当時はまだサヨク的な空気が今よりずっと強くて
大それた罪をおかす者は(家庭環境なんかのせいで)哀れな存在なのだ
って空気が支配的だった
まともに生きてきた被害者はそれだけで恵まれているのだ、許してやれ譲ってやれみたいなかんじ
被害者家族もそれで疲れきって戦えなくなる

それから10年後の光市母子殺人の裁判でやっと空気が変わってきた気がする
本村さんが「絶対許さない」って態度を貫いたおかげだと思ってる