神との対話、の解釈だと、光は光として存在していたが光の中だけでは自己が光であると認識できなかった
自己が光であると認識させてほしいと神に祈った
光が光だと自己認識するためには闇を経験しなければならない
だから神は光を闇の中に置いた
闇の中に置かれた光は「神様、何故私をお見捨てになったのですか?と嘆いた」
これが人間だと言う、論としてはスッキリしているのだがじゃあ自分はそうなんだ、と本気で信じたとしても
それで自分が楽になれるのか、日本風に言う解脱に達するのか、と問うとそうとも思えないんだよな