★ ファティマ第三の予言を考察するスレ ★
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
ヴァスーラ、秋田のメッセージがファチマの第三の秘密であることを証言する http://tlig.jp/blog/2017/02/19/vassulaandakita/ 「1992年11月26日1私は秋田での国際マリア会議に、他の人々と一緒に招かれました。ルネ・ローランタン神父とマイケル・オーキャロル神父がおられ、 他の司祭方、それからヴィダル枢機卿もいらっしゃいました。伊藤司教は秋田のメッセージとシスター・アグネス(笹川)について私たちに伝えたいことがあり、 本当にびっくりするようなことを言われました。 伊藤司教が調査のために秋田のメッセージをローマに持って行かれた時、ラッツィンガー枢機卿とお会いされました。シスター・アグネスとそのメッセージについて話すと、 ラッツィンガー枢機卿は『それを読み、何ができるか考えるので、置いていくように』と言われました。 伊藤司教は、ラッツィンガー枢機卿は通常通り調査団を送ってよこすだろうと考えていました。枢機卿はご出現があった場所にいつも調査団を送っていたからです。 翌日、司教がラッツィンガー枢機卿のところに行くと、『私たちは調査団を送りません。専門家も必要ありません』と言って、司教を驚かせました。伊藤司教が『どうしてですか?』と聞くと、 枢機卿は『なぜなら、秋田のメッセージはファチマの第三の秘密だからです。ですから調査する必要はありません』と答えられたのです。これが枢機卿の言われたことです。 分かりますね、この話を聞いた時、私たちはもちろん『ワオ!』と言いました。それはファチマの秘密なのです。お分かりの通り、私たちはこれを他の情報源から聞いたわけではありません。 『伊藤司教がこう言っていたらしい』というような話であれば、私は信じなかったでしょう。ですが、私は伊藤司教自身の口からこれを聞いたのです。他の人々と一緒に。『調査は行われません。必要ない。これはファチマの第三の秘密とほぼ同じ言葉だからです』と」 最終的な武器は、ロザリオと御子の残した印と聖母マリアのお告げであったが、 御子の残した印=十字架の磔の上に書かれた「INRI」。 INRIは、日本では、稲荷として信仰の対象になり、 稲荷神社=イエス・キリスト神社という説もある。 秋田の第三のメッセージの洪水よりも酷い、火が天から下り、地上は火の海と化し、 生き残ったものも死んだ人を羨むような大惨事から逃れる、神のお怒りを鎮める ためには、日本においては、稲荷神社=イエス・キリスト神社を拝むことであると、 秋田の聖母は、諭しているのかもしれない。 ファティマ第三予言の内容は1973年にサタンの刑期が終わり人間として産まれること ここは、オカルト板でありながら大変恐縮だが、 ファティマの奇跡や秋田の奇跡を知ると、キリスト教が真理だと思うな。 オカルトは、UFOの目撃やツチノコの発見、心霊写真などなど、 興味をひくものではあるが、だからどうなるもんでもないな。 キリスト教は、2000年の歴史があり、 ファティマの聖母に遭遇したジャシンタやフランシスコ、または、 マザー・テレサなど、ヴァチカンから聖人や福者などとして認定されたり、 そこまで行かなくとも、信仰によって神に愛され死後天国に上げられるという 期待が持てる。オカルトは、それがない。 宗教のが夢があると思えるのだがどうか? 神への忘恩と侮辱を繰り返し続けた人類に対して、 神の取次である聖母マリアがファティマと秋田で警告を発している。 このまま人類が神への忘恩と侮辱を続けるならば、 神は、子である人間に対して大いなる罰を与えようとしている。 特に日本に出現した秋田の聖母マリアは、 日本人に対して悔い改めるように警告しているかのように見える。 神からの罰のその一つの例は、、東日本大震災である。 秋田の奇跡は、ファティマの奇跡の延長線上にある。 そのファティマの奇跡の遭遇者ジャシンタ・マルトの生誕日1910年3月11日に 秋田の聖母101回の落涙の数を足すと2011年3月11日。 まずは、東日本大震災として大いなる罰が日本人の上に降りたといえるだろう。 これからも神への感謝と賛美を忘れるようなら再び大きな災いが身に降り注ぐ と考えられる。 「UFOとエイリアンの正体はタルパ(思念体)」識者が結論! “人力AR”で宇宙人が実体に… チベット仏教の奥義と関連か!? http://tocana.jp/2018/08/post_17695_entry.html 安田貞治神父著「聖母像の涙」より抜粋 ”ファチマの聖母出現の出来事は六回あり、十月十三日が最後のものとなったように、 秋田での聖母のお告げも十月十三日をもって終わっている。これは単なる偶然の一致と は思われない。 ファチマでの聖母の予言、いわゆる第三の秘密は、ルチア修道女によって教皇庁に 伝達されたが、その内容は、いまだに公表されていない。 歴代の教皇もコメントを避けておられる。いきおい、恐慌を煽るような憶測が世に流れて、 人々の好奇心を刺激している現状である。 しかし、この秘密は、全く伏せておくにはあまりに人々にとって重大な事柄であるゆえに、 聖母は秋田の御像を通して、それをいくらか緩和された形で発表されたのではないか、 と私は思う” 〜中略〜 ”これが最後と告げられた今回のお言葉のかなめは、人々が会心せぬならば、 やがて怖るべき天罰がくだされる、との警告である。お声がいったんとだえたとき、 姉妹笹川が聖母像を見上げてみると、お顔が悲しげにみえた、という。これは、 この要請に応えて、どれほどの者が祈りと償いの業にはげんでくれることか、 を考えて、その心もとなさを暗に訴えられたのではなかろうか。 聖母は、ファチマでの御出現においても、同様のことを再三強調されたにもかかわらず、 人々は無視してしまったのである。 このたびは日本の秋田の地を選び、ささやかな木彫の像と素朴な一姉妹を 通して、瞠目すべき超自然的現象の認印をもって、この重大な警告をくり返された のである。” 1917年のファティマの奇跡から101年目の今年2018年の秋田の聖母の日には、 ファティマの奇跡の時のようにUFOが出現し、 参列者の前でまばゆい光とともに上空を飛び交うかもしれない。 吹き出る血と汗…日本に降臨した聖母マリアの奇跡と予言! そして人類の恐るべき終末とは? ■日本での奇跡の始まり「秋田の聖母マリア」 「秋田の聖母マリア」とは、秋田県にある在俗修道会「聖体奉仕会」において、聖母マリア像が涙を流すなど、さまざまな奇跡が起こった現象のことを指す。 そんな彼女に、1973年6月12日、奇跡の兆候が現れる。シスター笹川は、聖体礼拝のために聖櫃を開けようとしたところす、まぶしい光に打たれ、思わずひれ伏してしまったという。 この様子はファティマで、羊飼いの3人の子どもたちの前に稲光と共に現れた聖母の出現に似ている。その後、シスター笹川の手のひらに十字架の聖痕が現れた。その傷からは血が吹き出し、えぐられるような痛みも感じたそうだ。 ■マリアの催促!? 第3の予言をいつまで経っても公表しないバチカンに対して聖母マリアがしびれを切らして今度は秋田にメッセージを託したのかもしれない。 また、シスター笹川は聖母マリアと思われる美しい女性から、「ファティマの祈り」を教えられている。この祈りは、1917年ファティマにおいて、聖母マリアから3人の子どもたちが教わったものである。 だが、シスター笹川が伝授された1970年代当時は、日本ではまだファティマの祈りが和訳されていなかった。シスター笹川は、ファティマの祈りを知るすべもなかったのである。それにもかかわらず、 「秋田の聖母マリアの祈り」と「ファティマの聖母マリアの祈り」はまったく同じであったのである。 これは、ファティマの聖母が秋田の聖母と同一人物であるという証明のひとつとなるのではないか。 聖母マリアは人類に警告を発し続けている。だが、人類の多くは聖母マリアの奇跡に目を向けず、そのメッセージにも耳を傾けようとはしない。全人類に大いなる罰が下る日は近いだろう。 