結婚より子供が先だった俺達は、嫁さんの体調が落ち着くまで直接の挨拶に伺うのを延期してた。


7月の初め、体調も大分落ち着いた嫁さんは家族と食事の日取りやらを座椅子に腰掛けて打ち合わせていて、俺はその座椅子の後ろで寝転がって背もたれにかかる嫁さんの長い髪の毛をじーっと見てた。


悪阻で思うように食事が出来ない時期が続いて、嫁さんの髪の毛は途中から傷みも色落ちも激しかったから、「体調が良くなくて中々美容室に行けなかったし、地元に行く前に予約する?」と髪の毛を見ながら言ったら束の隙間にある女性の顔と目があった。
布地の筈の向こうに顔がある事に驚いて最初は言葉に詰まっていたけど、その顔が歪められて恨みの籠った表情で俺を睨んだところで思い切り叫び声を上げて嫁さんの髪をバサバサ払った。
嫁さんに訳を説明したら、少し寂しそうな顔で「お母さんかもしれない」。


嫁さんのお母さんが病気で亡くなっているのは俺も知っていたけど、嫁さんの髪の毛を綺麗だって亡くなる最後まで誉めていて結婚式をあげるときは自分がセットをしたい願望があったのはその時初めて聞いた。
だからお母さんが怒ったのかもしれない、だけどせっかく綺麗だって言ってくれたからお母さんに切るよって挨拶してから整えに行こうという話で落ち着いて、数日後に実家へお邪魔した。


遺影に写っている嫁さんのお母さんがあのときの顔とは全くの別物で、嫁さんは美容室ではないところで髪を切るというよりは切り落とす形で散髪をして、然るべき所へ持っていった。
嫁さんは今でもベリーショートです。