>>336
日銀には日本でもっとも優秀な人たちが集まっていたはずなのにな(棒)

荒れたら嫌だから書き込もうか書き込ままいか迷ったけどやっぱり書いておこう。長文失礼。

モアナを見て、と被爆による甲状腺癌を国は隠しているっていう現実を踏まえて。
君の名はの大ヒット、集合無意識として反応したというなら、やっぱり三葉が再生する経緯を大幅に省いていたけど
それは臭いものに蓋をする、過程を経るより結果(理想のハッピーエンド)を急ぐ大衆心理にシンクロしているんじゃないかと懸念があります。不都合な現実と向き合う受容する勇気がある人たちが多ければこの映画の筋は変更されていたのでは。
センスや好みはおいて、集合無意識の観点からすると、私は三葉がどうやってよみがえったかがあの映画の本当の肝ではないかと思っています。初見時、最初からずっとキャラの動きを速く細かく描いていたのに
そこが全くなくて肩透かしくらわされたし(それがいいんだと言わんばかりに権力サイドはアカデミー脚本賞を受賞させていたけど)
ナウシカだって再生シーンがやっぱりいちばんおもしろいわけで。モアナは怒り狂うテカアに一人で立ち向かって、テカアをしっかり見る(観察する)ことで空洞を発見してその心を返せた。
そしてあの世界は再生した。
でも三葉たちは彗星という恐ろしいものをしっかり見ていない。どう立ち向かったかが細かい過程がごっそり省略されてしまった。再生のチャンスを瀧からもらったが
(あるいは宮水の血)三葉たちはどう彗星と対峙したか(もっと言えばずっと避けていた父親とのコミュニケーション)、クリエイターがそれをはっきり表現するのを思い切り避けた。映画のラストで二人は東京で再会していたけど、
あの町は集合無意識の世界においてはまだ死んだままなのではと思います。強引にハッピーエンドへ持って行った未完の物語。
シンゴジラも、「放射線の半減期は数日と判明」とキャラクターに言わせてあの世界でもっとも恐ろしいものを『ないもの』にしてしまっていた。フィクションでしかないのに。
クリエイターもあれを一緒に喜んだ観客たちはずっと脅えている、現実の都合の悪いものに。都合の悪いものを見据えたら福島は安全、放射脳は敵という所属している大きな物語が崩壊するから。