http://tocana.jp/2016/01/post_8470_entry.html 人類の多くは聖母マリアの奇跡に目を向けず、そのメッセージにも耳を傾けようとはしない。 ファティマと秋田での警告の一部は、3・11の大地震という形で証明されている。 それでもまだ改心しない人類には、第二弾、大三弾の戒めがある。 744本当にあった怖い名無し2018/08/04(土) 11:47:45.32ID:lj/1G8ncO 太平洋戦争開戦の12月8日は聖母マリア無原罪の宿りの日 太平洋戦争終戦の8月15日は聖母マリア被昇天の日 太平洋戦争講和の9月8日は聖母マリア誕生の日 太平洋戦争は聖母マリアと縁があったようだ それでもって日本キリスト教伝来のフランシスコ・ザビエルが、 種子島に上陸したのが、8月15日の聖母マリア被昇天の日 。 太平洋戦争終戦の日に鉄砲伝来の地、ロケット(ミサイル)発射台のある 種子島に上陸なんて、因果を感じますねえー 【衝撃映像】「ファティマの聖母」像が動いた奇跡の瞬間! 口を開け、手を前後に… “新たなメッセージ”が届く予兆か!? 聖母マリアの彫像が動くという「奇跡」を捉えた動画が今、世界的な話題となっている。オルタナティブメディア「Freak Lore」からご紹介する。 口や手が動いたと指摘されているのは、かつてポルトガル・ファティマに現れた聖母マリアを象ったという聖母像だ。正確な場所は不明だが、 動画に映る白いマリア像はガラスケースの中にあり、胸の前で手を合わせて微笑んでいる。YouTubeチャンネル「Strange Videos」にアップされている動画は手ブレが激しくピントも合っていないが、確かにその手がゆっくりと前後に動いたり、口が動いているように見える。 ただし、この動画には疑問の声も多数寄せられている。撮影の場所どころか日時も不明な動画であり、 動画編集ソフトを使い、静止したものに特殊効果をかけて動いているように見せかけた偽物という意見も根強い。 だが一方で、クオリティの低さが本物の奇跡の証拠だという意見もある。確かに、フェイクならばもっとわかりやすく動かすような気もする。 口の動きがまるで何かを伝えようとしているようだと評する人もおり、聖母から新たなメッセージが届く予兆なのかもしれない。 奇跡の街で撮影された謎のビデオ。その真偽は、見た人々の判断に任されているようだ。 Our Lady Of Fatima Statue Move Hands and Mouth Caught On Tape. Paranormal Phenomenon? https://www.youtube.com/watch?v=9cRyia-F1Uo 「ファティマの聖母」秋田入り、「涙流したマリア像」と対面 東西の“奇跡”に多くの巡礼者 「涙を流したマリア像」で知られる秋田市添川湯沢台のカトリック女子修道院「聖体奉仕会」に14日、第一次大戦中にポルトガル中部ファティマに聖母マリアが現れたと伝えられる 「ファティマの奇跡」から100年を記念して作られた聖母像がやってきた。ファティマと秋田はともに北緯39度線近くにあり、「東西の奇跡」の対面に、 日本だけではなく世界各国から訪れた約500人が祈りをささげた。 涙を流した聖母像は、台座を含めて高さ120センチの木彫りの像。昭和50年1月に、両目に涙が浮かんでいるのを修道女が気づき、56年9月まで101回、涙を流したとされ、 多くの目撃者もいる。涙は秋田大と岐阜大の法医学教室により「ヒトの体液」と鑑定された。「アワ・レディー・オブ・アキタ」(秋田の聖母像)と呼ばれており、海外でも広く知られている。 一方、ファティマの聖母像は1917年5月13日、ファティマで3人の羊飼いの子供の前に聖母マリアが現れ、毎月13日に同じ場所に来るよう告げたという伝承から100年を記念して作られた。 ファティマの聖堂にあるものと同じ大きさで、冠を除いた高さは105センチ。日本各地を巡回中で、15日まで聖体奉仕会に安置され、最終的には広島市のカトリック幟町(のぼりちょう)教会に納められる。 奇跡の聖母像の対面には、2日間で1千人以上が訪れる見込みだ。海外からはオーストラリア、韓国、フィリピン、台湾などからの信者が来日する。 聖体奉仕会の小川恵子会長は「100年の節目で、多くの方がいらした」と話す。メキシコから来た大学院生のオリビア・ナイジェリさん(36)は「日本人は奇跡を信じる人が多い。今回の対面を題材に論文を書きます」と話していた。 http://www.sankei.com/smp/life/news/170914/lif1709140026-s1.html 安田貞治神父著「聖母像の涙」より抜粋 ”ファチマの聖母出現の出来事は六回あり、十月十三日が最後のものとなったように、 秋田での聖母のお告げも十月十三日をもって終わっている。これは単なる偶然の一致と は思われない。 ファチマでの聖母の予言、いわゆる第三の秘密は、ルチア修道女によって教皇庁に 伝達されたが、その内容は、いまだに公表されていない。 歴代の教皇もコメントを避けておられる。いきおい、恐慌を煽るような憶測が世に流れて、 人々の好奇心を刺激している現状である。 しかし、この秘密は、全く伏せておくにはあまりに人々にとって重大な事柄であるゆえに、 聖母は秋田の御像を通して、それをいくらか緩和された形で発表されたのではないか、 と私は思う” 〜中略〜 ”これが最後と告げられた今回のお言葉のかなめは、人々が会心せぬならば、 やがて怖るべき天罰がくだされる、との警告である。お声がいったんとだえたとき、 姉妹笹川が聖母像を見上げてみると、お顔が悲しげにみえた、という。これは、 この要請に応えて、どれほどの者が祈りと償いの業にはげんでくれることか、 を考えて、その心もとなさを暗に訴えられたのではなかろうか。 聖母は、ファチマでの御出現においても、同様のことを再三強調されたにもかかわらず、 人々は無視してしまったのである。 このたびは日本の秋田の地を選び、ささやかな木彫の像と素朴な一姉妹を 通して、瞠目すべき超自然的現象の認印をもって、この重大な警告をくり返された のである。” 1636+1635An ET, who appeared in Fatima ファティマに現れたエイリアン(聖母はイシュタールだった)The Virgin was Ishtar, Inanna by https://www.youtube.com/watch?v=0xuEYJj6q1s 大和朝廷建国に大変貢献した秦氏は、渡来人であり、 キリスト教主流派から異端とされたネストリウス派がシルクロードを通り、 中国で景教となり信仰を集めた。景教は、中国で大秦寺を建立し、 その景教を日本に持ち込んだのが渡来人の秦氏である。 秦氏は、稲荷神社を日本に建立し、その神様がキリスト教の三位一体の神様 であるヤハウエと同じである。そういうこと。 4 忠武飛龍@渾沌堂主人雑記ブログ””管理””人 わいは諸葛孔明の生まれ代わりにして艦娘飛龍の多聞丸(提督)や 2018/07/28(土) 20:17:50.91 ID:QYt2Zuyc 今回の大伊奈利(伏見稲荷大社の機関誌)には朝鮮半島と宇迦之御魂神のことが書かれていた。 そもそも宇迦之御魂神(稲荷神)は秦氏が新羅(現在の韓国)から持ってきたことは神社仏閣に興味のある方には周知の事実だが、 興味のない人たちには日本の神社、日本の神として認知されている。 宇迦之御魂神は人で言えば在日コリアンみたいな立場だが、感覚的には帰化した日本人みたいなものだろうか? さて、そのもともとは韓国の神である宇迦之御魂神だが時代が下がると弘法大師空海と出会うことになる。 空海と出会うことで密教が混ざり合い複雑になってしまったが元来韓国の神であることには変わりない。 元来稲荷は人を選ばないと言われてきたが、昨今ネット上では稲荷は人を選ぶ、稲荷は合う合わないがあり合わない人には参拝しただけで不幸が起こるような記事をよく見かけるようになった。 これは韓国の血が少しでも入ってる人には合っており純粋な日本人には合わないのではないのだろうかと私は思う。 そして稲荷山においては三面大黒天も深く関わってくる。 この三面大黒天を三面大黒天と大黒天、弁財天、毘沙門天を別とするかしないかで大きく変わっていくことになってしまう。 太平洋戦争開戦の12月8日は聖母マリア無原罪の宿りの日 太平洋戦争終戦の8月15日は聖母マリア被昇天の日 太平洋戦争講和の9月8日は聖母マリア誕生の日 太平洋戦争は聖母マリアと縁があったようだ それでもって日本キリスト教伝来のフランシスコ・ザビエルが、 種子島に上陸したのが、8月15日の聖母マリア被昇天の日 。 太平洋戦争終戦の日に鉄砲伝来の地、種子島に上陸なんて、 因果を感じますねえー。 日本で起きたファティマの予言、秋田は、日本の宝です。 バチカン大使の証言。 「1人の信者の証言」ファティマ−アムステルダム−秋田 http://subetami.divinemercy.jp/worldwide/w-wprayerday/2016/08/w1998-testimony/ 今はすでに天国においでの秋田のヨハネ伊藤前司教は、生前、書簡によって、教皇様に秋田での出来事を報告し、伊藤司教が司祭職上取るべき措置をヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿の判断に委ねた旨、私に知らせて下さいました。 伊藤司教ご自身にとって、秋田がファティマの続きであることは明白でした。また、ラッツィンガー枢機卿は、この2つのメッセージは本質的に同じものであると、私に個人的に確証なさいました。 伊藤司教は、秋田の出来事はアムステルダムのメッセージが真実であることを証明するものだと考えておいででした。そして彼は「共贖者、仲介者、執りなし手」という称号を確固として擁護なさいました。 仮に、アムステルダムのメッセージが本物でないならば、天は秋田で奇跡を起こさなかったでしょう。なぜなら、秋田の聖母のご像は「すべての民の御母」を模したものだからです。 アムステルダムのメッセージが真実ならば、「すべての民の御母」が「共贖者、仲介者、執りなし手」のドグマを告知するようにとの要求もまた真実であります。なぜ、この真実の告知を抑圧するのでしょうか? ヴァッスーラやバチカン・フィリピン大使が証言するように、 ファティマ第三の秘密は、秋田のメッセージだよ。 「ファティマの聖母」9月に秋田へ 「涙流したマリア像」と対面 東西の“奇跡”がコラボ http://www.sankei.com/life/news/170713/trv1707130004-n1.html 第一次大戦中にポルトガル中部ファティマに聖母マリアが現れたと伝えられる「ファティマの奇跡」から100年を迎えたのを機に、ファティマの聖母像が9月、 「涙を流したマリア像」で知られる秋田市添川湯沢台のカトリック女子修道院「聖体奉仕会」にやってくる。 「東西の奇跡」が対面する場で祈りをささげようと、国内外から多くの巡礼者が訪れそうだ。 ■海外で有名 一方、秋田の聖体奉仕会の聖母像は台座を含めた高さ120センチの木彫りの像。昭和50(1975)年1月4日の朝、両目に涙が浮かんでいるのに修道女が気付いた。 以来、56年9月15日まで101回、涙を流し、当時の高田景次秋田市長も含め約500人が目撃したという。その液体は秋田大と岐阜大の法医学教室によって「ヒトの体液」と鑑定された。 ■ “集客”に期待 ファティマと秋田はともに北緯39度線近くにあり、「奇跡の共通性」を指摘する声もある。 秋田に来る聖母像はファティマの「聖母出現」100年を記念して新たに作られた。 ファティマの聖堂にあるものと同じ大きさで、冠を除いた高さは105センチ。 既に日本国内を巡回していて、100周年の5月13日にはカトリック関口教会(東京都文京区)でミサが行われた。最終的にはカトリック幟町(のぼりちょう)教会(広島市)に納められる。 聖体奉仕会では9月14、15の両日に像が安置され、法王庁のジョセフ・チェノットゥ駐日大使も参列してミサなどが行われる。国内外から数百人の巡礼者が見込まれるという。 聖体奉仕会の小川恵子会長は「世界中がファティマの聖母ご出現100年を大事にする中、秋田に聖母像が来るのは意義深い。私たちの信仰生活に生かしたい」と話している。カトリック教徒以外も注目している。 秋田県や秋田市は以前から聖母像の“集客力”に期待。地元ホテルの中には、聖体奉仕会までの送迎無料の「巡礼者特別プラン」を設けているところもある。 New!!あのバチカンも認めた!?涙の出る秋田の聖母マリア像の秘密 【The Dave Fromm Show 陰謀コーナー ベスト・セレクション】 http://www.youtube.com/watch?v=JjGPL_hN2fE& ;feature=youtu.be 秋田の聖母マリア像101回の涙は、ファティマの聖母に遭遇したヤシンタ・マルト と絶妙にリンクする。秋田の聖母の修道女に天使からロザリオの各連の最後に ファティマの祈りを唱えるようにと天使からのお告げがあったり、 共に10月13日にマリアが最後の出現をし、大予言を告げたこと。 ヤシンタ・マルトの誕生日1910年3月11日に秋田の聖母マリア101回の涙を 足すと東日本大震災2011年3月11日にピタリと一致することは、 もはや偶然ではなく、秋田の聖母マリア101回の涙の意味は、 東日本大震災の津波や原発事故、それにともなう数多くの死者を 予言していたといえるだろう。 ファティマの聖母 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%9E%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D 聖母からの大きな奇跡があった。 1.1917年10月13日、集まった一万人の群衆は雨に濡れていたが、太陽が狂ったような急降下や回転を繰り返し猛烈な熱で彼らの服は乾いてしまった。 世界各国の天文台で当時こうした太陽の異常行動は確認されておらず、群衆全員が同じ幻覚を見たことになる。 居合わせた新聞記者たちも目撃しポルトガルのあらゆる新聞に大々的に掲載(画像参照)[17]された。群衆を散らすために山岳兵部隊が動員されたが、彼らも奇跡を目撃して直ちに回心した。 ヤシンタ・マルト http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%88 秋田の聖母マリア http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E7%94%B0%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2 また、他に修道女は天使を何度も目撃し、6月29日には天使は彼女にファティマの祈りを教え、ロザリオの各連の後に付けるように、 と指導した。この祈りは、1917年にポルトガルのファティマで3人の少年少女を前に聖母が教えたものだったが、当時は日本ではまだ和訳されておらず、 天使が教えたその祈祷文は、後に和訳されて日本に広まるものと一字一句違わぬものだった。 バチカン大使の証言。 「1人の信者の証言」ファティマ−アムステルダム−秋田 http://subetami.divinemercy.jp/worldwide/w-wprayerday/2016/08/w1998-testimony/ 今はすでに天国においでの秋田のヨハネ伊藤前司教は、生前、書簡によって、教皇様に秋田での出来事を報告し、伊藤司教が司祭職上取るべき措置をヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿の判断に委ねた旨、私に知らせて下さいました。 伊藤司教ご自身にとって、秋田がファティマの続きであることは明白でした。また、ラッツィンガー枢機卿は、この2つのメッセージは本質的に同じものであると、私に個人的に確証なさいました。 伊藤司教は、秋田の出来事はアムステルダムのメッセージが真実であることを証明するものだと考えておいででした。そして彼は「共贖者、仲介者、執りなし手」という称号を確固として擁護なさいました。 仮に、アムステルダムのメッセージが本物でないならば、天は秋田で奇跡を起こさなかったでしょう。