人類と人間個人の存在意義を考える。生きる意味。
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人類と人間個人の存在意義は何だろうか?
生きる意味の根源を考えよう。 オカルト的には、この宇宙は魂の修練の場で、
仏教徒的には輪廻転生を繰り返しながら解脱を目指す?
キリスト教徒的には、一度の生だが、善を成し神の国に入るため? キリスト教徒だと神の栄光を高めるためってのもあるのか? まぁ宗教を抜くと、社会人類学的には、
個々人の多様性によって様々な可能性を生み出し、
それぞれの可能性、能力、才能を追求し、人類全体の文明水準向上の為に、
個々人が存在するのだろうか。 しかし、人類がそうして世代を重ねて行く事
それ自体に何か意味はあるのだろうか。 宇宙は内部に観察者を持たないと宇宙自身を確認する事が出来ない。
目などの感覚器官をもつ生命体、特に知的生命体は、
宇宙の管理人、いや、管理人は宇宙法則そのものだから、
知的生命体は使用人として生み出された? そもそも、この宇宙、この太陽系、この地球という惑星は、
あまりにも人類、人間の生存に適している。
これには何か理由があるのだろうか? 絵、言語、文字、羊皮紙、紙、活字印刷、出版、インターネット、テレパシー、脳接続?
この先にあるのは、人類の意識共有と超知性化か? 我々の意識と思考が一瞬で共有されるようになる時代、世界はどうなるだろうか。
発想と発表が限りなく境目が限りなく無くなり、世界中に発想が連鎖する。
インターネットもそのような方向で動いているように見える。 人が争う事に意味はあるのか、
人が人を助け、助け合うことに何か意味はあるのか。 人間には理想と物語が必要だが、
今の人類にその理想と物語が存在するのだろうか。 人間にも使命がある?
なら民族、国家にも、宗教にも、
科学、学問、文化、芸術、音楽にも、使命がある? なら動物は、植物は、どうだろうか。
何か使命がある?
概念は、言葉は、思想は? 美とは何だろうか。神々に近付くヒント?それとも、まやかし?
実は美しくない物にこそ、真の美に近付くヒントがある?
しかし…… 形而上の存在、概念は、形而下の存在にどれほどの影響を与えているのだろうか。
相互に影響し合っている? オカルトとは何だろうか。宗教が信仰出来なくなった人の為の、
形而上学の為のデータベース? インターネットとは何だろうか。
個々人の生きた記録をネットに残す巨大なデータベース?
しかし、昔のホームページなどはサーバーの容量などの問題で既に多くが消去されている。
これらはどうなるのか。
それともアカシックレコードと呼ばれるものが本当にあり、
全てはそこに記録されている?
ならば、科学と学問が進歩して、そこにアクセス出来れば、
そのデータベースから失われた情報を取り出し、さらには死者の復活も出来る? ならば神、神々はアカシックレコードの管理人、管理人たちの事か?
勿論、人格神ではなく、ただの宇宙法則の可能性もある。 そもそも神とは何か。宇宙法則と宇宙の意志の両方の事か? 言葉とは、会話とは、何だろうか。
意識、考えの共有で、何が起こる? 文化、音楽、芸術の意味とは何か。
人と人が繋がる意味は、孤独の意味は。 全人類が豊かになる経済は実現可能だろうか?
科学技術でいずれ可能になる? 宇宙の気まぐれ、地球は大いなる偉大な存在の遊び道具、箱庭かなと思う時があるな。 そもそも人間に自由意志は本当にあるのか、それともないのか
意識すらもあるのか、それともないのか
自分の考えている事は本当に自分のオリジナルか、それとも誰かの受け売りか 人間の発見、発明、発想は、本当に個人に属する物か、
それとも偶然、必然、形而上の存在からの干渉によって生み出されたものなのか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています