黒鉄の巻第 十八帖
目さめたら起き上がるのぞ。起き上がらずには居れまいが。
神の命ずることは丁度そのやうに人間にうつるのぞ。(略・・)

黒鉄の巻第 二十七帖
神は人間の想念の中に入ってゐるのぢゃ。想念が一致するから神の想念が人間に伝はるのぞ。
人間の言葉となって人間に現はれる。言は神であるが人間でもあるぞ。自分が自分に語るのであるぞ。(略・・)

黒鉄の巻 第三十一帖
(略・・)何事もとがむでないぞ。とがむ心、天狗ぞ。(略・・)
人間は、色とりどりそれぞれの考へ方を自由に与へてあるのざから、無理に引張ったり、教へたりするでないぞ。
今あるもの、今生きてゐるものは、たとへ極悪ざと見えても、それは許されてゐるのであるから、あるのであるぞ。他を排すでないぞ。

黒鉄の巻 第三十六帖
(略・・)この道はアメツチの道ざと知らしてあらうがな。清くして富むのがまことぢゃ。
地も富まねばならんのぢゃと申してあらうが。これから先は金もうけばかりも出来ん。今迄のやうな神信心ばかりも出来ん。
神の理(ミチ)を進むものは嫌でも金がたまるのぢゃ。金がたまらねば深く省みよ。理に外れて御座るぞ。人は罪の子でない、喜びの子ぞ。

黒鉄の巻 第三十八帖
人間の死後、自分の命(イノチ)の最も相応(フサワ)しい状態におかれるのであるそ。
悪好きなら悪の、善好きなら善の状態におかれるのであるぞ。皆々、極楽行きぢゃ。
極楽にもピンからキリまであるぞ。神の旨に添ふ極楽を天国と云ひ、添はぬ極楽を幽界と申すのぢゃ。(略・・)