なぜなら、秋田の聖母のご像は「すべての民の御母」を模したものだからです。 アムステルダムのメッセージが真実ならば、「すべての民の御母」が「共贖者、仲介者、執りなし手」のドグマを告知するようにとの要求もまた真実であります。なぜ、この真実の告知を抑圧するのでしょうか? 安田貞治神父著の「聖母マリア像の涙」によると、 笹川さんは、昭和44年に聖体奉仕会の外部会員となったと書いてある。 1969年(昭和44年)には、秋田の聖体奉仕会の会員であったと いうことである。 そして1973年1月末頃から耳が聴こえにくくなり、 1973年の3月26日に耳が全く聴こえなくなったと記されている。 JACINTA1972のacita=秋田、JN=日本人と1972年には、 秋田の聖体奉仕会の外部会員であったことから、 JACINTA1972の暗示に当てはまると言えるだろう。 吹き出る血と汗…日本に降臨した聖母マリアの奇跡と予言! そして人類の恐るべき終末とは? ■日本での奇跡の始まり「秋田の聖母マリア」 「秋田の聖母マリア」とは、秋田県にある在俗修道会「聖体奉仕会」において、聖母マリア像が涙を流すなど、さまざまな奇跡が起こった現象のことを指す。 そんな彼女に、1973年6月12日、奇跡の兆候が現れる。シスター笹川は、聖体礼拝のために聖櫃を開けようとしたところす、まぶしい光に打たれ、思わずひれ伏してしまったという。 この様子はファティマで、羊飼いの3人の子どもたちの前に稲光と共に現れた聖母の出現に似ている。その後、シスター笹川の手のひらに十字架の聖痕が現れた。その傷からは血が吹き出し、えぐられるような痛みも感じたそうだ。 ■マリアの催促!? 第3の予言をいつまで経っても公表しないバチカンに対して聖母マリアがしびれを切らして今度は秋田にメッセージを託したのかもしれない。 また、シスター笹川は聖母マリアと思われる美しい女性から、「ファティマの祈り」を教えられている。この祈りは、1917年ファティマにおいて、聖母マリアから3人の子どもたちが教わったものである。 だが、シスター笹川が伝授された1970年代当時は、日本ではまだファティマの祈りが和訳されていなかった。シスター笹川は、ファティマの祈りを知るすべもなかったのである。それにもかかわらず、 「秋田の聖母マリアの祈り」と「ファティマの聖母マリアの祈り」はまったく同じであったのである。 これは、ファティマの聖母が秋田の聖母と同一人物であるという証明のひとつとなるのではないか。 聖母マリアは人類に警告を発し続けている。だが、人類の多くは聖母マリアの奇跡に目を向けず、そのメッセージにも耳を傾けようとはしない。全人類に大いなる罰が下る日は近いだろう。 http://tocana.jp/2016/01/post_8470_entry.html >>137 キリスト教的価値観だけだと、ファティマ第三の預言は読み間違える。 天界というか神界で事が起きる時期と、人界で事が起きる時期はズレるわけだし。 金足農業は、聖体奉仕会の近くみたいだな。 101年目の奇跡は、秋田県勢の甲子園初優勝だったりして。 9月13日になにか起きそうな悪寒 猛暑、水害、地震、噴火、ミサイル、鳥インフル・・・ 火星も大接近してるしな もう何が起きてもおかしくないは >>142 ファティマ「接戦した場合、やっぱり秋田やな」 金足農業の奇跡は、秋田の聖母がもたらしたものである。 インバウンドの聖地 /秋田 毎日新聞2018年6月29日 地方版 「日本人より外国人が続々と訪れている場所がある」と教えられた。それは秋田市北東部の静かな丘の上にある教会。 入り母屋造りの和風建築で、寺か神社に見える。このカトリック修道院「聖体奉仕会」聖堂に、「涙を流す聖母像」が安置されている。 像は1963年、秋田市の彫刻家、若狭三郎氏がカツラの木で制作。台座を含め高さは約1・2メートルで、丸い地球の上に立つ。 十字架を背に、誰でも受け入れるかのように両手を左右に開いている。75年1月4日朝、像の目から液体が流れているのが見つかり、81年9月15日まで101回にわたって「落涙」が記録された。 「涙を流すマリア像」として次第に知られるようになり、今では年間約7000人が訪れる。その3分の2がインドネシアやフィリピン、米国、ポーランドなど世界各国からのインバウンド(訪日外国人)だ。 国内よりも海外での知名度が高く「聖地」となっている。 同会は「訪れた人の心のやすらぎの場になれば」(小川恵子会長)と歓迎しており、今年に入って英訳付きの案内小冊子を作った。私の前で「奇跡」は起こらなかったが、マリア像が放つ厳粛な雰囲気の中で、 心静かなひとときを過ごすことができた。【大槻英二】 https://mainichi.jp/articles/20180629/ddl/k05/070/168000c 101年目の奇跡は、金足農業の準優勝なんてはずない。 今年の秋田の聖母の日には、上空にUFOが飛来する。 そして人類にエイリアンから衝撃の宣告が下される。 ここで俺が暴走した妄想を発表する。 越境入学で移民を全国から吸収し、夏の甲子園を優勝した大阪桐蔭高校は、 言ってみればグローバリズム、NWOの権化である。 それに対して、秋田の金足農業は、地元の中学出身者が集う、 地域共同体の代表の象徴ともいえるだろう。 これに対して神は、甲子園という野球の聖地で一つの審判を下したのである。 1917年のファティマの奇跡から秋田の聖母101回の涙を足した、 2018年の夏の甲子園でグローバル・パワー・エリートの大阪桐蔭と、 保護主義、地域共同体村社会の代表である雑草軍団、金足農業を対戦させ、 第100回、平成最後の年の夏の甲子園で、これから人類の進むべき道を 占ったのである。 その結果は、ご存知の通りグローバル化、NWOが勝った。 人類が平和と繁栄をするためには、グローバル化とNWOの政策を続けることこそ、 上が下した審判であるに違いないのである。 国家レベルで宇宙人の存在を認めているバチカンで、またしてもUFOが出現、大々的に報じられる ro-ma バチカンは、イタリアのローマ市内にある世界最小の主権国家。2008年11月14日に、現ローマ法王・ベネディクト16世が、 「神はアダムとイブと共に、地球外生命体を創造された。」と声明を発表。この声明は、カトリック教会とバチカン市国が地球外生命体の実在を認めた公式文書として記録され、 宇宙人の存在を認める国家としても有名なところなんだ。 そして今年の6月6日午前4時頃(現地時間)、バチカンの上空にUFOが出現。この映像はローマ国内で大々的に報じられたんだ。 UFOを最初に発見したのは、アメリカ大使館の警備員3名で、サン・ピエトロ大聖堂の上空90メートル付近を飛んでいたそうだ。 3つのUFOは三角形のデルタフォーメーションで発光しながら高速で移動していたという。特殊訓練を受けている警備員たちは動体視力にも優れているそうで、 これらの物体は、飛行機や飛行船、流星などではないと断言しているそうだ。 バチカンでは、2005年4月2日の夕刻、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が亡くなった後、バチカン上空にUFOが出現したとしてその写真が公開されて話題となった。 ローマ法王庁は、相当古い段階から、宇宙人に関する情報を知っていたのではないかとも言われているんだ。 今回の目撃情報も、プロの警備員たちが目撃したということで、更に信憑性を増し、 大真面目にニュース報道されたそうで、国家レベルで宇宙人の存在を信じているバチカンの今後に期待したいところなんだ。現ローマ法王自体がもうアレっていう噂もあるわけだしね。 http://karapaia.com/archives/51714299.html ufo roma san pietro https://www.youtube.com/watch?v=TAq0_ZkmJxI マイクロインプラントもステルス兵器もみんな宇宙人から教わった技術だ。 聖母マリアは火星人で決定か!? 当たりすぎて封印された「ファティマの第3予言」、恐怖の内容!! ■ローマ法王フランシスコが火星人を認めた!? 