1980年の4月
大学という大学を落ち、オレは予備校生の身となった。

「浪人」という名の19歳の男に、親はもう一度無駄な期待と金を使い、さして
意味の無い「新生活」が始まった。
3月の半ば、念仏のように「やればできる」と繰り返す母親に頷きながら
オレは、テーブルの新聞広告に眼の焦点を合わせていた。

 「A日新聞奨学生」    それがこの話の全ての始まりだった。

予備校の入学金を出してくれて、しかも家賃はタダ。食事も付いてる。
親に黙っていれば、親から預かった金は全部小遣いになる・・・何の文句も無い
天国のような話だった。もちろん受験勉強など最初からする気はなかった。

新聞配達なんてバイトの延長(というかそのもの)とタカをくくっていたオレ
のアテが外れたのは、初日の挨拶の時だった。まず320部の朝夕刊配達を
言い渡され、その日の夕方には、「今日から折込みもやってくれよ」と販売店舗
のオヤジから宣告を受けた。

つまり毎日2時起床ということだ。