>>118

>
私は>>123で>他者に感化・依存することなく、己の欲・意思・独断性が強ければ住む世界は闇のままと書いております。
この一行に纏めておったのですが、そもそも気とは固有の特別な能力ではなく人間誰しもが持ち備えた能力であると考えております。

私はいまだ闇からは抜け出せてはいないので、抜け出すヒントというか直接脱出するためのカギ・手段を680氏から得られればと思ってはいたのですが、上の引用文の「他者に~闇のまま」という1文にそれを表したのでしょうか?
確かに、私の他者への憎しみもマキャベリックな悪意も、歪んだ自己愛もとても強固・頑固なものです。ゆえに闇のままというのも正しい理屈かもしれません。

また、
>私自身がそう感じたので私の能力なのでしょう。
は、680氏の超能力ではなく、誰しもが持ち備えた気の能力によるものという意味でしょうか?

闇から学ぶことに意味がある。といえど、私が多くの他者の見ていない闇を見ているならば意味はあるかもしれません。
しかし自分が今おそらくいるのはマイナス地点。
スタート地点からゴールに向かわず逆走して自らもしくは環境のせいでマラソンに遅れをとっています。
その私の見ている闇が、私が逆走する間に周囲の他人がとっくに習得した物・通過する義務のあるチェックポイントであるなら、
私は物を習得・チェックポイントを通過せねばならず、とうに他者が当たり前のように得てしまっているものを他人より遅れて得たところで、誇れるものがありません。

私は他人よりも遅れていることを恥じ、その遅れが無意味であり、他者にはない誇れる経験や何かを得たでもなくただ無駄に時間を浪費しただけであることを悔しく思うようです。
何も誇れる経験をせず愚かさを悟ってやるべき放置した宿題を後から片付けるだけの身分に終わってほしくないのではなく、他人と比較して優れたものが欲しい感情があるのでしょう。
おそらく正しく目標に至った時には持ち合わせないであろう間違えた感情が沸き上がっているのでしょう。