90神も仏も名無しさん2019/02/12(火) 09:20:32.70ID:AabpKmj1
僕はプロテスタントのキリスト教徒だが、マザーテレサを尊敬している。少なくとも、自身が
彼女よりも上だとか、自分だったらとか、おこがましくも言えない。人生を貧民と共に過ごし、
独身かつ清貧を貫き、ノーベル賞を得ても尚、最後まで立派だった人に比して、自分は介護施設で
3年間の労働もできなかった。そんな僕に彼女の何がわかるだろう。ローマ法王の何がわかるだろう。
マザーが聖人になっても、重要なことはそれではない。彼女の人生に救われた人間がいるということ。
僕は一人でもいいから、誰かを救いたい、自分を救いたい、ともがきながら、なんとか頑張っている


この地上には自分とそっくりな容姿、人間性、思考回路、の人間が3人はいるという。
そしてあなたの愛する人、たとえば伴侶、子供、両親、友人など、彼らにそっくりな人間も
それぞれ3人ほど存在しているという。
ここで想像力を働かせて欲しい。

仮に今あなたが幸せであっても、あなたにそっくりな人の誰かが、今まさに飢えている可能性もあるわけだ。
あるいはあなたの愛する人にそっくりな誰かが、飢え渇き、または病床に伏しているのかもしれない。

もしあなたは今たとえば温泉旅行に赴いており、大満足し、暖かい布団にいるとしても、
また、あなたがどれだけ財を蓄えていたとしても、あなたは本当に「幸せ」なのだろうか?

あなたが命をかけてまでも愛する人が、何人か今まさに苦しんでいる可能性があるというのに。

神である主は「いつもそれを念頭において行動しなさい、愛をもって行動しなさい」と言われる。
これが霊・肉・魂・心で一様に理解できるようになれば、人生のステージは一段階上に上がったとみていい。

マタイ16.26
人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。
自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。