【大峠】日月神示 龍雲氏専用スレ 第一巻
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>>899です。
おはようございます。
一般的には誤解されそうだ。
苦労を苦労とせず生きれる人なのかなという意味です。 なお様は数奇で特異な人生を辿られたのですね。
喜三郎様と出逢ったのは
邂逅ではなく運命だったのでしょうね。 面白かった。
ありがとうございます。
前に大本の話が出たときに霊界物語読もうと思いましたが、あまりの量に戸惑い読まなかったんですけど、読めってことなんだろうな。 俺は霊界物語の巻頭にある「高熊山での修行、幽界・神界の探検、国祖引退の経緯」(霊体主従第1〜12巻のうち大好き1巻部分)と、降ろすにあたりとても力を入れた最終章(天祥地瑞 第73巻〜最終巻のうち第73〜74近辺)のとあるエッセンスがとても役に立った。
あとは王仁三郎先生が霊界物語を降ろした背景を推察したり、降ろしている状況の記事を探して読んで色々とサニワをしたり?
霊界物語
霊体主従 第1巻
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm01
天祥地瑞 第73巻
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm73 あまり言っちゃいけないけど、なお様は神霊体として地上で今もすごく働かれている。
その苦労やふでを読みミタマ磨きをする方への支援の話をしてあげたいけど、さすがに大きなストップがかかる。
本当に優しい、そして、たおやかな方。
金神さま さまさまぢゃ わしのことはええ
と謙遜され前に出ることを控えられるが、世の陰で凄まじい働きをされている。 偉大な先輩方がどれだけの苦労をされバトンをリレーされてきたか、背景を知ることはとても役に立ちます。
天明先生も涙を何度も流されてきました。
もちろん世のために、仕組みのために動く神々様も同様です。
地上のことは人が動かねばことを成せない。
バトンを渡された俺たちがそのバトンを潰すか繋ぐか。 黒住、天理、金光、大本。
団体や宗教にしてしまうと、弾圧が入ったり、教団内での派閥ができおかしくなったり、後が機能しなくなったり。
だから日月は個人に分散させる方式となった。
個人分散にすれば特定行為や一網打尽を避けることが出来、潜水艦のように動くことができる。 団体でのメリット、デメリット、
個人分散でのメリット、デメリット
今の時代は昔と違い3S政策だけでなく、あらゆる形で人々が操作されている。
あらゆる欲と苦にさらされ、人本来の働きに中々目覚めることができない。
繋いできたバトン、灯してきた火が絶える可能性も正直ある。
その時はリセットだろう。 まどひの巻で「ひふみのまどひせよ」と仰ったのは、一人で進むには限界があるからだ。
個人で動きつつ、個を尊重しつつ、有益な情報を共有したり、トレーニングしたり。
黒帯になるためにはスパーリング相手は必要だ。
しかし群れても危ない。 竜音の巻にはサニワのことが書かれている。
しかし、サニワのことをさらに教本にしたら1000ページでも収まらない。
ミタマ磨きのことしかり、神霊的なことしかり。
この地上世界のwikipediaの記事で4000万件以上ある。
宇宙の歴史から神の仕組みまで、フデはたった数百帖しかない。
フデだけではすべてはわからない。
だからフデを入口に奥に入っていかないといけない。
それも不断のミタマ磨きが前提だから、それがないと進めないからさらに大変だ。 >>912
私もリアルで神示の事を話し合える相手がほしい。
磨きが足りないと言われるかもしれないけど、社会生活してると体主霊従に引っ張られる。
でも、社会や世間がないと磨く意味もなくなるという。 刀の刃先が 大気と鉄の“峠”であるように
“魂”を研くのだろうか.... この世に生を受けて肉体を持つうちは
人間として精一杯生きろと仰るのでしょう....
体主霊従
肉体が衰えてくれば自ずと霊が出てくる
霊主体従
死んだら 肉体は地に 魂は天に
アルベキヨウワ 「人は生きるだけ生きたら ただ死ぬだけ」
by 前田慶次郎利益 スレの仕舞いに、
世界の神示(ふで) - 『神との対話』 の金言の一部を。 自分の欠点を許しなさい
恐怖と罪悪感を抱いて生きるのではなく、つねにより大きなヴィジョンに向かって生きる努力を続けなさい わたしはすべての者に、つねに語りかけている。
問題は、誰に語りかけるのではなく、誰が聞こうとするか、だ。 わたしからのメッセージはつねに、あなたに生じる最高の考え、最もくもりのない言葉、最も偉大な感情である。
最高の考えには、必ず喜びがある。
くもりのない言葉には真実が含まれている。
最も偉大な感情、それは愛である。
わたしはあなたがたに、いつまでもメッセージを送りつづける。
あなたがたが本気で耳を傾ければ、わたしからのメッセージが必ず聞こえるはずだ。 自分の最高の考えに耳を傾けなさい。
自分の経験に耳を傾けなさい。
そのどれかが、教師に教えられたことや、本で読んだことと違っていたら、言葉のほうを忘れなさい。 『信念』 - けし粒ほどの信念があれば、山を動かすことができる。 不安はちぢこまり、閉ざし、引きこもり、走り、隠れ、蓄え、傷つけるエネルギーである。
愛は広がり、解放し、送り出し、とどまり、明るみに出し、分けあい、癒すエネルギーである。 わたしは、真実を教え、導き、思い出させるひとたちなしに、あなたがたを放っておきはしない。
しかし、いちばん偉大な教師は外にいる者ではなく、あなたがたの心の声である。
それが、わたしが使う第一の道具だ。
あなたがたの心の声は、わたしのいちばん大きな声だ。
心の声は、すべてについて、あなたがたの言葉で言えば、真実か偽りか、正しいか間違っているか、良いか悪いかを教えてくれる。
あなたがたが、それに従う気になりさえすれば、あなたがたの心の声は、あなたがたの針路を決めるレーダー、船の舵、旅の道案内となる。 あなたがたは自分を発見していくのではなく、自分を新たに創造していく。
だから、あなたがたが自分が何者であるかを知ろうとするのは、もうやめなさい。
そして、そうではなく、あなたがたが何者になりたいかを考え、そうなろうと決意して努力しなさい。
自分が寛大であることを知っていても、寛大さを示す何かをしなければ、それは単なる概念にすぎない。
自分が親切であることを知っていても、誰かに親切にしなければ、それは自意識があるだけだ。
『自己についての偉大な概念を偉大な体験に変えたい』
これが、魂の唯一の望みだ。 あなたの最も大きな試練が、あなたの最も偉大な勝利になる可能性がある 人は、すべての責任を自分が引き受けた時にはじめて力を得て、ほんの一部でも『変える』ことができるようになる。
『自分がこんな目にあう』のは、『わたしの責任だ』と言ったときはじめて、あなたがたはそれを変えられる。 どんなことでも、本来それ自体は苦痛ではない。
苦痛は誤った思考から生まれる。
出来事に対するあなたがたの受けとめ方や考え方が間違っているのだ。 あなたがほんとうは何者であるか、そして何者になりたいかを決めるのは、あなた自身だ。
そして、あなたがどこまで目的を果たせたかを決めるのも、あなた自身だ。
誰ひとり、あなたがたについて、あなたがたを決めつけることはできない。
あなたがたが身体をもっているあいだに、あなたがたが自分らしさを充分に実現すること、真の自分にふさわしい存在になること、これがあなたがたの魂の目的である。 自然ほど優しいものはほかにない。
そして、自然に対する人間の仕打ちほど残酷なものもほかにない。 飢えた人びとに食物を、貧しい人びとに尊厳を与えなさい。
運に恵まれていないひとに機会を与えなさい。
大衆が群れて怒る原因となる偏見に、より良い明日へのささやかな約束によって終止符を打ちなさい。
性的エネルギーに関する無意味なタブーや制約を捨て、人びとがその真のすばらしさを理解するように、適切な方向にエネルギーを向けるように助けてやりなさい。
そうすれば、盗みや強姦がない社会に向かって大きく前進するだろう。 あなたがたは、それぞれ自分を救済する計画を実践するために、この世にやってきた。
救済といっても、悪魔の誘惑から自分を救うという意味ではない。
悪魔などというものはないし、地獄も存在しない。
あなたがたは、真の自分を実現しないという忘却の淵から、自分を救おうとしているのだ。 イエスは憐れみ(あわれみ)深かったから、誰もが天国にこられるように - 自己を救済できるように - と願い、ほかに方法がないなら、イエスを通してひとが天国にこられるように、世界に衝撃を与えることを願ったのだ。 考えることは、現実になる。
これが創造の第一歩である。
感情にはものごとを引き寄せる力がある。
その力によって、あなたがたは、自分が最も不安に思うことを体験することになる。
思考は純粋なエネルギーである。
あなたがたが考えること、考えたこと、これから考えることは、すべて創造につながる。
同じ精神をもった人びとが力をあわせれば、好ましい現実を創り出せるということを、あなたがたはそろそろ理解すべきだ。
そうすれば、『二人でも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもいるからです』というマタイによる福音書の言葉は、ずっと大きな意義をもつようになる。
たとえ個人でも、その考えが - 祈り、希望、願い、夢、不安が - 驚くほど強ければ、奇跡的な結果を生み出す。
イエスはたびたび、これを実践した。 何があなたをこの書物に導いたと思うか?
どうして、あなたがこの書を手にすることになったと思うか?
どうして、あなたがこの言葉を読むことになったと思うか?
わたしが自分のしていることに気づかないとでも思うのか?
宇宙には偶然などというものはない。
わたしは、あなたの心の叫びを聞いた。
あなたの魂の探求を見た。
あなたがどんなに深く真実を求めているかを知っている。
あなたは苦しみのなかで叫び、喜びのなかで叫んだ。
限りなく、わたしを求めた。
わたしに現れてくれ、説明してくれ、真実を明かしてくれと呼びかけた。 なんでも聞きなさい。
何でもいい。
工夫して答えよう。
そのために、わたしは全宇宙を利用しよう。
だから注意していなさい。
決して、この書だけがわたしの唯一の道具ではない。
わたしに質問をしたら、この書物、この言葉を置いてみることだ。
そして、目を凝らしなさい。
耳をすましなさい。
つぎに聞く歌。
つぎに読む記事。
つぎに見る映画。
つぎに出会うひとの言葉。
つぎに聞く川や大洋の波の音、耳に触れるそよ風のささやき。
すべてがわたしの道具だ。
すべての道がわたしに向かって続いている。
あなたが耳を傾けるなら、話してあげる。
あなたが招くなら、そばに行ってあげよう。
そして、いつもそこにいたことを教えてあげよう。
あらゆる方法で。 あなたは、神が姿を現す方法はひとつしかないと思っている。
そういう考え方は、非常に危険だよ。
そう考えていては、あなたはあらゆるところに神を見ることはできない。
あなたがたが、神の現れ方はひとつしかないとか、語り方はひとつしかない、神の在り方はひとつしかないと思っていると、あなたがたは、毎日わたしを見ていても、わたしに気づかないだろう。
神は悲しみのなかにも、笑いのなかにも、苦さ(にがさ)のなかにも、甘さのなかにもいる。
すべての奥に聖なる目的がある - ゆえに、すべてのなかに聖なる存在がある。 すべては生命であり、生命は贈り物だ。
言葉にならない宝物、聖なるもののなかの聖なるものなのだよ。
生命のすべての面に、聖なる目的がある。
どんなものにも、神が理解し、肯定した理由がある。
悪と言うが、それはあなたがたがそう呼ぶだけだ。
だが、その悪だってわたしは愛する。
それは、悪と呼ぶものを通じて、あなたがたは善を知り、神の業(わざ)を行うことができるからだ。
わたしは、寒さも暑さも愛している。
右も左も愛している。
すべては相対的である。
すべては、あるものの一部である。
わたしは『善』を愛しているのと同じように、『悪』を愛している。
このことが理解できれば、あなたがたは神を理解できるだろう。 あなたがたは、あなたがたの価値観をひとつずつ検討しなさい。
ひとつずつ、見なおしなさい。
たとえば、家を解体するのではなく、家のレンガひとつずつ調べ、壊れていて、もう家の構造を支えられなくなっているものはとり替えなさい。
あなたがたが、その思考を変える理由はひとつしかない。
あなたがたが、「そう考えている自分」では幸福ではないときだけだ。
あなたの価値観が自分に役立つなら、大事にしなさい。
「これがわたしの価値観だ」と言い、そして、それをまもるために闘いなさい。
だが、闘うといっても、誰も傷つけないように気をつけなさい。
傷つけることは、癒しにはつながらない。 そう、あなたがたは、自分の価値観に従いなさい。
それが役に立つと思うあいだは。
ただし、その価値観が、役に立っているかどうか、そして、あなたがたに、最も気高く(けだかく)、すぐれた考えを体験する場を与えてくれているかどうか、思考と言葉と行動を通じて、点検しなさい。 あなたがたの三つの要素は、実際には三つのエネルギーである。
それを、思考、言葉、行為、と呼んでもいい。
そして、この三つが合わさって結果が生じる。
あなたがたはそれを、感情とか経験と呼んでいる。
創造のプロセスは思考から始まる。
思考とは、考え、概念、ヴィジョン、だ。
思考が最初の段階。
つぎに言葉がくる。
あなたがたが言うこと(発する言葉)は、すべて、あなたがたの考えたことの表れである。
言葉は創造につながり、創造のエネルギーを宇宙に放出する。
言葉は思考よりダイナミックだ。(より創造的だと言っていい。)
なぜなら、言葉と思考は波動のレベルが異なる。
言葉は思考より大きな衝撃を与えて宇宙をゆるがす。(変化させ、改め、影響を及ぼす。)
言葉が創造の第二段階。
つぎに行為がくる。
"行為" は動いている "言葉" である。 もう求めるのはやめなさい。
新しい世界を呼び出しなさい。
まず、最も気高い(けだかい)、こうありたいと思う自分を考えなさい。
そして、自分が毎日そのとおりに生きたらどうなるかを想像しなさい。
自分が何を考え、何をし、何を言うか、そして、ほかのひとの言動にどう応える(こたえる)かを想像しなさい。
あなたが、そんなふうに想像した姿と、いま自分が考え、行い、言っていることが違うのはわかるだろうか? あなたに、あなたの高いヴィジョンにそぐわない考えが浮かんだら、そのとき、その場で『新しい考え』に変えなさい。
あなたが、あなたの立派な考え方にそぐわないことを言ってしまったら、二度とするまいと心に銘記しなさい。
あなたが、あなたの最善の意図にそぐわないことをしたら、これを最後にしようと決意しなさい。
そして、できれば関係者たちに訂正してまわりなさい。 人間にとっていちばんむずかしいのは、自分の魂の言うことを聞くことだ。(そうできるひとが、どんなに少ないかわかるだろうか。)
発達進化することが魂の目的であることははっきりしている。
発達進化することが唯一、『魂の目的』である。
身体が何を達成するか、精神がどう展開するかはどうでもいい。
魂にとっては無意味だ。 完璧な愛とは色のなかの完璧な白のようなものだ。
多くのひとは白とは色がないことだと考えているが、そうではない。
あらゆる色を含んでいるのが白だ。
白は存在するあらゆる色が合体したものだ。
だから、愛とは感情 - 憎しみ、怒り、情欲、嫉妬、羨望など - がないことではなく、あらゆる感情の総和だ。
あらゆるものの集合、すべてである。
だから、魂が完璧な愛を経験するには、『人間のあらゆる感情』を経験しなければならない。
ひとは、自分が理解できないことに、共感できるだろうか。
ひとは、自分が経験しなかったことについて、他人を許せるだろうか。
そう考えれば、魂の旅がどんなに単純で、しかもすごいものかがわかるだろう。
そこでようやく、あなたがたは、魂が何をめざしているかが理解できるはずだ。
人間の魂の目的は、すべてを経験すること、それによってすべてになりえることだ。
一度も下降したことがなければ、どうして上昇できるだろう?
一度も左になったことがなくて、どうして右になれるだろう?
冷たいということを知らなければ、どうして温かくなれるだろう?
悪を否定していたら、どうして善になれるだろう? あなたがたは善であり、慈悲であり、同情であり、理解だ。
あなたがたは、平和であり、喜びであり、光だ。
あなたがたは、赦しであり、忍耐であり、力であり、勇気であり、苦しい時の援助者であり、悲しいときの慰め手であり、傷ついたときの癒し手であり、迷ったときの教師だ。
あなたがたは、最も深い智恵と真実、最も偉大な平和と愛だ。
あなたがたは、そういう者なのだ。
いままでは、たまに、自分がそういう者だと気づくことがあった。
これからは、いつも、自分はそういう者だと理解していなさい。 人生は創造であって、発見ではない。
あなたがたは、人生に何が用意されているかを発見するために毎日を生きているのではなく、創造するために生きている。
自分ではわかっていないだろうが、あなたがたは、一瞬一瞬、自分の現実を創造している。
わたしはくり返し、そう話してきた。
創造の道具は思考、言葉、行為だ。
すべての創造は思考から始まる。
すべての創造はつぎに言葉になる。
すべての創造は行為によって成就される。
あなたが考えるだけで言葉に出さなくても、ひとつの段階での創造だ。
考えて言葉にすれば、もうひとつの段階での創造になる。
あなたが考え、語り、行動すると、具体的な現実になる。 あなたが創造するすべて、創造したすべてを祝福し、楽しみなさい。
一部でも否定すれば、自分の一部を否定することになる。
あなたの創造の一部として、どんなものが現れようとも、それを自分のものとし、祝福し、感謝しなさい。
そして、非難しないように努めなさい。
(『非難するなんて、とんでもないことだ。』)
非難するのは、自分を非難することだからだ。
自分が創造したなかで、あなたが楽しめず、祝福できないものがあったら、選びなおしなさい。
そして、新しい現実を呼び出しなさい。
新しいことを考え、新しい言葉を口にし、新しいことをしなさい。
立派にやり直せば、世界はあなたについてくるだろう。
『わたしが生命であり、道だ。ついてきなさい』と言いなさい。 自分の考えに ' たが ' をはめ、コントロールすることは、それほどむずかしくはない。
すべては鍛錬の問題だ。
意志の問題だ。
第一段階は、自分の考えを見張ること。
自分は何を考えているのだろうと考える習慣をつけることだ。
否定的なことを考えているのに気づいたら - 高い思想を否定するようなことを考えてたら - 考えなおしなさい!
ふさいだり、落ち込んだりしていると思ったら、そしてそんなことをしていても何もならないと思ったら、考えなおしなさい。
世界はいやなところだ、いやな出来事だらけだと思ったら、考えなおしなさい。
自分を訓練することは可能だ。
(いままでは、逆の訓練をしてきたではないか、そこを考えなさい!) わたしのところへは、精神の旅を通じてではなく、あなたの心の道を通ってきなさい。
精神では、決してわたしは見つからない。
わたしはシンプルな - そして畏怖すべき - 創造者だ。
創造者は支配せず、ただ創造し、創造する - 創造しつづける。
答えはあなたの内側にあるのだよ。 あなたはモーセと同じように真剣な求道者だ。
モーセもいまのあなたのように、わたしの前に立ち、答えを乞うた。
「父なる神よ」
と彼は叫んだ。
「わが神なる神よ、どうかわたしに示したまえ。しるしを与えたまえ、わたしがわが民に語ってやれるように! われわれが選ばれたのだということを、どうすれば知ることができるのか?」
そこで、わたしはモーセの前に聖なる約束をたずさえて現れた。
いま、こうしてあなたの前に現れているように。 抵抗すれば、相手はかえって強くなる。
見つめれば、相手は消える。
精神的な道を歩んでいるひとは、現世的な情熱、人間的な欲望をすべて捨てているように見える。
じつはそうではなく、そのひとたちは、情熱や欲望を理解し、幻想を見きわめ、自分のためにならない情熱を遠ざけているのだ。
しかし、そのいっぽうでは幻想を愛してもいる。
幻想は完全に自由になるチャンスでもあるからだ。 魂は経験によって自分を知るために、何かをしたいと願う。
魂は行為を通じて最高の考えを実現しようとする。
何かをしたいという衝動は、情熱と呼ばれる。
情熱を殺せば、神を殺すことになる。
情熱とは「やあ、こんにちは」と言いたがっている神である。
悟りとは結果を放棄することである。
決して情熱を放棄することでない、
それどころか〈マスター〉は直感的に、情熱こそ神への道であることを知っている。
情熱は自己実現への道である。
現世的な意味でも、まったく情熱をもっていなければ、生きているとは言えないだろう。 抵抗するということは、相手(対象)に生命を付与することだ。
エネルギーに抵抗すれば、エネルギーをそこに発生させることになる。
抵抗すればするほど、相手は実体をもつ。
何に抵抗しても、これは同じことだ。 目を開いて見つめれば、相手は消える。
(目を開いて見つめれば)相手は幻想という実体をさらけ出す。
あなたが何かを見つめれば - ほんとうに見つめれば - あなたは相手を見透かし、それが幻(まぼろし)と見抜くから、そこには究極の現実以外は何も残らない。
究極の現実の前には、小さな幻想など何の力ももたない。
だから、相手は弱くなった手であなたをとらえておくことができなくなる。
そこで、あなたは相手の『真実』を見きわめ(相手の『真実』を知り)、それによって、あなたは自由になる。
抵抗すれば、相手を滅ぼせると考えているなら、考えなおしなさい。
(抵抗すれば)相手はますます力強く居座ってしまう。 自分が何者だと思うか。
そして、何者になりたいと思うか。
これがすべての選択の基準である - これまでも、これからも、あなたがたのすべての人生の選択基準である。 真の悟りとは捨てることではなく、違う選択をすることだ。
真の悟りとは何かから離れる行為ではなく、何かに向かう行為である。 あなたがたは何かから離れることはできない。
相手は地獄までもあなたについてくる。
それならば、どんな誘惑にも抵抗しないことだ。
ただ、そこから顔をそむけなさい。
わたしのほうへ顔を向けなさい。
わたしに似ていないすべてのものから顔をそむけなさい。 咎なくて死す
研がなくて死す
戸がなくて死す
解かなくて死す
説かなくて死す
度がなくて死す
兎が泣くて死す この世には果てはない
ねむることさえもゆるされない
生きようとすれば殺され
死のうとすれば生殺し
答えれば違うといい
正解はない
のぞむものはあらわれず
のぞまなくてもわき出ている
幸せは誰かの不幸せ
とくすれば誰かの損
中間をとれば滑り
端をいけばそこが中
夢幻のごとくなり.... こんな設定で誰が喜ぶのだろう?
いや いじめることが目的なのだろう それは己の責任であると押しつけられ....
さぁ変えろ やれ考えろ こんなとも出来ないのか?
罵られ 見くびられ 貶められ 挙げ句の果てには根性無しと....
それ 楽しいの? すべてを救うのは永久の眠りのみと言わんばかり....
魂を刈り取る死に神こそが救世主と言わんばかり
イワンのばか 太陽も月も生命を産み育んでくれる....
しかし人の魂を救うのはそれではないと.... 皆んな気づいていないフリをして唯のひとりを見守り見放し
気づけばすべて幻という名の現実だった 宇宙の果てと中心が
終わりと初めが
生と死が
すべてわたし “わたしはある”
これはシンプル “ない”ではないということw 書くのも読むのも伝えるのも
探すのも飽きるのも信じないのも
見つけるのも間違えるのも解読するのも
すべて“わたし” 努力するのが嫌いで
人と関わるのが苦手で
恐がりで
臆病で
プチサイコパス
頭が悪く
運動神経ゼロ
口が悪く
不親切で
嘘つき
クソみたいな自分に残された唯一良さそうなもの
不思議を不思議と感じる心 もうわたしにはコレしかないし
最初からソレしかないし
最期までアレなんだろうw 思考する前に、感じる前に、肉体がある前に
すでに私はある
なんて話、どっかで聞いたなぁ〜 原子分子どころか 細菌レベルでも肉眼で確認できない
DNA鑑定とか鑑定してるところをガン見したって
ソレがDNAなのかすら肉眼では確認できない
ガリレオ レオナルド・ダ・ヴィンチ 江崎玲於奈 オレオレ詐欺
田村淳田村亮 堂本光一堂本剛 小室哲哉小室みつ子
16文キック 十六弁菊花
ジャイアント馬場 大蛇
聖アントニオスエノク 123DA
気づいたところで どうということはない.... 太陽 烏 黒ウ 96-3
月 兎 白ウ 46-3
神示 ネ申ネ 19-1 SA サ 11 ごちゃごちゃゆーても感謝はしている(はずw)
まさかとは思うけど 小学生の時 尾骶骨を強打したのってアレ....
いや なんでもないです ホワイトスネイク(AGCT)の能力はッ!!
蛇の目の鏡(◎DISC)として“記憶”と“能力(スタンド)”を取り出す
神父の設定わたしと同い年だったw
仕掛けが超スゴイ
クババ >>919
神との対話、注文しました。
色々教えて頂き助かります。
ありがとうございます。 行方不明だったお子さんの件ですけど、これからの世界を象徴してる気がした。
死んでると想定して捜索した警察(恐怖不安を前提にした考え)
生きてると希望をもって捜索した方(望み安心を前提とした想い)
前者は今の社会や個人の思考の至るところに見られる。
行方不明の報道から、日本人が生きてるという希望の未来を作り出した気がしてならない。 >>990
神との対話は完結後、神との友情、神とひとつになること、新しき啓示、明日の神、神へ帰る、が続編として出ていて、神へ帰るで神さまの公的対話を完結させる宣言が出ています。
神との対話を反復して読んだあと、続編に進むとさらに広い世界が広がります。
神との対話の反復オンリーでもチカラがつきます。
最近海外で神との対話4が出版されましたが、海外でのレビューを見る限り慎重なサニワが必要と感じています。
今は翻訳待ちです。
僕は右手に日月神示、左手に神との対話ですごく勉強になっています。 >>991
発見された方はボランティアで登山道の整備などもされていたのですね。
山の神様に、沢山の神様に愛されている方であり、自分の直感に素直に従える、行動に移せる素晴らしい方だと思いました。 >>993
神示読んでなくてもああゆう人が神にすくい上げられる人なんだなと。
恥じ入る いきなり=͟͟͞͞( “ω” =͟͟͞͞( “ω” =͟͟͞͞)==ニニッ レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。