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【ダーリン】宇宙人の秘密基地【ジョセフィーヌ】
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
0832ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/19(月) 14:46:16.10ID:BAZm7j6H0
オージンス○ノ氏は、クロコダイルを船の暗喩として用いた。
神功皇后が和邇氏一族の女であるとする説が有力なのも、このため。

ちなみに、一志郡を東進していた太陽崇拝氏族を和邇氏とした歴史学者がいるのも、
多気郡の船木氏に取って代わったオージンス○ノ氏と混同したと思われる。
0833ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/19(月) 14:50:03.72ID:BAZm7j6H0
敏達天皇と菟名子が結婚する話は、
竹ごおりの船木氏の女と石ごおりの出口氏との婚姻譚(こんいんたん)。
0834ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/19(月) 14:54:00.45ID:BAZm7j6H0
神功皇后、菟名子の夫は、武内宿禰。
この人は竹取物語の竹取の翁(おきな)。

自らの男根、竹の中に娘を孕(はら)んだ。
竹の内に子(ね)を宿した人。
0835ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/19(月) 15:05:56.58ID:BAZm7j6H0
武内宿禰はまた浦島太郎(本名: みずのえのうらしまこ)でもある。
壬(みずのえ)は妊娠の妊であり、壬子は子を孕(はら)むこと。
この場合、神功皇后のウナ子は当然、乙姫でもあることになる。
ウナ子の兎(卯)は乙(きのと)において最も旺ずる。
0836ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/19(月) 15:14:56.14ID:BAZm7j6H0
住吉大社神代記に、船木氏が神功皇后に船を奉ったとあるのも、
倭姫命世記に、竹田の国佐奈(佐那)県造の祖が倭姫命を船で送ったとあるのも、
船木氏が娘を船で送っただけのこと。
0837ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/19(月) 15:18:43.09ID:BAZm7j6H0
倭姫命世記では、このとき、
(つまり、たけごおり、さなのあがた造の祖が倭姫命を船で送ってくれたとき)、
倭姫命は櫛田川に櫛を落とす。
この櫛はギリシャ文字のクシー、クサイの暗喩。
倭姫命は、このとき、クサイ、すなわちイサクを捨てた。
0840ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/19(月) 15:35:35.07ID:BAZm7j6H0
猿田彦がヒラフ貝にはさまれて溺れたことになっているのは、
天鈿女(あめのうずめ)が愛宕川近くの平生で櫛を捨てたから。
0841ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/19(月) 15:52:24.01ID:BAZm7j6H0
上げ
0842ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/19(月) 16:52:21.78ID:BAZm7j6H0
>>836-837
>佐奈(佐那)県造の祖の弥志呂宿祢命に、
>「汝が国の名は何そ」と問ふと、「こもりく 志多備の国、まくさむ 
>毛佐向国(草向ふ国)」と申上げて、神田・神戸を進った。
>また大若子命に「汝が国の名は何そ」と問ふと、
「百張ももはる蘇我の国、五百枝刺いほえさす竹田の国」と申上げた。
>その処に(倭姫の)御櫛が落ちたので、その地を櫛田と名づけ、櫛田社を定められた。
(出典:『倭姫命世記』飯野の高宮より)

ちなみに、前にも書きましたが、
この佐奈(佐那)県にある佐那神社と、
一志郡美濃田町の敏太神社(みぬた神社、三天王社がある)は、
社紋が同じ左三つ巴。
神功皇后と応神天皇にゆかりの神社に多い紋。
0843ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/19(月) 16:59:22.03ID:BAZm7j6H0
竹取の翁(おきな)と浦島太郎と因幡の白うさぎのワニが同じなんて、
日本昔話は奥が深くて面白いですわね。
0844ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/19(月) 17:31:13.77ID:BAZm7j6H0
四面楚歌で有名な、漢の劉邦と楚の項羽の戦いで、
項羽が詠んだとされる、

力抜山兮気蓋世
時不利兮騅不逝
騅不逝兮可奈何
虞兮虞兮奈若何

この「虞や虞や汝をいかんせん」も、
実は猿田彦が妻の天鈿女に向けて詠んだ歌が元になっている。
0846ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/21(水) 22:24:01.66ID:ZZDFEp8I0
上げ。
0847本当にあった怖い名無し
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2018/11/22(木) 09:23:56.77ID:i7e1CbhC0
彼女「はいおっぱい(ペターン)」
ワイ「ちゅうちゅう」
ワイ「まま…まま…」ちゅうちゅう
彼女「あっ…も、もうおしまいっ!」
ワイ「ちゅぽんっ!」
彼女「はぁー…はぁー…///」
ワイ「まま、ちゅうちゅうして」ぬぎぬぎボロンッ
彼女「へっ?」
ワイ「まま、まま」ぐりぐり
彼女「んっ…んむぅっ!///」
ワイ「ちゅうちゅう、ちゅうちゅう」
彼女「んぐぅ…ぺろっぺろっ、ちゅううっ…」
ワイ「あっ」ぞくっ!
彼女「ちゅうっ…ぺろぺろ…っじゅるるるる!」
ワイ「まま!まま!ままぁーッ!」がくがく!
彼女「じゅっぽ!じゅっぽ!じゅるる!じゅっぽ!じゅっぽ!っちゅううう!」
ワイ「ああーっ♡ああーっ♡」ビュルルルッ!!
彼女「ごく。ごく。ぷはぁ、いっぱいだせたね。えらいえらい」ナデナデ
ワイ「まま…すき…♡」
彼女「ママもすきだよ」チュッ♪
ワイ「んっ♡すき…すきぃ…♡」チュッチュッ

やばすぎ^^
0848ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/22(木) 13:21:13.26ID:cLUyHG+g0
892本当にあった怖い名無し2018/04/09(月) 20:33:54.03ID:C/tgMNeh0
【天日鷲命】-【大麻彦命(天日鷲命)】-【阿波之宇志彦命(天日鷲翔矢命)】
天日鷲命、大麻彦命、阿波之宇志比古命は阿波国を拠点としていた。(天日鷲命三代

まで阿波国・四代からは安房国)
(出典: http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2016/11/05/202627

【阿波之宇志彦命(天日鷲翔矢命)】の「阿波之宇志彦命」は、
丹波比古多々須美知能宇斯王(タニハノヒコタタスミチノウシ王)。
古事記、日本書紀に登場する皇族。
百済人の牛王と同一人物か同族である可能性が高いです。
0849ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/22(木) 13:22:22.39ID:cLUyHG+g0
892本当にあった怖い名無し2018/04/09(月) 20:33:54.03ID:C/tgMNeh0
【天日鷲命】-【大麻彦命(天日鷲命)】-【阿波之宇志彦命(天日鷲翔矢命)】
天日鷲命、大麻彦命、阿波之宇志比古命は阿波国を拠点としていた。
(天日鷲命三代 まで阿波国・四代からは安房国)
(出典: http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2016/11/05/202627

【阿波之宇志彦命(天日鷲翔矢命)】の「阿波之宇志彦命」は、
丹波比古多々須美知能宇斯王(タニハノヒコタタスミチノウシ王)。
古事記、日本書紀に登場する皇族。
百済人の牛王と同一人物か同族である可能性が高いです。
0850ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/22(木) 13:24:25.06ID:cLUyHG+g0
907本当にあった怖い名無し2018/04/12(木) 19:10:41.14ID:fgSc5kvD0
建御名方(諏訪長野)= 伊勢津彦(伊賀三重)= 伊豆速布留(勢州阿射加)

「建御名方命の孫にあたる出速雄命」(>>906)と阿射加の伊豆速布留は同一であると考えます。
この 3 神は、阿波忌部を構成する天日鷲、天日別、そして天村雲(いずれも度会氏の祖神)
を介することにより、 イコールで結ばれるわけですが、
さらに、阿波の天日鷲の系統の中に阿波之宇志彦命(天日鷲翔矢命)が見え、
これが丹波の丹波比古多々須美知能宇斯王と同一であることから((>>892)、
宇志(牛)氏を介した阿波と北京都とのつながりも検討課題となっています。
0851ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/22(木) 13:41:26.95ID:cLUyHG+g0
>>848-850
> 【阿波之宇志彦命(天日鷲翔矢命)】の「阿波之宇志彦命」は、
> 丹波比古多々須美知能宇斯王(タニハノヒコタタスミチノウシ王)。
> 百済人の牛王と同一人物か同族である可能性が高いです。

丹波比古多々須美知能宇斯王(タニハノヒコタタスミチノウシ王)は、
父、日子坐王と、母、息長水依比売(オキナガノミズヨリヒメノ命)の間に生まれた子。

日子坐王(ひこますおう)は、
開化天皇と和珥臣(和珥氏)遠祖の女(むすめ)との間に生まれた子で、
墓は、宮内庁により岐阜県岐阜市岩田西にある日子坐命墓(ひこいますのみことのはか、位置)に治定されている。
(Wiki より)
0853ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/22(木) 13:56:33.64ID:cLUyHG+g0
初めは、親の治めてた佐那の地にちなんで、
サナ子いう名前どしたんどすけど、
途中で舟木のフナ子になって、
それでは魚の鮒みたいやいうことで、
神八井耳のお耳(33)が長〜いから、ウサ子→ウナ子になりましたんどす。

和邇氏の娘みたいに言われてますけど、
ほんまの旧姓は舟木どす。舟木ウサ子。
0854ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/22(木) 14:02:00.45ID:cLUyHG+g0
>>851
息長水依比売(オキナガノミズヨリヒメ)いうんは、
うちのことどす。
息子の丹波比古多々須美知能宇斯王(タニハノヒコタタスミチノウシ王)は、
いわゆる応神天皇(王仁)どす。

伊勢神宮の外宮、度会大国玉比賣神社に、
弥豆佐佐良比賣命(みずささらひめ)として祀られてるんは、うちどす。
おきながみずよりひめ = みずささらひめ、いうことどすえ。
0855ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/22(木) 14:08:50.56ID:cLUyHG+g0
>>851
>丹波比古多々須美知能宇斯王(タニハノヒコタタスミチノウシ王)は、
>父、日子坐王と、母、息長水依比売(オキナガノミズヨリヒメノ命)の間に生まれた子。

息子の父親、日子坐王は、
うちと一緒に度会大国玉比賣神社に祀られている大国玉命のことどす。
岐阜の人と入れ替わってますけど、伊勢の人どす。
0856ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/22(木) 14:18:31.37ID:cLUyHG+g0
日子坐王いうんは、
一志ごおりの猿田彦さんのことどす。

美知能宇斯王(ミチノウシ王)のミチは、
道はやふる、の道にかけてますんどす。
ウシはもちろん、牛氏から来てます。
0857ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/22(木) 14:24:51.94ID:cLUyHG+g0
猿田彦さんは、
本来は日(火)の神どすさかい、
いつはやふる(厳はやふる)が本名どすけど、
道づくりが趣味で、水陸両方の道を造成するさかい、
地はやふる、水はやふる、と、
うちと一心同体の名を名乗ってますんどす。
0858ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/22(木) 14:29:37.94ID:cLUyHG+g0
大昔は、道は主に水路を使うてましたさかい、
船は重要な輸送手段どしたんどす。
0859ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/22(木) 14:45:58.46ID:cLUyHG+g0
同じく和邇氏の女(むすめ)で、
宇那比姫(うなひひめ)いうのも、うちのことどす。
卑弥呼モード、つまり日置氏のうちのことどす。
0860ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/22(木) 15:15:34.42ID:cLUyHG+g0
伊勢神宮の斎宮ておますでしょ。
今の三重県多気郡明和町にあるあの斎宮の場所は、
地図をごらんいただくとわかりますけど、
一志ごおりの△△城と、多気ごおりの佐那や相可(おうか)のちょうど中間地点にありますんどす。
0861ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/22(木) 15:19:07.63ID:cLUyHG+g0
あれが卑弥呼の邪馬台国どす。
多気ごおりの舟木氏と、
一志ごおりの出口氏の都を、今の斎宮のある場所に造営するプランがおましたんどす。

日置とは、舟木と出口の共同モードみたいなもんどす。
0862ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/22(木) 15:23:40.52ID:cLUyHG+g0
道て「とう」とも読みますやろ。
あれは、ヘブライ文字のタウに由来してますのえ。
道は十文字に交わるさかい、タウからトウになりましたんどす。
せやさかい、道路の造成は、タウの象徴するダン族の仕事になってますんどす。
0863ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/22(木) 15:25:10.08ID:cLUyHG+g0
ヘブライ文字 22 番目のタウは、1 番目のアレフとも互換やさかい、
みちはやふるは、いちはやふる、とも言うんどす。
0864ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/24(土) 15:18:48.59ID:l6k/gtan0
>>860-861
つまり、
多気郡明和町の斎宮と△△城、
それに舟木氏の拠点があったと思われる多気ごおりの相可から佐那のあたり。
この 3 点を結ぶと、大体正三角形に近い三角形ができるんどす。
0865ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/24(土) 15:31:31.11ID:l6k/gtan0
斎宮は広おますさかい、
Google 地図に「古里公園」とある「園」の字を一応の斎宮の地点にして距離を測ってみると、
斎宮(三重県多気郡明和町) 〜 △△城 10.05 km
△△城 〜 相鹿上神社(三重県多気町相可) 10.10 q
佐那駅 〜 斎宮古里公園 9.81 q

舟木氏が拠点にしていたと思われる相可から佐那のあたりというのも、
斎宮と同じかそれ以上にあいまいな言い方で、
実際は広い範囲にまたがっているので、
正確には測れませんけど。
0866ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/24(土) 15:35:30.67ID:l6k/gtan0
それでも、さっくり言うて、
一志ごおりの△△城
多気ごおりの相鹿上神社、佐那神社
斎宮
この 3 つの地点は一辺がほぼ 10 q、
三辺の和が大体 30 〜 33 q になる、
正三角形に近い形を形成しとるんどす。
0867本当にあった怖い名無し
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2018/11/24(土) 17:03:20.85ID:PPcHcDCk0
>>151

和邇氏は水軍担当の軍事氏族という説もあるぞ。
0868ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/24(土) 17:15:35.02ID:l6k/gtan0
>>867
和邇氏 = 王仁氏 = オージンス○ノ氏(物部氏) = 牛(宇志)氏 = ウ○トコ氏 = 牛の土蜘蛛 = 牛鬼 ≒ 九鬼

九鬼水郡を率いた九鬼氏も、遡れば物部ス○ノ氏(王仁氏)に繋がるからではないでしょうか。
これらは日本海側京都の丹波比古多々須美知能宇斯王(タニハノヒコタタスミチノウシ王)や阿波の天日鷲の系統ともつながります。
0869ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/24(土) 17:18:08.70ID:l6k/gtan0
和邇氏は物部氏を構成する氏族なのですから、
軍事的色彩が強いのは当然だし、
そもそも舟木氏を上書きしているのだから、
水軍担当ということになるでしょう。
0870ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/24(土) 17:31:10.14ID:l6k/gtan0
天理市にある石上神宮の近くを流れる布留川、
この付近を拠点にしていたのが和邇氏でしょう。
そして、石上神宮の周囲にはス○ノ姓と出口姓が多い。
伊勢一志ごおりのフル川水神と布留川との関係も謎。
0872ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/26(月) 22:12:57.69ID:i3/G/KK40
保守上げ
0873ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/29(木) 16:01:56.64ID:jM1DFkXy0
土岐 頼尚(とき よりなお)とは、
陽成源氏(摂津源氏)流土岐氏(美濃源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。

舟木頼尚 : 舟木頼重(頼直/頼真)の曾孫、頼春(頼玄/頼員)の孫、
頼夏の子、政尚の父、政頼の祖父、光俊の曾

祖父。戦国時代の南光坊天海(秀光/随風)[1]は、その後裔である。

明智頼尚 : 明智頼重(頼助)[2]の8世の孫、
頼篤の7世の孫、国篤の6世の孫、頼秋の玄孫、頼秀の曾孫、
頼弘の孫、頼定の子、頼典(よりなお、光継)・頼明の父。
(出典: http://ja.japan.wikia.com/wiki/
0874ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/29(木) 16:03:48.15ID:jM1DFkXy0
尊卑分脈によると
頼光七世孫土岐五郎光行---頼貞(隠岐孫二郎、土岐惣領)、
弟頼重(号船木、隠岐孫三郎、右衛門蔵人、從五位下、右近将監、母定親に同じ)
(出典: http://rekishkakeizu.seesaa.net/article/373162096.html

土岐光行の子、土岐頼貞の弟であった頼重が「船木」を号すとある。
但し、この文書の原典と思われる塙保己一編『続群書類従 5下(系図部)』には、
「渡會郡山田住人書之(中略)以其素右系?因左馬介光春嫡男正光之命。」と書かれている。
0875ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/29(木) 16:08:31.99ID:jM1DFkXy0
この明智系図(http://blog.sasakitoru.com/201312/article_1.html
美濃土岐氏系図の研究(1)―土岐頼貞の系譜というブログより)
に見える土岐頼貞は、
>874 の船木系図にある頼貞(隠岐孫二郎、土岐惣領)と同一人物でしょう。

Wikipedia には、
土岐頼貞(1271 〜 1339 年)、兄弟に舟木頼重とあります。
つまり、土岐頼貞の弟、土岐頼重イコール船木頼重ということ。
0876ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/29(木) 16:10:01.57ID:jM1DFkXy0
しかるに、明智系図に登場する
>伯耆九郎頼基・十郎頼兼・弥十郎頼明らは頼貞の正妻北条氏の子であり、
>東美濃の明智長山城の明智を名乗った。

土岐頼貞の息子たちが、東美濃の明智長山城の明智ということは、
頼貞の弟である船木頼重(船木の祖)と、明智長山城の明智とは叔父甥の関係であり、
船木頼重にとって、東美濃の明智は本家にあたるということです。
0877ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/29(木) 16:15:55.54ID:jM1DFkXy0
船木頼重と同じ「頼重」という名を持つ人物は明智氏にもいます。

明智頼重(1342 〜 1423 年)
明智 頼重(あけち よりしげ)は、南北朝時代から室町時代の武将。
美濃国可児郡明智城主。
美濃守護土岐頼貞の九男長山頼基の子。土岐氏支流の明智氏の祖、あるいは二代目とされる。
(Wiki より)
0878ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/29(木) 16:17:39.60ID:jM1DFkXy0
明智系図(>>875)にある明智頼基の子、ということは、
土岐頼貞の弟である船木頼重にとって、明智頼重は甥の子どもにあたる。

本能寺の変を起こした明智光秀の祖である明智頼重にとって、
船木頼重は大叔父にあたるということになります。
甥の明智頼重(別名明智彦九郎)が、明智光秀の直接の祖になるようです。
0879ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/29(木) 16:19:50.80ID:jM1DFkXy0
>頼清・頼遠は活躍し父頼貞は美濃守護に補任された。
土岐頼貞は、子らの活躍により、美濃守護に任じられた。
0880ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/29(木) 16:20:35.59ID:jM1DFkXy0
旧高松城跡
境内はかつて高松城(別名:喜岡城、以下同上)の本丸であった。
喜岡城は1335年(建武2年)に建武の新政で功をあげて讃岐守護となった舟木頼重(後に地名をとって高松頼重と

名乗る)が築城するも、同年11月26日に足利尊氏の臣下、細川定禅らの軍勢によって落城する。しかし、頼重は生

き延び、子孫の高松頼邑によって城は再建。(Wiki「喜岡寺」の項より)

美濃国初代守護、土岐頼貞の弟にあたる舟木頼重が、
讃岐守護となった高松頼重であるということです。
0881ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/29(木) 16:21:53.02ID:jM1DFkXy0
>元弘元年(1331)に始まる元弘の変で鎌倉幕府が滅亡すると、
頼兼の兄伯耆九郎頼基の子頼重(高松三郎頼重)が建武新政のもと讃岐守護になった。<

頼基の子の、頼重は、明智頼重ですので、これは間違いかと思われます。
明智頼重は美濃可児郡明智城主です。
0882ジョセフィーヌ@宣伝上げ
垢版 |
2018/11/29(木) 16:25:03.89ID:jM1DFkXy0
明智頼重
美濃守護土岐頼貞の九男長山頼基の子。美濃国可児郡明智城主。
(Wiki より)

>頼基の子頼重(高松三郎頼重)が建武新政のもと讃岐守護になった。

この 2 人は同じ明智頼重を指していますが、おかしいです。
0883ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/29(木) 16:29:12.14ID:jM1DFkXy0
>>882 は、
土岐頼貞の弟である土岐頼重(船木頼重)と、
土岐頼貞の息子の子(つまり孫)である土岐頼重(明智頼重)を混同しています。
0884ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/29(木) 16:35:46.16ID:jM1DFkXy0
>>874 の舟木氏系図では、
この讃岐守護となった船木頼重の子が頼春、頼春の弟頼重の子がまた頼春で、
その子が頼夏となっている。

この頼夏が、美濃から伊勢へやって来た船木氏の初代(と思われる)船木頼尚の父親です。
>正平 8 年舟木頼夏(土岐一族)は子の頼尚を官軍につけさせた。頼尚は子とともに伊勢に入った。
http://www.amigo2.ne.jp/~fuchisai/home/denki.htm)
0885ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/29(木) 16:37:25.06ID:jM1DFkXy0
正平 8 年は西暦 1353 年です。
建武 2 年(1335 年)に讃岐香川で高松城を築くも同年落城の憂き目にあった船木頼重。
その孫かひ孫にあたる頼夏の子、頼尚が、
高松城落城から 20 年も経たないうちに伊勢へやって来ている。

しかし、伊勢一志郡における舟木氏の系統というのはすべて、
この頼夏の子、頼尚、その子正尚を起点にして展開していると言っても過言ではありません。
舟木正尚の二男、正頼の子光俊、光俊の二男光頼の孫光春、その弟中村光長が△△城の城主とされています。
0886ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/29(木) 16:42:22.50ID:jM1DFkXy0
つまり、△△城の城主であった中村、舟木氏は、
元をただせば、美濃の明智氏だったということです。
0887ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/29(木) 16:44:28.22ID:jM1DFkXy0
伊勢舟木家の系図に含まれる乙部氏については、
次にあるように、
「一 正ョ之 嫡男 孫 五 カ康正 者。 爲乙部 家 之 養子」
乙部氏と養子縁組したことになっているのでしょう。
乙部氏は美濃清和源氏の一族に含まれています。

ただし、遅くとも 1185 年には成立したとされる
「平安遺文古文書編東南院文書」東大寺文書にすでに、
一志郡堀内の舟木と乙部の中村氏が記載されていることは前述しました。
0888ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/29(木) 16:47:26.52ID:jM1DFkXy0
この東大寺文書について検討します。
【※『船木弟虫』;伊勢ノ船来直(船木直。船木−伊勢国朝明郡舟木明神祠官。西脇−同郡耳利神社祠官)、
船木臣、船木宿祢(舟木、堀内−伊勢国一志郡人。乙部、中村−伊勢人)】

伊勢ノ船来直(船木直。船木−伊勢国朝明郡舟木明神祠官
この船木氏は朝明郡(現在の三重県四日市市)にある船木明神の神官です。
朝明郡の一部はのちに分割されて伊勢国員弁郡となった。
員弁はおそらく忌部(物部)氏と関係している地名と考えます。
0889ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/29(木) 16:50:11.21ID:jM1DFkXy0
www.geocities.jp/engisiki/ise/bun/is081112-01.html
耳常神社
伊勢国 朝明郡鎮座 (合祀)耳利神社
三重県四日市市下之宮町319
【祭神】 神八井耳命 (配祀)建御雷之男神 斎主神 天児屋根命 姫神 神沼河耳尊 大山祇命

この耳常神社が「舟木明神祠官」の舟木明神です。
祭神は、相鹿上神社(三重県多気郡相可)と同じ天児屋根命。
中臣氏の祖神です。
天児屋根命 ≒ 中臣大鹿島 = 建御雷之男(鹿島神宮)

ちなみに、相鹿上神社の神紋は雀口桜で、
鹿島神宮の近くに特高隊飛行場があり、
その特高兵器が「桜花(おうか)」と呼ばれたことと無関係ではないと思います。
0890ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/29(木) 16:56:15.62ID:jM1DFkXy0
http://www.geocities.jp/engisiki/ise/bun/is081111-01.html
耳利神社 菟上耳利神社に合祀
三重県四日市市伊坂町1388
【祭神】応神天皇 菟上王または菟道稚郎子

これが「西脇−同郡耳利神社祠官」の耳利神社。
おそらく朝明郡の船木氏と同族の西脇氏が神官を務めていたのでしょう。
菟道稚郎子(うじのいらつこ)は宇治の地名の元になった皇族です。
これについては、機会を改めて書きます。
0891ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/29(木) 16:59:18.73ID:jM1DFkXy0
船木宿祢(舟木、堀内−伊勢国一志郡人。乙部、中村−伊勢人)】

一志郡の舟木氏に関係しているのはこの部分です。
一般に舟木家系図とされているものがかなりデタラメであることを裏付けるのが、
東大寺文書のこの記載なわけですが、一志郡堀内の舟木氏についても、
同じ文書の同じ欄に、朝明郡(現四日市市)の船木氏と一緒に記載されているという事実は見逃すべきではないと考えます。
つまり、一志郡堀内の舟木氏も、多気郡大鹿の中臣氏に通じる系統である可能性を軽率に捨て去ってしまうことはできない。
論証の公平さを欠くことになるからです。
0892ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/29(木) 17:01:37.40ID:jM1DFkXy0
明智系図の原本になっていると思われる系図をお持ちなのは、
岐阜の出口さんという方なのです。
東京大学史料編纂所のデータベースで公開されている文書ですが、
下の名前だけは一応伏せておきます。

東京大学史料編纂所
【書名】 明智氏一族宮城家相伝系図書
明智氏一族宮城家相伝系図書 出口欽三 岐阜県揖斐郡揖斐町
【原蔵者】 出口○△(岐阜県揖斐郡揖斐町)
【注記】 原題:清和源姓美濃国住土岐家随一之連枝
明智氏一族宮城家相伝系図書
0893ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/29(木) 17:03:35.13ID:jM1DFkXy0
岐阜県揖斐郡は、揖斐川のあるところです。
揖斐川は出雲の斐川と関係がないわけがない。

岐阜県揖斐郡揖斐川町
島根県出雲市斐川町

旧伊勢街道沿いにあるフル川水神も、
この出雲の斐川がオリジナルであるとの推論を前提にしています。
0895ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/29(木) 17:08:21.94ID:jM1DFkXy0
この出口さんは、明智氏一族宮城家の縁者の方なのかな。

ちなみにですが、この系図の最後の部分は、
宮城家の子孫の方が「故あって恵那郡へ移住する」との記述で終わっている。

土岐明智氏の系図を、岐阜の出口氏が持っているということは、
一志郡の出口氏も、
美濃の明智舟木氏について伊勢へやって来た可能性が濃厚になることを意味しますよね。
0896ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/29(木) 17:15:55.19ID:jM1DFkXy0
が、しかし、
それでは辻褄の合わないことが多すぎる。

誰かが嘘をついているのです。
0897(0_0)
垢版 |
2018/11/29(木) 18:21:55.16ID:mobHDLDl0
そな話はどうでもいいかは
福岡の部落の荒瀬一味の話をしろよ
0898(0_0)
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2018/11/29(木) 18:24:11.86ID:mobHDLDl0
秀吉時代に朝鮮から連れてこられた 
部落の荒瀬一味は何処の末裔になるんだ?
0899(0_0)
垢版 |
2018/11/29(木) 18:33:24.05ID:mobHDLDl0
朝鮮奴婢福岡部落荒瀬一味
地獄の工藤会の末裔
0900(0_0)
垢版 |
2018/11/29(木) 18:39:58.79ID:mobHDLDl0
教科書に載ってない
荒瀬一味の
部落伝記を話せよ
0901(0_0)
垢版 |
2018/11/29(木) 18:41:46.37ID:mobHDLDl0
大河ドラマでも
朝鮮部落荒瀬!
やってほしい
0902(0_0)
垢版 |
2018/11/29(木) 18:53:35.40ID:mobHDLDl0
日本は天皇家の話ししかしないから
底辺の部落どもは何もしらないんだよ
そして、自分達も日本の天皇家の末裔だとか
勘違いする始末
0903(0_0)
垢版 |
2018/11/29(木) 19:05:06.42ID:mobHDLDl0
もう、わかりきった天皇家の話は意味がない
部落の謎の解明こそ意味がある
0904ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/29(木) 19:08:32.46ID:jM1DFkXy0
わかりきってませんわよ。
伊勢一志郡△△城の舟木氏が美濃の明智氏だなんて、
知られてませんでしょう。
0905ジョセフィーヌ@宣伝上げ
垢版 |
2018/11/29(木) 19:19:42.38ID:jM1DFkXy0
三重県四日市市にも霞ヶ浦という地名がありますのね。
桜花(おうか)という名の特攻兵器を使った予科練訓練場は、
茨城県の霞ヶ浦にありましたのよ。
0906ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/11/29(木) 19:30:11.80ID:jM1DFkXy0
>>889
日本人はもっと色々ちゃんと調べて知るべきだと思うわ。
0907(0_0)
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2018/11/29(木) 23:41:01.80ID:FfMPGTKs0
そんな事、誰が興味があるんだ?
ほとんどの日本人は自分の先祖の流れもしらないのに
0908(0_0)
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2018/11/29(木) 23:52:51.22ID:FfMPGTKs0
苗字で先祖を辿ると
背後にいる先祖は朝鮮部落なのに
ほとんど天皇家に辿り着くんだよ
あり得ないだろう
0909(0_0)
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2018/11/30(金) 00:14:10.41ID:EgrdF1Fx0
部落地域の農民の出の苗字は
ほとんど天皇家と関係ない
出所でわかるけどね
今の天皇家も部落から嫁をもらってるんだよ
0910(0_0)
垢版 |
2018/11/30(金) 00:25:22.57ID:EgrdF1Fx0
言い伝えとか残ってる地域は
ちゃんと侍の先祖が守ってるけど
ほとんどの農民の苗字は天皇家と関係ない
朝鮮から連れてこられた
部落地域が日本での本拠地なんだよ
だから地獄のふ暴力団もうじゃうじゃしている、
0911本当にあった怖い名無し
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2018/11/30(金) 00:27:12.31ID:EgrdF1Fx0
言い伝えとか残ってる地域は
ちゃんと侍の先祖が守ってるけど
ほとんどの農民の出の苗字は天皇家と関係ない
朝鮮から連れてこられた
部落地域が日本での本拠地なんだよ
だから地獄の部落の先祖の朝鮮暴力団がうじゃうじゃしているんだよ
0912(0_0)
垢版 |
2018/11/30(金) 00:46:08.37ID:EgrdF1Fx0
部落の荒瀬一味は今度は裏をかく作戦みたい
中学生に恋しているロリコン荒瀬め
しまいには薩摩の龍神様から殺されるよ
わしの天皇家は天皇家の龍神様にとっては
大事な御所なんだよ
0913(0_0)
垢版 |
2018/11/30(金) 01:03:25.90ID:EgrdF1Fx0
荒瀬一味は福岡のただの朝鮮部落
わしの御所は薩摩の大将の島津家の御所なんだよ
部落はヤクザだけど
島津家は天皇家の龍神様なんだよ
さっさと出ていけ
0914ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/12/01(土) 13:55:05.37ID:+wHzzMkp0
まぁ、神社なんてそれ自体、全部同じ人たちが建てたものですから。

全国津々浦々にある神社はどれも、
同じ(サイドの)人たちが同じようなコンセプトに基づいて建てたものでしょう。

伊勢神宮も出雲大社も石上神宮も、
神社、という点では変わらないのですから。
0915ジョセフィーヌ@宣伝上げ
垢版 |
2018/12/01(土) 13:57:15.03ID:+wHzzMkp0
当然、そこに祀られている祭神もそう。全部、現支配者側のものです。

わたしが話の起点にしている
一志ごおり阿射加神社の猿田彦や、多気ごおり佐那神社の天手力男にしたところが、
現天皇家側のマトリックスの中のものなわけです。
0916ジョセフィーヌ@宣伝上げ
垢版 |
2018/12/01(土) 13:58:58.17ID:+wHzzMkp0
記紀に書かれている人物や事物について、
現今のマトリックスを否定する目的で、
現今のマトリックス中にある史料を使って論証をしても、本当の意味では無意味です。

記紀だけでなく現存のあらゆる古文書について、
一般的な意味での信頼性、信憑性を問うというよりも、
現今のマトリックスを否定する目的で、現今のマトリックス内にあるデータを使うというのが、
そもそもこちらの矛盾なのです。
0917ジョセフィーヌ@宣伝上げ
垢版 |
2018/12/01(土) 14:04:54.08ID:+wHzzMkp0
記紀に書かれている猿田彦や天鈿女命、神功皇后について、
記紀の記述に基づいて新たな事実を見出そうとするのは無意味です。

下位のマトリックスの中で上位のマトリックス(メタマトリックス)を実証することは、
基本的には不可能だからです。

不可能というより、メタマトリックスにとってこの下位のマトリックスは意味がないのです。
幻想みたいなものだから。
0918ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/12/01(土) 14:18:02.75ID:+wHzzMkp0
ただし、幻想とはいえ、
人間にとっての現今のマトリックスと
上位のマトリックスであるメタマトリックスは同じ素材やものを使っている。

夢の中で、見る世界や肉体は、起きているときに見ている世界や肉体の写しですよね。
人や物の形や姿は夢の中と違うものではありませんよね。
0919ジョセフィーヌ@宣伝上げ
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2018/12/01(土) 14:20:13.57ID:+wHzzMkp0
ですので、こうした論証により今まで隠されていたものを見つけ出そうとする作業も、
たとえ現今のマトリックス内のものではあっても、まったく無意味かと言えばそうでもないと考えます。

記紀を精読しているわけではありませんが、
そこに書かれていることは全部が全部虚偽というわけでもなくて、
うっかり本当のことを書いてしまった部分や、矛盾の整合性をとり切れなくて事実が漏れている部分、
あるいは編者自身の良心の呵責で嘘がつけなかった部分もあったのかもしれない。
万葉集などには、作者や編者による真実の吐露が暗号として隠されているという説もあります。
0920ジョセフィーヌ@宣伝上げ
垢版 |
2018/12/01(土) 14:22:59.73ID:+wHzzMkp0
例えば神社に関して、
神社なんてすべて同じ(サイドの)人たちが建てたものだとは言っても、
そこには何らかの真実の痕跡が残されている。
土地の先住民による古い祭祀の場に建っている神社と、
新しい人たちが自分たちの神を祀った神社の違いがあるとしたら何か。

例えばこうした模索からでも、
隠されたメタマトリックスが旧態のマトリックスを食い破って出てくる、
そのプロセスの端緒を開くきっかけといいましょうか、
いわゆる嚆矢(こうし)となり得る可能性を秘めているのではないかと考えています。
0921ジョセフィーヌ@宣伝上げ
垢版 |
2018/12/01(土) 14:55:57.82ID:+wHzzMkp0
伊勢国朝明郡は現在の三重県四日市の一部とその周辺を含む地域を指します。

http://www.geocities.jp/engisiki/ise/bun/is081112-01.html
耳常神社
舟木直の祀る耳常神社は、舟木明神または春日明神と呼ばれていた。

