自分達の善意など偶然にできあがった自分達の仲間内文化だけの特別なものであり、
又、人間の善など人間同士の中で偶然に育った特別な意識と願望妄想の産物でしかなく、
多くの外の世界、自然界は悪と力尽く言える存在感情であふれていて、善が勝つなど本来はありえなく、
力尽くや存分に悪にそまったものが勝ったり生き残ってきて、
上から下の弱い人間まで悪でそまっている場合がある。それを認識しなければならない。
それを認識しないで浅はかに善を認識すれば悲劇を生む。悪と力を十分に把握し認識し悪の思考と知恵と
邪悪さ狡猾さと力尽くを陵駕し、この世の善でも悪でもない摂理を悟った上での善を悟る事が大切である。
これを認識せず、浅はかに性善説を持って物事に接するので、悪を増長させたり食われたり取り込まれる羽目となる。
こないだも宣教師が文明と非接触の未開の土人に
手みやげ持って会いに行ったら速攻で殺害されたという事件があった。
南米でも、未開の部族が最後の二人までになったので、政府をあげて保護したが、
保護施設の先で人を斧で頭かち割って殺したりという事を平気でする事件が発生した。
この程度の存在が自然界の人間の多くでも普通なのである。
そしてその悪がすっかり究極までできあがった邪悪な存在が朝鮮人である。
長らく食人をしてきた野蛮な盗賊が、中国と李氏朝鮮と日本の間で少しの文明をもったというのが始りのような存在である。
恩を感じないと取れる行動が目立ち、のきさきをかすと人がいいとみるとよわいとみると
手をさしのべた人間にズケズケともっと要求し母屋を乗っ取ると、
自分が恩を与えれば、その何倍もの恩着せがましい見返りを要求するという具合の糞野郎であ