火星といえば昨年、ローマ法王のフランシスコが「火星人にも洗礼する準備をしている」「仮に明日、我々の元に火星人が来て『洗礼を受けたい』と言えば、エイリアンといえども喜んで門戸を開く。 彼らは子どもたちが描くような、緑色の肌と大きな耳を持っている」とラジオで発言したと英紙が伝え、世界中の人々がショックを受けたのは記憶に新しい。 結果的に、この発言は「法王のジョークだ」とする説と、「バチカンが地球外生命体の存在を認めた」とする説とで解釈が分かれた。 そして今「火星を歩く貴婦人」の写真が見つかったことで注目されているのが、100年近くもバチカンに封印されている「ある予言」だ。この予言が、宇宙人や火星人の謎を解くカギなのではないかといわれているのだ――。 ■聖母マリアは火星人!? なぜ、ルチアは聖母から「1960年まで公表を待つように」と言われていたのだろうか? 実は、聖母マリアがファティマに出現した20世紀初頭は、UFOという概念がなかった時代である。1950年代から世界中でUFOが確認されるようになり、1959年には世界初の宇宙探査機が月に着陸した。 つまり、「1960年以降になれば、予言の意味がわかる=1960年以降になれば人類はUFOや宇宙人の存在を理解できる」ということだった可能性があるのだ。 ファティマでの奇跡自体「光り輝く銀白色の空飛ぶ卵型の物体」「白い糸状の物が降り注いできた」など、UFO出現の歴史の中でよく語られるケースと酷似している部分が多い。 そう、つまり「聖母マリアは宇宙人で、UFOに乗って地球にやって来た」可能性があるのだ。しかも、火星人である可能性が......! ■ファティマの「第3予言」の成就とバチカンの告白 今年「フランシスコ法王は2015年6月に、宇宙人の存在を明らかにする予定だった」という噂が流れたのはご存じだろうか? 未だに公表はされていないが、いつまでも公表してくれないバチカンに痺れを切らした火星人の聖母マリアが、 抗議のために人類に対して姿を見せ始めたのだろうか? 「ファティマの第3予言」の内容は、「聖母マリアと火星人襲来だった」という驚くべき形で成就する日は近いかもしれない。 http://tocana.jp/2015/08/post_7128_entry.html UFOが名物!?みさき会館でUFO丼を食べる! 秋田県男鹿市。 なまはげで有名なこの地だが、それ以外でもある”モノ"で有名らしい。 その有名なモノを見に、男鹿半島の先端までやってきた。 みさき会館 (1) そのある”モノ”が有名なのがこちらのみさき会館。 「生うに」「うに丼」の文字が見えるが、有名な”モノ”はうにではない。 近づいてよく看板を見てみると・・・ みさき会館 (2) UFO出現!? しかも下には「みさき会館(店主撮影)」の文字が。 そう、ここはUFOが現れた土地として有名なのだ。 しかし、今更UFOって・・・ 撮影時期も平成15年と割と古い。 みさき会館 (3) とりあえずメチャメチャUFOを推していることが分かる。 UFOラーメン、UFO丼、味覚認物体ってなんだ・・・ http://nippon-sumizumi-kanko.com/b-misaki-kaikan.html 秋田県・男鹿半島で撮影されたUFO/読者投稿 2018年6月4日11時ごろ、秋田県男鹿市の八望台にて入道崎方面を撮りました。 そのときは鳥も飛行機も飛んでおらず、いったいこれはなんだろうと思い投稿しました。 ここの場所はUFOスポットでもあり、もしやと思い送らせていただきました。 よろしくお願いします! 有名な絶景スポットに、違和感のある影が……。実体があるのかないのか、それすら不明瞭ですが、動いてなかったのか、写真だけで確認されたんでしょうか? 印象的な写真です。 http://gakkenmu.jp/contribute/16209/ 秋田は、UFO出没地帯としても有名なんだな。 もしかしたら秋田の聖母マリアは、UFOに乗って秋田の地に舞い降りたのかもしれない。 バチカンの地下にはエイリアンのテクノロジーで構築された図書館がある?【コズミックディスクロージャSeason10,Episode4】 https://www.youtube.com/watch?v=IYS28JMQpLo 秋田の男鹿半島には、よくUFOが出現するらしい。 ファティマの奇跡の太陽の異常現象もUFO説を唱えるものもいる。 ファティマと秋田は、共に北緯39度線上にあり、 秋田に舞い降りた聖母マリアは、UFOに乗ってきたのかもしれない。 安田貞治神父著「聖母像の涙」より抜粋 ”ファチマの聖母出現の出来事は六回あり、十月十三日が最後のものとなったように、 秋田での聖母のお告げも十月十三日をもって終わっている。これは単なる偶然の一致と は思われない。 ファチマでの聖母の予言、いわゆる第三の秘密は、ルチア修道女によって教皇庁に 伝達されたが、その内容は、いまだに公表されていない。 歴代の教皇もコメントを避けておられる。いきおい、恐慌を煽るような憶測が世に流れて、 人々の好奇心を刺激している現状である。 しかし、この秘密は、全く伏せておくにはあまりに人々にとって重大な事柄であるゆえに、 聖母は秋田の御像を通して、それをいくらか緩和された形で発表されたのではないか、 と私は思う” 〜中略〜 ”これが最後と告げられた今回のお言葉のかなめは、人々が会心せぬならば、 やがて怖るべき天罰がくだされる、との警告である。お声がいったんとだえたとき、 姉妹笹川が聖母像を見上げてみると、お顔が悲しげにみえた、という。これは、 この要請に応えて、どれほどの者が祈りと償いの業にはげんでくれることか、 を考えて、その心もとなさを暗に訴えられたのではなかろうか。 聖母は、ファチマでの御出現においても、同様のことを再三強調されたにもかかわらず、 人々は無視してしまったのである。 このたびは日本の秋田の地を選び、ささやかな木彫の像と素朴な一姉妹を 通して、瞠目すべき超自然的現象の認印をもって、この重大な警告をくり返された のである。” 獣のナンバー666=FOX=稲荷・INRI。 秋田の聖母マリアのメッセージで「最後に残された武器は、ロザリオと 御子の残された印」とあるように、御子の残された印とは、私が思うに 「INRI」のことと思われる。 聖体奉仕会には、 INRIと書かれたイエスの十字架の磔像があるらしい。 これも何かの発見の手掛かりになるかも。 http://stat.ameba.jp/user_images/20160928/19/pia-rairu/26/e2/j/o0480064013759791750.jpg?caw=800 INRI INRI は、ラテン語の「IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM」の頭字語であり、 日本語では「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と訳される。これは「キリストの磔刑」において 十字架の上に掲げられた罪状書き(イエスが自らを神の子でありユダヤ人の王であると称し、神を冒涜したとの罪状)であり、 磔刑図と呼ばれる磔刑を描いた絵画や、十字架の上のイエス・キリストを彫った磔刑像(crucifix)という彫刻においては、 イエスの頭の上に「INRI」という頭文字が記された札・銘板(titulus)が描かれるのが普通である。また絵画や彫刻によっては、 INRI の文字が直接十字架に彫られていたり、イエスの頭上にINRI の文字が現れているような場合もある。古代の磔刑では、 処刑場に引かれてゆく罪人の首には罪状を書いた銘板がぶら下げられ、その銘板は磔刑時に十字架上にかけられていた。 http://ja.wikipedia.org/wiki/INRI 秋田のメッセージに、最後の武器は、ロザリオと御子の残した印しとあるように、 御子の残した印しとは、十字架、その上に記されたINRI(ナザレの王イエス)と 思われる。 現代の世に現れた聖母マリアは、INRIすなわち稲荷、稲荷=FOX=666に 従えと諭しているのでは、ないか? 獣のナンバー666、正に獣である狐である。 