でも、うちの一族も、薄い眉毛に一重まぶた、その眉と目との距離が離れた彫りの浅いのっぺらぼう顔と、
濃い眉毛に二重まぶた、比較的彫りの深い顔立ち、そして眉と目のあいだが短くて眉のすぐ下に目がある顔立ちの人間とが、見事にかわりばんこに生まれます。
私は後者の顔立ちですが、妹は前者の顔立ちです。
本家も、長男(私のいとこ)は、前者の顔、その妹(やはりいとこ)は後者の顔立ち。
伯父や伯母もすっぱり前者、後者に分かれます。
前者の北方系の顔立ちは、盛岡盆地に累代に渡って暮らしてきた父方の祖母の家の顔立ちです。
これまでもたびたび申し上げてきましたように、
祖母の家はルーツを辿ると相模秦野盆地の波多野氏族河村氏で、頼朝の平泉攻めに従い、その功により盛岡盆地南部の地を賜り、同地を領したのですが、
なにしろあそこは蝦夷の本拠地中の本拠地であったところですので、丹後の海部家同様、その後の長い歴史の過程で北方渡来系の氏族とかなり婚姻を重ねているのではないかと思います。

顔(のつくり)は嘘をつきません(^-^;)