475本当にあった怖い名無し2018/08/31(金) 14:28:48.27ID:gGLjX2AP0

朝明郡の舟木氏については後述します。
0922ジョセフィーヌ@宣伝上げ
垢版 |
2018/12/01(土) 15:30:57.06ID:+wHzzMkp0
>>889
> 耳常神社
> 伊勢国 朝明郡鎮座 (合祀)耳利神社
> 三重県四日市市下之宮町319
> 【祭神】 神八井耳命 (配祀)建御雷之男神 斎主神 天児屋根命 姫神 神沼河耳尊 大山祇命

耳常神社の主祭神は神八井耳命。
神武天皇と伊須気余理比売命(いすけよりひめ)の間に生まれた長男で、船木氏の祖とされます。
配祀されている天児屋根命は天孫降臨の際の随伴神で、中臣氏の祖神。

このページ(http://www.genbu.net/saijin/koyane.htm)で天児屋根命 を祀る神社を見ると、
複数の春日大社系と思われる神社と、あと伊賀名張方面の神社が多く挙げられています。
0923ジョセフィーヌ@宣伝上げ
垢版 |
2018/12/01(土) 15:36:58.06ID:+wHzzMkp0
春日氏について調べると、
「春日氏」は「ワニ氏」(和仁、和邇、和爾などとも)から派生した古代氏族とあります。

天児屋根命を祖神とする中臣氏は、「ワニ氏」(和仁、和邇、和爾)氏と関係していると考えられます。
0924ジョセフィーヌ@宣伝上げ
垢版 |
2018/12/01(土) 15:51:24.66ID:+wHzzMkp0
>>921
朝明郡の舟木直が祀る耳常神社は、
春日明神とも呼ばれていたとあることから、
多気郡の相鹿上神社と同じく中臣和邇氏の系統であると考えられます。

ここからは、根拠のないスペキュレーションですが、
大化の改新の立役者、中臣鎌足は百済人の王仁と重ね合わされます。
中臣(大鹿嶋)≒王仁ワニ氏。
中臣和邇氏と上で書いた理由です。
0925ジョセフィーヌ@宣伝上げ
垢版 |
2018/12/01(土) 16:11:11.61ID:+wHzzMkp0
多気郡の大鏡神社の宮司は船木氏ではありません。
(船木氏は近くの佐那神社で天手力男命を祀る)。
一方の朝明郡耳常神社の神官は舟木氏が務めている。
これは何を意味するかというと、
朝明郡の耳常神社の祭神は改竄されたものではないということです。
神八井耳を祀る舟木氏が正統な舟木氏であれば、
祭神の改竄を黙って見過ごすわけはないからです。
改竄だけでなく神八井耳と関係のない神の配祀も許さないでしょう。

つまり、この耳常神社は最初から、
主祭神を神八井耳とし、建御雷之男神や天児屋根命を配祀する神社として創建された神社であり、
宮司の舟木氏についても、
相鹿上神社と同じ中臣和邇氏の流れを汲む舟木氏が最初から神官として任命されていた可能性が高いと考えます。
(合祀されている耳利神社の祭神は応神天皇と菟上王なので、この際は論ずる必要はないでしょう)。

当然、多気郡の大鏡神社も、
最初から中臣和邇氏によって創建された神社であると思います。
0926ジョセフィーヌ@宣伝上げ
垢版 |
2018/12/01(土) 16:20:04.08ID:+wHzzMkp0
最初から〜として創建された、の「最初から」というのは、
その地にいた古代氏族の祭祀の場の名残をとどめた色彩の強い神社ではなく、
比較的新参の人たちによって、所期の目的をもって建てられたという意味です。
0927ジョセフィーヌ@宣伝上げ
垢版 |
2018/12/01(土) 16:24:45.15ID:+wHzzMkp0
その地で祭祀を行っていた、
あるいは祭祀すら行っていなかったかもしれない、
原初的な古代氏族の名残をとどめる神社ではないという意味です。
0928ジョセフィーヌ@宣伝上げ
垢版 |
2018/12/01(土) 16:31:10.45ID:+wHzzMkp0
>>889

> ちなみに、相鹿上神社の神紋は雀口桜で、
> 鹿島神宮の近くに特高隊飛行場があり、
> その特高兵器が「桜花(おうか)」と呼ばれたことと無関係ではないと思います。

特攻兵器「大鹿」は、連合国軍によって「BAKA(馬鹿)」と呼ばれていたそうです。
0929ジョセフィーヌ@宣伝上げ
垢版 |
2018/12/01(土) 16:35:58.70ID:+wHzzMkp0
勘のよい方なら、もう既に、
自分党とアースクエイクとの奇妙な関連についても、気付いておられるのではないでしょうか。
0930(0_0)
垢版 |
2018/12/01(土) 22:01:54.03ID:1x5XbWPz0
なんやアースクエイクって
自民党の化け物はよく遊んだわ
化け物党め
0931ジョセフィーヌ@宣伝上げ
垢版 |
2018/12/01(土) 22:05:25.91ID:+wHzzMkp0
>>889
> 天児屋根命 ≒ 中臣大鹿島 = 建御雷之男(鹿島神宮)

これのことでしてよ。
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。