666、イルミナティーを崇拝すれば世界は、救われると諭しているのかも しれない。 666、NWO計画が人類を破滅から逃れる手段であると秋田でお告げ があったのだ。 ここで俺が暴走した妄想を発表する。 越境入学で移民を全国から吸収し、夏の甲子園を優勝した大阪桐蔭高校は、 言ってみればグローバリズム、NWOの権化である。 それに対して、秋田の金足農業は、地元の中学出身者が集う、 地域共同体の代表の象徴ともいえるだろう。 これに対して神は、甲子園という野球の聖地で一つの審判を下したのである。 1917年のファティマの奇跡から秋田の聖母101回の涙を足した、 2018年の夏の甲子園でグローバル・パワー・エリートの大阪桐蔭と、 保護主義、地域共同体村社会の代表である雑草軍団、金足農業を対戦させ、 第100回、平成最後の年の夏の甲子園で、これから人類の進むべき道を 占ったのである。 その結果は、ご存知の通りグローバル化、NWOが勝った。 人類が平和と繁栄をするためには、グローバル化とNWOの政策を続けることこそ、 神が下した審判であるに違いないのである。 ポルトガルのファティマと日本の秋田が奇跡によって結ばれるとか、 正に時代は、国境を超えて結ばれるグローバルな時代である。 経済は、グローバル化無しには、成り立たないほど世界は緊密に結ばれている。 日本全国どこの都市も同じような景色、店舗が均一に並んでるのも、 グローバル化の流れである。 グローバル化により便利になり、欲しいものは、田舎にいてもネット通販などで 手に入るようになっったが、地域の特産品もナショナルブランドとの差別化で、 プレミアとして有難がれるのではないか? グローバリズム、NWO計画の権化、大阪桐蔭が優勝し、時代はそっちに流れているが、 なまはげ、キリタンポ、稲庭うどんの地域限定特産品の秋田金足農業の人気も凄い のである。 >>166 最後ので時代創作だらけの嘘の世界に流れていると言ってるんだなw どうぞお前らだけで楽しめばいいよw >>167 が言うように、 昨今の時代を反映しているのは、アメリカのトランプ大統領を代表するように、 反グローバリズム、保護主義の台頭である。 正に秋田金足農業高校の準優勝でありながらの熱烈なフィーバーぶりは、 グローバリズムへの反動であり、昨今の時代背景を反映した反グローバル化の 流れの象徴かもしれない。 バチカン大使の証言。 「1人の信者の証言」ファティマ−アムステルダム−秋田 http://subetami.divinemercy.jp/worldwide/w-wprayerday/2016/08/w1998-testimony/ 今はすでに天国においでの秋田のヨハネ伊藤前司教は、生前、書簡によって、教皇様に秋田での出来事を報告し、伊藤司教が司祭職上取るべき措置をヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿の判断に委ねた旨、私に知らせて下さいました。 伊藤司教ご自身にとって、秋田がファティマの続きであることは明白でした。また、ラッツィンガー枢機卿は、この2つのメッセージは本質的に同じものであると、私に個人的に確証なさいました。 伊藤司教は、秋田の出来事はアムステルダムのメッセージが真実であることを証明するものだと考えておいででした。そして彼は「共贖者、仲介者、執りなし手」という称号を確固として擁護なさいました。 仮に、アムステルダムのメッセージが本物でないならば、天は秋田で奇跡を起こさなかったでしょう。なぜなら、秋田の聖母のご像は「すべての民の御母」を模したものだからです。 アムステルダムのメッセージが真実ならば、「すべての民の御母」が「共贖者、仲介者、執りなし手」のドグマを告知するようにとの要求もまた真実であります。なぜ、この真実の告知を抑圧するのでしょうか? 秋田・聖体奉仕会での「聖母と共に過ごす祈りの夜」(2013年10月12日〜13日) 2013年10月12日〜13日に、「信仰年」特別行事として、全世界から選ばれた聖母巡礼地10ヶ所をつなぐロザリオの祈りが行われます。これは、後援・教皇庁新福音化推進評議会、主催・ローマ教区によるものです。 その聖母巡礼地の一つとして、秋田・聖体奉仕会が選ばれたのです。 秋田でメッセージが告げられて40周年の今年、このようなお恵みが与えられたことに、心から感謝を捧げたいと思います。 信仰年にあたって、ローマでは様々な霊的催しが開催されております。この度、ローマ教区より、ローマで開催される行事の一つに新潟教区も参加するようにとの申し出がありましたので、皆様にお知らせいたします。 信仰年の一連の霊的催しの一つとして、来る2013年10月12日と13日は「聖母マリアの日」とされております。このうち、10月12日(土)の夜7時から9時半(ローマ時間)は「聖母マリアとともに過ごす祈りの夜」として、 世界中10ヶ所の聖母マリア巡礼所を衛星中継で結んで、ロザリオの祈りが行われることになりました。主催するローマ教区から、聖体奉仕会の修道院( 秋田の聖母 Our Lady of Akita )も参加するようにとの呼びかけがありましたので、これを承諾致しました。 ヴァチカンが世界十ヵ所の聖母巡礼地を衛星中継で結ぶミサに、 ルルド、ファティマと並んで秋田が選ばれたことは、 事実上秋田の聖母は、ヴァチカン公認の奇跡といっていいだろう。 2千年前の聖書が根拠がないと言ったが、 101年前のファティマの奇跡や45年前の秋田の奇跡が、 現代において聖書を正当化する根拠になる。 俺は、聖書全然読んでないから聖書を拠り所にした辻説法は、できないけど、 聖書が信仰に値する客観的根拠を見出した。 しっかしファティマの予言が日本で起きたというのに、 ちっとも話題になんねーなー。 “The work of the devil will infiltrate the Church…Cardinals opposing cardinals, bishops against bishops.” The Akita Prophecy – Is It Fatima’s Hidden Fourth Secret? https://mysticpost.com/2018/08/so-desolate-that-they-will-envy-the-dead/ The approved apparitions of Our Lady of Akita, Japan and the Third Secret... https://www.tldm.org/news10/akita.htm >>176 翻訳機で訳すると全く反対の意味になったりしてるw >>176 最後の審判はもう既に決まっています。 永遠の天変地異、予想しない事象。 第三の予言は既に公表されてるのにまだ考察とか言ってるのか ブリスベンに建てられた秋田の聖母に捧げられた最初のオーストラリアのチャペル First Australian chapel dedicated to Our Lady of Akita being built in Brisbane http://catholicleader.com.au/news/first-australian-chapel-dedicated-to-our-lady-of-akita-being-built-in-brisbane JACINTA1972、(大警告の日付)について解説。 JACINTA1972は、アメリカの教会内において、 マリア像の前で写真を撮ったところ、 その写った写真にJACINTA1972という文字が写っていたという怪現象である。 その怪現象は、ポラロイドカメラでしか写らず、偽装は不可能である。 これは、ファティマの奇跡の目撃者であるヤシンタ・マルトの警告であると言われている。 海外では、このJACINTA1972の暗号について色々と言われているようである。 JACINTA1972 の年号(大警告の日付)を 解き明かしてみる。 http://www.tldm.org/misc/1972.htm JACINTAをバラバラにしてくっつけると、 JN 【略】=Japanese national日本人、日本国民 acita ciは、英語の古典式でキとも読む、 JACINTAは、秋田の日本人。 