞ったれが通用すると思ってる馬鹿がまだ世の中にいるのか? 朝鮮人にとって、
善人 = 騙し易く 奪い易く乗っ取り易いカモにできるバカな相手。自分より下にできる相手。下な相手。
隙がある取り入って相手の武器や財産を奪い易い相手
としか判断されていない。
究極の悪と力尽くで生きてきた人間の判断とはそういうものである。
朝鮮人のごとき前で譲歩し善をもって接する事を模索する事はバカを見る事。
もし、力尽くと弱い者虐めと騙す事を当り前として最大の虐殺を手ごたえを掴んで生きてきた
歴史を存分に持つ種族がいたら、それらが宗教や神という概念や存在を見たらどう思うだろうか?
到底許されない信用できない自分に対し、裁きを与えずまだ隙を見せてくれる利用し易い存在
として映るだろう。だから宗教内部から乗っ取る真似すら平気でできる この国には、悪い人間の良いとこ探しと便利な物をより先んじて与えて
よりタカり乗っからせ持ち逃げさせ放置するヘレッツアホ面並べ。
たかられたり悪い人間に苛められるように扱われる人間をケチ臭く不便に扱いながら
重要な事を教えずやぎもぎさせながら物事を把握させずに持ちまわるように扱いつつ
その人間の悪いとこ探し。
そんなものがトロ臭い卑餓醜くっさいカスどもの為に蔓延って来たが、
それがようやく改善して行く必要がある >>338訂正
>それがようやく改善して行く必要がある
それが漸く改善しつつあるが、味噌も糞もいっしょに叩くみたいなスタンスをはべらせて
ドサクサ紛れに誤魔化そうとしている連中がいるので、もっと改善して行く必要がある 宗教は自分の責任を認めたくないオコチャマ大人が入る場所です 宗教は、騙す側が自分の罪と責任を棚上げして、他人を騙している場所
盗人臭くタカり臭く間に合わせているような者が、
更に自分の責任を放棄して、人の良心と罪の意識を利用しながら相手を騙して馬鹿にしている
もっとも狡猾に陥れる卑怯な罠の場所 宗教に頼らずに真実が解れば、それに超したことはない。
騙しを確かに認識出来るのは、確かな真実を知る者のみだから。
真実を知らずして真偽を確定するのは、いずれにしても狂気の沙汰? 宗教の出口も聞き手も不浄の物
いずれにせよ不浄の物の奥底からしか真実は現れない。 多くの悪を知らずに育つと、あるいは力ずくで実利を得てきた悪たる存在という者でなければ、
宗教は信じやすいものとなる。
逆にいえば、究極の悪ほど宗教を信じず騙されないばかりか、
逆に宗教を乗っ取ったり利用して、こんなに簡単に騙せて金儲けをできる場所は
すばらしいとばかりに利用することとなる。
まったく役に立たないばかりか、悪党の都合や困ったときの保身する場所として
働かせたり、都合を作ったり金儲けさせる存在となる 要するにおまえらの都合よいように規制しろって話だろ >>346
宗教=聖域
ではなく、悪党の隠れ家や陰謀を隠すための隠れ蓑や、朝鮮の脱税に利用されてる。
宗教法人は多くの税金が免除されるので、朝鮮人が信者になってお布施目的で金を教会に
譲渡してマネーロンダリングすれば、朝鮮人の金庫として利用できるからな <信者はなぜ「嘘つき(大川隆法)」を支持するのか>
http://oklucky.blog.shinobi.jp/Entry/136/
信者はその関係性をたのむ度合いが大きいほど、「嘘つき(大川隆法)」の嘘を正当化しようとする「認知的不協和(自分の中で矛盾を抱えた状態)」は強力な「自己保存メカニズム」であり、
あらゆる証拠が彼(大川隆法)の嘘を証明しているにもかかわらず、真実をねじ曲げてでも「嘘つき(大川隆法)」の虚偽発言を正当化せずにはいられない。
「嘘つき(大川隆法)」の信者は嘘をつかれ続けたことを誰に対しても(自分自身にも)認めない。
外傷性の絆(トラウマによる、加害者と被害者の絆)は、信者の、自我の基盤をむしばみ、本当の危険を正確に認識したり、代わりのアイディアを思いつくことを困難にする。
だから、いったんこうした絆ができあがってしまうと、そこから抜け出すことは著しく困難になる。
恐怖に圧倒された被害者はしばしば「解離状態」になったり、麻痺してしまって能動的な判断や行動が不可能になる。
サバイバルモードを抜け出して安全が確保されない限りは正常な認知(思考)は回復できない。
「敵」の存在もまた、「外傷性の絆」をいっそう固いものにしてくれるだろう。「嘘つき(大川隆法)」はこれからも「敵」を攻撃し続け
嘘つきは連中のほうであると言い続け、危険性をあおり立てることで外傷性の絆をいっそう緊密にしようとするだろう。 「恐怖心」と「安心感」が洗脳の両輪
恐怖心を持つ人は、正しい者を迫害し、信じる者を「恐怖心」で人や組織に「縛りつけ」ます。
この根底には、自己保身欲があります。
悪い波動は恐怖心を増幅するように、自己保身欲に訴えて囁(ささや)くのです。
これとは対照的に、恐怖心を根底とした心理の中に、例えば、「会員は天国が保障される」という「保障」を
植え込む事によって、「安心感」が生まれます。この「安心感」で自己保身欲は満たされます。
「恐怖心」と「安心感」の両輪で、組織や人への「縛り」と「服従」が完成し、「悪い波動に支配された洗脳集団」が完成します。
つまり、幸福の科学の根底に在るものを一言でいえば、結局は、釈尊が滅却されようとした「自我我欲」であり、「愛」や「慈悲」ではないのです。
愛と慈悲が無い世界、それは異次元空間に隔離された世界、地獄界です。恐怖と裁きの世界です。
破壊と闘争、情欲が渦巻く世界です。それが、K会の本質です。
これは、教祖が必死で考えた、自己実現の為の策であり、洗脳プロ集団の技だと思います。
そうして一旦洗脳されれば、次々と洗脳が進んでしまいます。
ついには人間である教祖を宇宙創造の根本仏、造物主として信仰するようになります。 大川隆法の親って創価学会じゃなかったっけ。
朝鮮の新たな日本乗っ取りの為の新興宗教としてに、
更に幸福だのオウムだの摂理だの足の裏なんとかだの顕正会だの善隣教だの
ライフスペースだの自己啓発セミナーだのとにかく日本人をマインドコントロールして騙し
自分達が金集めや性の搾取、財産を搾取乗っ取りやら奴隷と兵隊にしようとめくらめっぽう目くらましも兼ねてか作ったり、
日本人を騙し搾取した金の取り分で分裂したり繰り返した後に、
途中から右翼を取込んでミスリード先導での取り潰しの役目をしだしたのが幸福だろ 層化は日蓮教義がベースになってるから仏教に疎い素人は騙せるが
幸福は仏教をベースにしながらオリジナルのめちゃくちゃな教えを混入させているから
余程の馬鹿でないと騙されないと思う
キリスト、孔子、釈迦の魂は同じであり今生において顕れたのが大川隆法である。って
そんなの誰が受け入れられるんだ 幸福にしろ何にしろカルト宗教でもある程度は人を助け癒やせるんだよな
やぶ医者でも風邪への効果的な対処法は知ってるみたいな
初めて何かのカルト本読んでそこで下手に長年抱えてた問題が解決しちゃうと、もうその宗教にどっぷり嵌っちゃうんだろうね
カルトの問題はその救われた後なんだけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています