>>842
> 応神天皇の皇子様

といえば、
菟道稚郎子(うぢのわきいらつこ)大王=宇治天皇 ですよね。
大和の首長であった
大雀(おおささき)命=のちの仁徳天皇
とのあいだで繰り広げられた、日本の勢力を二分する大戦争では、
仁徳軍には、大勢のそれまで滅ぼされた新羅人の残党が加わっていたといいますね。

新羅人残党にとっては久米息長帯姫系統(和邇・息長氏による久米大王政権)は憎き仇でもあったことでしょう。


気比大神=天日矛を祀れ

とは、そうした、かつて自分たちが滅ぼした相手への慰霊・鎮魂を怠らないように

という戒めであったのかもしれません。