JACINTA1972の1972は、 安田貞治神父著の「聖母マリア像の涙」によると、 笹川さんは、昭和44年に聖体奉仕会の外部会員となったと書いてある。 1969年(昭和44年)には、秋田の聖体奉仕会の会員であったということである。 そして1973年1月末頃から耳が聴こえにくくなり、1973年の3月26日に耳が全く聴こえなくなったと記されている。 JACINTA1972のacita=秋田、JN=日本人と1972年には、 秋田の聖体奉仕会の外部会員であったことから、JACINTA1972の暗示に当てはまると言えるだろう。 JACINTA1972のJACINTAには、元々秋田の日本人という意味が含まれていた。 ポルトガルのファティマの聖母の目撃者、ジャシンタ・マルトには、 秋田の日本人を意味する暗示が元々名前に含まれており、 JACINTA1972の翌年、1973年にマリアからの大警告のお告げ があり、最終的には、通算101回の涙を流し、 ジャシンタ・マルトの生誕日1910年3月11日に 101年を足すと2011年3月11日の東日本大震災の日と一致する。 JACINTA1972、このことからも秋田とファティマの関連性が窺え、 JACINTA1972の大警告とは、秋田の聖母マリアのメッセージのことで あったのかもしれない。 ムー12月号のポイントは、 「ファティマと秋田は、ともに北緯39度線上に位置しており、 ふたつの聖母像には並々ならぬ関係がある。 今回の奇跡的ともいえる両者の対面がこの日本で実現したことには、 はたしてどのような意味をもつのだろうか。 われわれは今一度、聖母のメッセージに対して真摯に耳を 傾けるべきではなかろうか。」です。 ヤシンタのご遺体は死後 15年後と 31年後の2回、掘り返されていますが、どちらの場合も「顔だけはまったく腐敗していなかった」ことが記録されています。 1951年(死後31年後)に掘り返された際のヤシンタの様子 http://tok2.up.n.seesaa.net/tok2/image/jacinta-1951.jpg?d=a1 ファティマの予言とは?ファティマの第3・第4の予言と日本との関係について解説! ファティマの第三の予言は日本とどう関わっているのか さて、ここまで見てきますと、ファティマの第三の予言とは多くの日本人にとっては縁もゆかりもないキリスト教(カトリック)の世界での物語のように見えます。 しかし、とても他人事のように考えることができないような出来事が1973年に秋田で発生していました。 場所は秋田市内のある修道院で、安置されている聖母マリア像から血や涙が流れたというものでした。この奇跡はその後1981年に至るまでじつに100回以上見られました。 これだけではファティマの予言と関係ないように見えますが、実はマリア像の奇跡を最初に目撃したシスターの元にファティマに現れたのと同じ聖母マリアが降臨したとされています。 このようなことから第三の予言が日本と何らかの関わりがあると考える人も多いです。 日本でも秋田の修道院にファティマに出現したのと同じ聖母マリアが現れたことや前兆となる出来事があったことから考えると、 日本も第三の予言と何らかの関係を持つ可能性があるといえるでしょう。 2018年現在、世界戦争が起きる可能性は高くありませんが、複雑極まる国際情勢の中では何が起きるかわかりません。 その意味ではファティマの予言をめぐる動向からは今後とも目が離せないでしょう。 https://climbing-shoes.info/hitori/archives/12116 wikipediaのノートとは、どういう意味かよくわからないが、 英語版の秋田の聖母では、ハワード・ディー氏の発言が議論されているようだ。 Our Lady of Akita https://en.wikipedia.org/wiki/Our_Lady_of_Akita ノート 1998年、 ヴァチカン誌の中には、旧フィリピン大使のハワード・ディー大統領が「伊藤はファチマとラッツィンガー枢機卿の延長であったと確信していた」(個人信者の教義を導いたとき) ファチマと秋田の二つのメッセージは本質的に同じであることを私に確認した」 [ 要出典 ] 安田貞治神父著「聖母像の涙」より抜粋 この鑑定書は、聖母像の涙の最も重要な真正な科学的物証として、聖体奉仕会に保管されている。 これがお涙の”事件”の解明に決定的な役割を果たしたのである。 すでにたびたび述べてきたように、聖母像に見られる現象は、公式の検討者たちによって、 すべて姉妹笹川の超能力のはたらきによるものとされていた。本人が見に覚えがないと否定しても、 無意識のうちに行っている、ときめつけられれば、弁明のしようがなかった。 とくに決め手とされたのは、血液型であった。姉妹笹川の血液型はB型である。ところで、 聖母像の右手の傷口の血は、最初の鑑定ではB型であった。両目から流れた涙の鑑定では、AB型となっていた。 しかし、検体にはそれぞれA型B型の付着物があることも、指摘されていた。反対者の筆頭たるエバンジェリスタ師は、 このB型のみを取り上げ、涙もB型と決めつけ、姉妹笹川がみずからの血と涙を”転写”したもの、と断定をくだしたのであった。 それが、こんど不純物の付着のない完全な検体をもっての再検査により、血液型はO型と鑑定された。 B型による超能力説は、成り立たなくなり、根本から打破されたのである。 いま、最初の鑑定書と再度の決定版をつき合せてみると、聖母像の血と涙に三つの異なった血液型のあることがわかる。 どんな超能力的人間が、自分の血液型の他に、他の二つの異なった血液型を創り出すことができようか。 創造とは神のみが行われる業ではないか。 ここにも神の尊いはからいがみとめられる。神はまずB型の血液を創り、AB型の涙の体液をつくり、 最後にO型の体液までつくって、人間の考え出した浅薄な”超能力説”に挑戦されたのである。 再度の正確を期した鑑定という歴然たる科学的物証がなければ、今でも”超能力説”がまかり通り、 すべてを誤解に導き、神の超自然のおんはたらきに素直に頭をたれようとする人々さえも まどわせつづけたことであろう、と考えれば、そら恐ろしくなるのである。 秋田の聖母マリア像101回の涙は、ファティマの聖母に遭遇したヤシンタ・マルト と絶妙にリンクする。秋田の聖母の修道女に天使からロザリオの各連の最後に ファティマの祈りを唱えるようにと天使からのお告げがあったり、 共に10月13日にマリアが最後の出現をし、大予言を告げたこと。 ヤシンタ・マルトの誕生日1910年3月11日に秋田の聖母マリア101回の涙を 足すと東日本大震災2011年3月11日にピタリと一致することは、 もはや偶然ではなく、秋田の聖母マリア101回の涙の意味は、 東日本大震災の津波や原発事故、それにともなう数多くの死者を 予言していたといえるだろう。 ファティマの聖母 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%9E%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D 聖母からの大きな奇跡があった。 1.1917年10月13日、集まった一万人の群衆は雨に濡れていたが、太陽が狂ったような急降下や回転を繰り返し猛烈な熱で彼らの服は乾いてしまった。 世界各国の天文台で当時こうした太陽の異常行動は確認されておらず、群衆全員が同じ幻覚を見たことになる。 居合わせた新聞記者たちも目撃しポルトガルのあらゆる新聞に大々的に掲載(画像参照)[17]された。群衆を散らすために山岳兵部隊が動員されたが、彼らも奇跡を目撃して直ちに回心した。 ヤシンタ・マルト http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%88 秋田の聖母マリア http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E7%94%B0%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2 また、他に修道女は天使を何度も目撃し、6月29日には天使は彼女にファティマの祈りを教え、ロザリオの各連の後に付けるように、 と指導した。この祈りは、1917年にポルトガルのファティマで3人の少年少女を前に聖母が教えたものだったが、当時は日本ではまだ和訳されておらず、 天使が教えたその祈祷文は、後に和訳されて日本に広まるものと一字一句違わぬものだった。 国家レベルで宇宙人の存在を認めているバチカンで、またしてもUFOが出現、大々的に報じられる ro-ma バチカンは、イタリアのローマ市内にある世界最小の主権国家。2008年11月14日に、現ローマ法王・ベネディクト16世が、 「神はアダムとイブと共に、地球外生命体を創造された。」と声明を発表。この声明は、カトリック教会とバチカン市国が地球外生命体の実在を認めた公式文書として記録され、 宇宙人の存在を認める国家としても有名なところなんだ。 そして今年の6月6日午前4時頃(現地時間)、バチカンの上空にUFOが出現。この映像はローマ国内で大々的に報じられたんだ。 UFOを最初に発見したのは、アメリカ大使館の警備員3名で、サン・ピエトロ大聖堂の上空90メートル付近を飛んでいたそうだ。 3つのUFOは三角形のデルタフォーメーションで発光しながら高速で移動していたという。特殊訓練を受けている警備員たちは動体視力にも優れているそうで、 これらの物体は、飛行機や飛行船、流星などではないと断言しているそうだ。 バチカンでは、2005年4月2日の夕刻、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が亡くなった後、バチカン上空にUFOが出現したとしてその写真が公開されて話題となった。 ローマ法王庁は、相当古い段階から、宇宙人に関する情報を知っていたのではないかとも言われているんだ。 今回の目撃情報も、プロの警備員たちが目撃したということで、更に信憑性を増し、 大真面目にニュース報道されたそうで、国家レベルで宇宙人の存在を信じているバチカンの今後に期待したいところなんだ。現ローマ法王自体がもうアレっていう噂もあるわけだしね。 http://karapaia.com/archives/51714299.html ufo roma san pietro https://www.youtube.com/watch?v=TAq0_ZkmJxI 「涙を流すマリア像」英語の冊子用意 近隣温泉は巡礼プラン 2018年1月15日 掲載 「涙を流すマリア像」で知られる秋田市添川のカトリック修道院「聖体奉仕会」は、増加するインバウンド(訪日外国人客)への対応として、 マリア像などを英語と日本語で紹介する小冊子の製作を進めている。また、近隣の温泉宿は巡礼者向けに宿泊プランを用意するなど、受け入れ態勢が進んでいる。 マリア像は高さ約1・2メートル(台座含む)の木像で、同市の彫刻家故若狭三郎さんが1963年に制作。75年から81年までに計101回「涙」を流したことで話題となり、 海外でも知られるようになった。 近年は口コミや旅行会社のツアーを通じ、東南アジアを中心に米国や欧州など海外から毎年4千〜5千人ほどが訪れる。現在製作を進めている小冊子では、 マリア像や修道院について写真も掲載して紹介する予定で、今月中に完成する見込みだ。 http://www.sakigake.jp/news/article/20180115AK0009/ 涙を流す、つまり悲しみを表している。 ただそれが怒りに変わるということも指している。 秋田金足農業のフィーバーぶりも101年目の奇跡によるものかもなあー。 466 名前:愛の天使 2018/08/31(金) 18:43:06.74 ID:snjVAgIg 前から気になっていたファティマの年月日です 1917年 1+9+1+7=18(6+6+6)悪魔の数字です。 1917年に共産主義革命、シオニズム革命、そしてカトリック教会に対して革命ののろしが上がった年なのです。 この三つは絡んでいるの。 615 名前:愛の天使 2018/08/31(金) 23:44:02.75 ID:snjVAgIg ファチマの数字 続編 1917年が666であることは書きました。 まだかいていないのが13です。 ファチマの婦人の霊は毎月13日に啓示を与えたのですが 13は反キリストの数字です。 黙示録13:13に第二の獣が天に大いなるしるしを呼ぶという 予言があります。これでしょう。ファティマは 安田貞治神父著「聖母像の涙」より抜粋 ”ファチマの聖母出現の出来事は六回あり、十月十三日が最後のものとなったように、 秋田での聖母のお告げも十月十三日をもって終わっている。これは単なる偶然の一致と は思われない。 ファチマでの聖母の予言、いわゆる第三の秘密は、ルチア修道女によって教皇庁に 伝達されたが、その内容は、いまだに公表されていない。 歴代の教皇もコメントを避けておられる。いきおい、恐慌を煽るような憶測が世に流れて、 人々の好奇心を刺激している現状である。 しかし、この秘密は、全く伏せておくにはあまりに人々にとって重大な事柄であるゆえに、 聖母は秋田の御像を通して、それをいくらか緩和された形で発表されたのではないか、 と私は思う” 〜中略〜 ”これが最後と告げられた今回のお言葉のかなめは、人々が会心せぬならば、 やがて怖るべき天罰がくだされる、との警告である。お声がいったんとだえたとき、 姉妹笹川が聖母像を見上げてみると、お顔が悲しげにみえた、という。これは、 この要請に応えて、どれほどの者が祈りと償いの業にはげんでくれることか、 を考えて、その心もとなさを暗に訴えられたのではなかろうか。 聖母は、ファチマでの御出現においても、同様のことを再三強調されたにもかかわらず、 人々は無視してしまったのである。 このたびは日本の秋田の地を選び、ささやかな木彫の像と素朴な一姉妹を 通して、瞠目すべき超自然的現象の認印をもって、この重大な警告をくり返された のである。” なるほど 110000000 ↓ 110001000 ↓ 111001000 って時間的に後にならないと 開始されないイベントがあり それを見てみてそれでどうかって オチなんだな やっぱビデオゲームじゃんこの世界 どっかの物理学者も言ってたしw 太平洋戦争開戦の12月8日は聖母マリア無原罪の宿りの日 太平洋戦争終戦の8月15日は聖母マリア被昇天の日 太平洋戦争講和の9月8日は聖母マリア誕生の日 太平洋戦争は聖母マリアと縁があったようだ それでもって日本キリスト教伝来のフランシスコ・ザビエルが、 九州の島に上陸したのが、8月15日の聖母マリア被昇天の日 。 秋田の聖母像のメッセージ: (1)第1のメッセージ:1973年7月6日(初金) 教皇、司教、司祭のためにたくさん祈って下さい。 (2)第2のメッセージ:1973年8月3日(初金) 世の多くの人は、主を悲しませています。私は主を慰める者を望んでおります。 天の御父のお怒りをやわらげるために、罪人や忘恩者に代わって苦しみ、 貧しさをもってこれ償う霊魂を、御子と共に望んでおります。 祈り、苦業、貧しさ、勇気ある犠牲的行為は、御父のお怒りをやわらげることができます。 貧しさを尊び、貧しさの中にあって、多くの人々の忘恩、侮辱の償いのために、改心して、祈って下さい。 (3)第3のメッセージ:1973年10月13日(ファチマ太陽の奇跡の日) 前にも伝えたように、もし人々が悔い改めないなら、御父は全人類の上に 大いなる罰を下そうとしております。 そのとき、大洪水よりも重い、今までにない罰を下されるに違いありません。 火が天から下り、その災いによって、人類の多くが死に、司祭も信者と共に 死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。 その時、私たちに残る武器は、ロザリオと御子の残された印だけです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる