それじゃあここで救世主ネタを。聖書から抜粋します。
私の考察も含めますがご容赦下さい。

マルコによる福音書 14章
<12節>除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日、弟子たちがイエスに、「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか」と言った。
<13節>そこで、イエスは次のように言って、二人の弟子を使いに出された。「都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい。」

これはイエスに象徴される魚座の時代の次は水瓶座を意味しています。こういう天文学的記述が新約では多く出てきます。
シンボルである二本の平行な波線♒は水瓶から流れ出る水を表していますが、この波線は「流し流される」「しがらみ」などの「感情的な水」ではなく、
電波や音波などの「何かを伝えるものとしての“波”」を表すという説があります。代表的なものとして、インターネットが挙げられます。

ヨハネによる福音書 2章
<6節>そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。
<7節>イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。

この水瓶の数として記されている「6」という数字には、聖書を学んでおられる方であれば、「6は完全数の7に一つ足りない数」であることに気づくでしょう。
「完全数=7」と考えた場合、「6つの満たされた瓶」+「?」=「完成」と考えてみると、イエスが行なわれた最初の「しるし」に関して、いろいろと考える事が出来るかもしれません。