(29)、田中卓博士は、この船木を宮川上流域の大宮町船木に比定され、
筆者も皇大神宮別官の瀧原宮・瀧原並宮の鎮座地を論ずる(鵠寵轄特懸軍覇)中で、
その可能性を前提に述べたが、
大宮町の船木は、慶長八年 (一六〇三)年成立の『舟木氏系図』には、
貞治二年(一三六三) に、土岐氏の一族である舟木頼尚が三瀬谷より一志郡堀内(晒難哺)へ移った際、
その旧跡を譜代の家人に給し、百姓が入って一邑となったので、舟木村と号したとある。
古代に潤って船木氏との関わりが証明されるのは、現在のところ朝明郡のみである。
(『皇学館大学史料編纂所報 平成 16 年 8 月 10 日』より)