白銀の巻 一帖
(略・・)そなた達も八人、十人の人によって生きてゐるのぞ。又十二人でもあるぞ。
守護神と申すのは心のそなた達のことであるが、段々変るのであるぞ。
自分と自分と和合せよと申すのは、八人十人のそなた達が和合することぞ。それを改心と申すのざぞ。
和合した姿を善と申すのぢゃ。今迄の宗教は肉体を悪と申し、心を善と申して、
肉体をおろそかにしてゐたが、それが間違ひであること合点か。一切がよいのぢゃと云ふこと合点か。
地獄ないこと合点か。悪抱き参らせよと申してあること、これで合点か。合点ぢゃナア。
(略・・)
天から気が地に降って、ものが生命し、その地の生命の気が又天に反影するのであるが、
まだまだ地には凸凹あるから、気が天にかへらずに横にそれることあるぞ。
その横の気の世界を幽界と申すのぢゃ。幽界は地で曲げられた気のつくり出したところぢゃ。地獄でないぞ。

白銀の巻 第四帖
(略・・)悪は悪にのみ働きかけ得るのであるぞ。善に向って働いても、善はビクともせんのぢゃ、
ビクつくのは、悪に引込まれるのは、己に悪あるからぞ。合せ鏡と申してあらうが。
悪の気断ちて下されと申しておらう。心の鏡の凸凹なくなれば悪うつらないのざ。悪はなきものぞ。無きとは力無きことぞ。
悪あればこそ向上するのであるぞ。悔い改め得て弥栄するのであるぞ。人間の能(ハタラキ)あるのざぞ。 ・ を忘れてはならん。

白銀の巻 第五帖
(略・・)天地の中間を中界と申すぞ。天の息吹きと地の息吹きの中間ぞ。
天国へ行くのも、行かんのも先づ落ちつく、死後の始めての世界であるぞ。

白銀の巻 第六帖
(略・・)天使と云ひ、天人と申すも、みなそれぞれの国の人間であるから、
喜びの人間であるから、この道理判りたら、地の世界と、中の世界と、天の世界と、
みな同じであるから、もちつもたれつであるから、三千世界であるから、
地の上に禍あると、天の国にも禍ふのであるから、天の国の生活は地の上に根をつけてゐるのであるから、
遠くにあるのでないぞ。同じ所にあるのであるぞ。
幽界と申すのは道を外れた国のことざと知らしてあらうがな。地獄無いと申してあらうがな。
このこと間違はんやうに、地獄地獄の言葉、やめて下されよ。(略・・)